hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

<私の憲法論> 無血革命としての象徴天皇制 XI (歴史を通じた人権の徹底を--象徴天皇制廃止の展望(13))

 先回、ルソーの理論が、アメリカの独立革命への思想的影響を持たなかったと思われることに触れました。

 他方、通常、アメリカの独立戦争の際に、フランス王がイギリスを叩くという国際政治の立場--今風にいうところのレアル・ポリティークですね--から、独立派を支援したこと、それがさらにフランスの財政悪化をもたらし、フランス革命の原因の一つになった、というようなことが言われます(例えば、高校の世界の教科書)。

 しかし、アメリカの独立という実践は、フランスの革命家達にとっては、もっと直接的な意味を持っていました。それは、ルソーの理論の正しさを実証するものとして、理論のレベルでも影響を与え、そしてもちろん実践のレベルでも見習うべき手本として、大きな影響をもたらしたに違いありません。

 そして当時の革命国家の国民達の精神が、互いに強く共鳴し合ったのだろうと想像します。

 ニューヨークの「自由の女神像」が、アメリカ独立100年を記念して、フランスで寄付が募られ、アメリカに送られたものであることは、よく知られています。それは、そうした当時の両国民の強い結びつきの歴史を証するものとして理解できるしょう。

 思想史などの研究は、思想を細かく研究することが多いです。しかし、思想が社会(実践)に与えた影響を含めて思想というものを考えると、私がここで触れてきたようなテーマ--フランス革命アメリカ独立革命における思想と実践の関わり合い--になってきます。

 残念ながら、そういうことに焦点を当てた文献、研究はあまり知られていないようです。あるいは単に私の勉強不足で、探せばあるのかもしれませんが。

****************

 さて、ルソーの「一般意志」です。

 ルソーは、権利を持った個人が集まって、全員でその権利も放棄して、すべてをそこに捧げるような共同体を作ろう、と契約することを「社会契約」と呼び、そうしてできた共同体を「共和国」と呼んでいます。

 そして、この社会契約によって共同体が誕生すると同時に、「共同体の制度や行動を指導する集団的な意志」の存在が想定されます。

 この「共同体の制度や行動を指導する集団的な意志」が「一般意志」です。

  ここまでで、色んな疑問が出てくるだろうと思います。

 しかしまず、先回書いたルソーの問題意識--「絶対的な君主(主権を持つ君主)の代わりに、人民が主権を持つ国家が成立し得るのか?」という問題に、Yesという回答をどのように理論的に構築するか--という角度から考えてみると、大筋で、彼のやろうとしたことが見えてきます。

 と、ここまで書いて、この問題を少し広げて、予定より詳しく--「近代国家固有統合体」という考え方を用いて--議論することにしました。

 その方が、中途半端な書き方より、結局のところわかりやすいのではないかと考えたからです。

 これまでに、憲法解釈に関わって、歴史構造主義的アプローチに拠なりがら、「近代国家固有統合体」という考え方を述べてきましたが、それがどれほど役立つものか、わかっていただけると思います。

 ルソーの議論の主要な前提として、①主権と呼ばれる絶対的な強制力を持った国家の必要性を認める、②契約という考え方を採用する、③人民の人権を維持・徹底する、の3つがあります。

  実は、①と②は、ホッブズの『リヴァイアサン』という本の議論の枠組みそのままです。

 リヴァイアサン』は、①すべての人が自らの権利のすべてを、主権者(国家)に譲り渡してこそ、そのような絶対的な主権を持つ国家があってこそ、人々の命と安全、平和が成り立つ、②そのために、人々の間で契約が行なわれる、という主張がなされています。

 またまた、話がわからなくなってくるかもしれません。

 ホッブズは何を言いたいんだろうか?何で、こんな議論をしているのだろうか?

 これって、ルソーと同じじゃん。

 いや、100年前にホッブズが書いたことを、ルソーがパクッた?

 歴年的に整理してみましょう。

 ホッブズが『リヴァイアサン』を出版したのが1651年で、これは、イギリス市民革命の真っ最中です。1642年にピューリタン革命が始まり、1648年に絶対王政が倒れて、翌年からクロムウェル独裁が1658年まで続きます。

 さて、話がここまで逸れた(遡った)ので、当然ロックのことにも触れなければならないでしょう。

 1660年-王政復古、1688年-名誉革命で、1690年に、ロックが『国政二論』を出版しました。

 では、ホッブズ、ロック、ルソーの3人の主張を並べてみましょう。

 高校で教わる世界史の教科書や思想史の本では、だいたい、次のような説明になっています。 

 A. ホッブズは、人間は、自然状態では争い合うので、主権者による絶対的な支配(主権)が必要で、それによってによる平和と安全がもたらされると主張し、新しいタイプの絶対君主擁護論を唱えた。

 B. ロックは、人間は自然状態で自由平等な権利を持っているが、より福利を高めるために、必要なすべての個人の権利、力を譲り渡すという同意(compact)を通じて、共同社会common-wealth国家)を形成し、その下での法による統治がなされるべきと考えた。専制とは、このような共同社会のあり方とは逆に、その統治者が自らの利益のみを考え、他の臣民の命をも絶対的に支配する体制である。人民は、それに抵抗する権利を持つ、と主張した。

 C. ルソーは、人間は自然状態で自由平等な権利を持っているが、より福利を高めるために、すべての個人の権利をを譲り渡すという同意(社会契約)を通じて、メンバーが完全に平等化し一体化した集団--共和国--を形成すべきだと考えた。この集団形成によって、一方で共和国の主権が生まれるが、同時にその集団としての意志--一般意志--が生ずる。一般意志は、メンバーの共通利害を基にしたものであり、共和国の持つ主権を指導するもの、とした。 

  こうやって並べると、入試問題で、「彼らの主張をそれぞれ400字以内で簡潔に書け」とか「400字以内で、その違いを述べよ」とかを連想します。

 確かに、歴史的な事実を知っておくことは重要ですが、それらの事実をより大きな歴史的な枠組みにおいて関連づけながら、位置づけながら理解することがさらに重要です。

 「近代国家固有統合体」という考え方は、そうした歴史理解のための枠組みです。

 この考え方から言って、イギリス市民革命期の思想を見ていく際に、絶対に欠かすことのできないのは、1648年のウェストフェリア条約です。

 この条約は、ヨーロッパ大陸での30年宗教戦争の長い戦乱に終始を打つべく、ドイツのウェストフェリア州で開かれた講和会議の結果として結ばれたものです。

 イギリスは、革命の内乱状況で、この会議に参加しなかったとされています。 

  歴史の事実をただ羅列するような理解の仕方だと、参加しなかった会議の結果(ウェストフェリア条約)は、イギリスと関係ないよね、ということになりかねません。

 結論を先に言うと、「近代国家固有統合体」と「近代国家固有統合体国際システム」は、相互に他の一方の存在を前提としながら、発展していきます。

 そうした発展の最初の国際的レベルでの動きのはっきりとした一歩目が、ウェストフェリア条約の締結です。

 イギリスは、この時講和会議には参加していませんが、それは、イギリスが「近代国家固有統合体国際システム」という枠組みから離れていることを意味しません。

 「近代国家固有統合体国際システム」は、ウェストフェリア条約の締結国(者)だけによって構成されているものではありません。

 それは、「近代国家固有統合体」同士が、相互の主権の存在を認め、尊重することを基本として関係を持っていく体制です。

 ウェストフェリア条約は、そうした「近代国家固有統合体」間のあり方を、明確化し、強化していったということができるでしょう。

 もっとも、当時のウェストフェリア条約締結者達は、私がいう「近代国家固有統合体国際システム」を作り出していっているという自覚は全くなかったでしょう。

 むしろ、ウェストフェリア講和会議の参加者(君主)にとっては、自分達の「所有」する権利=主権を確認、確立するということが目的であり、そして彼らにとって主権とは、古くからある自分達の財産の主要なもの、特別な財産、というような意識であったでしょう。

 したがってまた、イギリスの名誉革命は、彼らの財産としての主権というその原理に対する挑戦のようにとらえられていたのであって、ヨーロッパ大陸での戦乱がなければ、革命に対する彼らによる干渉戦争は必至であったと言うべきです。

 にも関わらず、私はさっきからお経のように--「近代国家固有統合体」と「近代国家固有統合体国際システム」は、相互に他の一方の存在を前提としながら、発展していく--というようなことを唱えています。

 少し詳しく、ウェストフェリア条約から見ていきましょう。

 まず、講和会議の参加者は「国」ではなく、君主や都市(それらの使節)です。そして、この会議で決定されたことの内、主要なことは、それぞれ一定の地理的空間に対するこれらの参加者それぞれの主権の認定(相互尊重の約束)でした。

 今、話を単純化するために都市を除いて議論します。

 この主権の認定は、君主達の主観的意識としては、自分達の所有する財産を相互に認定した、と言うことでしょう。その限りで、従来と異なる新しい要素は無い様に見えます。

 また、その主権の確立によって、対外的に外からの干渉(ローマ教会)を排除する権限、対内的に様々な勢力に対する完全な支配権が認定されました。

 このことは、客観的にいっても、主権概念の確立、認定は、主権というものが絶対君主の所有する財産の様な権利(自由に取り扱うことができるもの)として、むしろ純化された、と見ることすらできそうです。

 ところが、「固有統合体」という観点からは、全く違うものが見えてきます。

 まず、主権sovereignty、あるいは主権者sovereignという言葉に注目しましょう。

 やっぱり、日本語の翻訳はすばらしくよくできていると思いますが、こういうことを考える時に、ヨーロッパ語ネイティブの人は圧倒的に有利ですね。 

 soveというのは、superということで、reignというのは、王reyとして統治するという意味です。ですから、sovereigntyというのは、最高の統治権、絶対的な統治権ということです。

 他方、国家stateというのは、stateが土地を意味していて、そこから土地(土地と土地に「付属する」人民)に対する支配権を意味する様になったと言われています。

 日本国憲法では、英訳日本国憲法のstateに「国」が対応しています。これも、おそらく日本の中世において「国」が土地(土地と土地に「付属する」人民)に対する支配権であったこと意識した使い方ではないかと思います。

 私がこの語源的なことから言いたいのは、「主権」が所有権的なものというよりもいわば経営権的なものだということです。

 「近代国家固有統合体」成立以前のこのような土地に対する支配権は、分割したり、条件をつけて他人に譲渡する(例えば「封土」として家臣に与える)ことが可能でした。

 ところが、主権sovereigntyは、性格が違います。それは統治の権利なのですが、まず統治の対象が、すでに一定のまとまりを持ったもの--一定の地理空間において固有に統合された人民(地理経済)--であり、任意に分割して譲り渡したりすることはできないものであることが特徴です。

 そして、このような固有な地理経済空間が作り出されていく過程--資本主義的発展の始まり--自体に、絶対君主の主権(絶対的な統治)が欠かすことのできない重要な要因として貢献しています。

 つまりその固有な地理経済空間とそれを形成した統治者たる絶対君主は固有の結びつきを持って繋がっています--これが「近代国家固有統合体」です。

 「近代国家固有統合体」は、外部に対しては、 外部からの干渉--他の「近代国家固有統合体」やローマ教会からの干渉--を完全に排除することを求めます。

 このような「近代国家固有統合体」が複数存在するようになると、戦争状態を避けるためには、明確な国境を定めながら、建前上は恒常性を持ったものとしての主権を、相互に承認し合う必要が出てきます。

 このような「主権」は、自由に処分できる家財の所有権--古代的な国家の支配者や封建制度における君主達が土地や人民に対して持ったそれ--と、客観的には大きく異なってきます。

 ウェストフェリア条約は、そのような相互承認を明示化し、明示的な国際的体制--「近代国家固有統合体国際システム」--の形成へと進んだものですが、早くから「近代国家固有統合体」を作り出していたイギリスは、もとより、「近代国家固有統合体国際システム」の潜在的メンバーでした。

 ロックは、その『国政二論』の序文の中で、彼の著書の目的が名誉革命の弁護にあることを明確にしており、その目的を次のように述べています。

 1.現在のウィリアム王の王位を確立すること。つまり、ウィリアム王の権限が、他のキリスト教国の君主達よりも、十分で明確であることを確保しておくこと--何故そうしたことが確言できるかといえば、それは、法に従う統治者たり得る者達の中での唯一の者として、人民の同意による(よって選ばれた)ものであるから。 

 2.(名誉革命を遂行した)イギリス人民を世界に向かって正当化すること--何故正当化できるかといえば、それは、イギリス人民は、正義と自然権への愛とそれらを護るという決意によって、奴隷化と滅亡の危機にあった国(the Nation)を救い出したのであるから。

 私の上の訳は、原文の構文を維持しながら、意訳を混ぜたような感じになっています。

 意訳的にしたのは、もちろんわかりやすさのためですが、原文の構文を維持したのも、それによって、原文の構造(の柱)を維持し、原著者が言いたかったことを見やすくするためです。

 名誉革命によって、イギリスは立憲君主制を確立したと言われます。

 ロックは、その革命、そうした誕生した体制を擁護しているわけです。

 上記の1は、ウィリアム王の権限が正当性を持つことを、国内的な意味で確認しているだけでなく、ウィリアム王の権限が「近代国家固有統合体国際システム」において承認されるべき主権であること--他のキリスト教国の君主達よりも、十分で明確である主権の存在--を宣言していることに注目すべきでしょう。

 「近代国家固有統合体」は、他の「近代国家固有統合体」との競争を勝ち抜くために、内部的には主権(絶対的・集権的な統治権)の強化・徹底化を求めます。また、国際間の約束が貫徹されるために、自分だけでなく、他の「近代国家固有統合体」の主権(絶対的・集権的な統治権)の強化・徹底化をも求めることになります。

 イギリスは、国際的システムの一員であったことはもちろん、このような状態にある「近代国家固有統合体」の最先端にいました。

 そのことを次回に議論します。 

<私の憲法論> 無血革命としての象徴天皇制 X (歴史を通じた人権の徹底を--象徴天皇制廃止の展望(12))

  touitusensenwo様、

 コメント、ありがとうございます。

 どこらへんが、分かりにくいですか。できる限り、工夫します。

 天皇の怒りの件、私の議論は、そうした件にすごく関わるのですが、延々と外堀を埋めるような作業で、そこに届いていないですね。

 ただ、私はずいぶん前に、象徴天皇制は、奴隷制天皇制ではない、退位は「雇用条件」を守ることを前提に、権利である、という意味のことを言っています。

 国民あるいはその代弁者(専門家?)は、天皇の希望とは無関係に(関係させることもできる)、対天皇という関係では、一方的に、雇用内容、雇用条件を決定することができます。

 天皇は、国民によって雇用されている特別な公務員なのですが、雇用条件についての交渉権を持たないのです。

 しかし国民の側においては、その雇用条件が、例えば、天皇がロボット(=奴隷)のようであれ、という、右翼と左翼の共通の主張(憲法解釈)が正しいのか、という議論が必要でしょう。

 私は、逆説的ですが、天皇自身--「当事者」ではあるが、交渉権を持たない--による憲法解釈は、あるべき憲法解釈をめぐって、我々が参考にすべきところが多くあると考えています。

 なるべく早く、そこに行き着くようにします。  

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 前回、「国民の総意」とは何か、と言うことについて、私の結論を次のように示しました。

 

<私の結論> 

  A.基本的人権を有する個人(至高の価値としての平和・自由・幸福の追求)

         ⇩

       (国民)の総意      

Aという目的のための手段として、かつ、その目的に必要な限りで、統治に関する集団決定の必要性を認め、その決定に自発的・全面的にしたがう意志。あるいは、そうした意志を持って行なう決定のこと。

               

  B.憲法に規定される限りで、その基本的人権を制限も含めた統治権力形成に与ると同時に、統治権力に服する「国民」。

       ・主権の存する国民

       ・憲法にしたがう限りで、統治権力の行使が可能な国家

       ・国民の総意による象徴天皇制の存在 

 

 

 この問題は、憲法第1条の「象徴天皇がんじがらめ構造論」の重要な部分なので、ちゃんと議論しようと思っていましたが、つい私にとって面白い関連話が多くてそっちに逸れたりしながら、まだちゃんと議論ができていません。

 ただ私自身も、これまでの精査したり、あるいは、あっちこっちへ寄り道しながらの議論によって、憲法第1条は、非常に重要で、特別な含意(構造)を持っていることが、わかってきました。

 例えば、前回、憲法において様々な権利・権力の根源を扱っているのは、「前文」だけだと言いましたが、それは、少し不正確かもしれません。

 仮に、「前文」がなかったとすると、この第1条に現れている「主権の存する国民の総意」という表現が、様々な権利・権力の根源を扱ったものというべきだろうと思います。

 ところで本題に戻って、では、この「国民の総意」とは何でしょうか?

 これは、ルソーの『社会契約論』に出てくる「一般意志」のことです。

 いわゆる民主主義国の憲法原理は、基本的にルソーの「一般意志」の理論に則ったものといって良いでしょう。

 となると、またしても壮大な回り道になりかねませんが、このルソーの本の言っていることをどのように理解するか、という議論が必要ということになります。

 ルソーの『社会契約論』を読むと、かなり社会科学的な知識を持っている人でも、わかったようなわからないような気分になります。

 手元にあるのは、桑原武夫・前川貞次郎訳の岩波文庫で、訳者の一人とされる河野健二の解説を読んでも、なかなか難しいですね。

 ネットで色々探しても、「そうか、わかった」という感じのは見つかりません。

 しかし、一度ルソーの問題設定を理解できると、あの本自体を読めば、それがとても理論的体系的に書かれていて、何が言いたいのか、「一般意志」とは何か、はっきりと理解できると思います。

 少なくとも私自身は、「はっきりと理解できた」気分です。

 ルソーの設定した問題というのは、「絶対的な君主(主権を持つ君主)の代わりに、人民が主権を持つ国家が成立し得るのか?」ということです。

 彼の答えは、Yesで、そのことを綿密に論証したのが、社会契約論です。

 人民主権の国家が存在しないところで、そんなことを言えば、権力者たちから政治的迫害に逢うのは当然で、河野健二の解説では、不遇な晩年であったことが記されています。

 今の民主主義が当たり前、というような環境では、何でそんな議論が必要か、ということになるかもしれませんが、ともかく、日本国憲法第1条理解には、この議論は必要です。

 しかしそれだけでなく、ルソーやフランス人権宣言、日本国憲法における一般意志の問題は、安倍ファシズム政権だけではなく、今日の世界各国におけるファシズム的政権の成立を批判的にとらえるためにも、議論する価値のある問題です。

 「絶対的な君主(主権を持つ君主)の代わりに、人民が主権を持つ国家が成立し得るのか?」という問題に対する答えとして、Yesが当たり前かどうか、当時の人々の立場に立って考えてみましょう。

 国王が支配する環境で、人民は、様々な権利を勝ち取っていきます。その延長線で、人民自身による支配することを構想するのは「当たり前」でしょうか?

 後で触れますが、ロックはこの延長線の一つの「解」である抵抗権という考えを提出します。しかし、抵抗権思想は、人民自身による支配の国家構想の「理論」とはいえないのです。

 マグナカルタが作られたのが13世紀です。それを国王に対する人民の権利の獲得の最初の例と考えますと、ずっとそのパターンが続き、アメリカ独立やフランス革命等の、人民自身による支配の国が出てきたのは、500年以上も後のことです。

 革命思想家が、人民自身による支配の国家の建設を訴えても、「そりゃ無理だよ。人民って言うけど、色んな意見や利害があるでしょ。国家としてまとまらないと、外から攻撃されるかもしれないし、人民の中も言うこと聞かないやつが出てくるでしょ。どうやってまとまるの?無秩序になっちゃうよ」という体制派による「反論」は、説得力があったのではないでしょうか。

 私が言いたいのは、上のパラグラフで言ったようなことが、知識人の間で直接に表現され、議論された、ということではありません。

 私自身はそういうことを研究している人間ではないので、それにあたるようなことが、どのような文書にどのような形で現れている、というようなことは全く知りません。

 しかし、当時の知識人達の議論の中に、そうした問題意識、問題の設定の仕方が実質的なものとして潜伏していたと考えるのは、自然なことのように思いますし、そう考えると、ルソーの議論がよくわかるのです。

 まだ現実に存在しない、人民自身による支配の国家が可能であることを論証する、という作業は、とてもたいへんなことです。

 そのルソーのYesの解答の鍵が、「一般意志」です。

 そしてその解答は、当時の革命家や知識人にとって、とっても説得力があって、なるほど、こうすれば(このように考えれば)、人民自身による支配の国家が可能なのか、と急速に広がり、採用、実践されていったわけです。

 ところで、ルソーの『社会契約論』は、1762年に出版されました。アメリカの独立宣言は、1776年、アメリカ憲法草案は1787年にできあがったとされています。

 ですから、ルソーの議論がアメリカの独立思想や憲法に影響を与えてもおかしくないように思いますが、通常は、そのような指摘はなく、ロックの人権思想の影響が語られています。

 フランス革命がフランス人思想家に大きな影響を受け、イギリス植民地の独立がイギリス人思想家の影響を大きく受けることは、当然と言えます。

 ただそれだけでなく、フランスでは、大陸合理主義の理論志向の伝統を体現している知識人達が重要性を持っていて、政治的現実においても、理屈っぽい議論が必要でした。だから、ルソーが出現し広がったのです。

 他方、アメリカの独立をどのような思想が支えたのか、という問題にはアングロサクソンのあまり理屈っぽいことを言わず、実践で解決すれば良い、という知的伝統--大陸合理主義と異なる--を感じます。

 先に触れたように、ロックの国王に対する抵抗権という考えは、人民が国王から権利を獲得していくというパターンの延長線上の極にあるものと言えます。

 ただそれは、通常の秩序における国王の存在を前提とするものであって、形式的なものを含め一切の国王的なものを排除する可能性を追求したルソーの革命的な理論とは異なります。

 しかし実際には、アメリカの独立は、フランス革命に先立つ共和国の出現という革命的な事態だったわけです。

 アメリカにおいてその革命を合理化しようとする思想が、ルソーの影響をあまり受けなかったとすれば、それは何故でしょうか。

 それは、今まで指摘してきたような国(言語)、知的風土の違いに加え、アメリカの現実がルソーのような思想を必要と感じなかったからだと思います。

 つまり、彼らの思想的課題として意識されたのは、独立戦争を合理化することであって、植民地おける国家形成の理論的合理化の必要性はあまり感じていなかったのではないでしょうか。ロックの抵抗権思想は、そうした状況に十分対応するものだったように思われます。

 当時の思想的影響は、以上のように言えると思います。

 しかし、ルソーの理論は、理論のレベルでは、アメリカの場合を含めた今日の民主主義的な憲法理解全般において、君主の存在しない共和国の存在を支える基本的なものとして認められている、と考えていいでしょう。

 また前置きが長くなってしまいました。

 「一般意志」の説明は次回にします。

 

<私の憲法論> 無血革命としての象徴天皇制 IX (歴史を通じた人権の徹底を--象徴天皇制廃止の展望(11))

 5月19日(金)に、共謀罪法案が衆議院法務委員会で強行採決されました。

 こういうことがあると、私の頭の中は、グジャグジャになります。

 すぐれた運動のリーダーは、自分や周りの人々の怒りの感情を、運動の継続や次の運動のための戦略や戦術をたてていくエネルギーに変えていくのでしょう。そこには、直感的な形にせよ、理論的な感覚も強く働いてるに違いありません。

 私の場合、実践的・理論的な問題に関する感覚が、言語化される前の段階で、鋭敏になります。文章にして書き留める以前の状態のまま、ただ頭が冴えて、いろんな概念らしきものが右往左往する、という感じ--つまり、頭の中がグジャグジャ、と言うわけです。

 このグジャグジャを整理します(グジャグジャの要素を羅列的に書き出します)。

 ①国会前の集会参加と「国民の総意」の関係。

 ②統一戦線とは何か。定刻に帰宅はありか。斉藤美奈子氏、村上春樹氏のこと。

 ③国際連帯のこと。フランス人権宣言と日本国憲法

 これだけでは、何のことだかわからないですよね。

 もともとこのブローグは、戦争法の成立を阻止したい、という目的に向かって、少しでも多くの人との連帯を作りたい、という思いから始めたものです。

 ですから、自分の考えを理論的に整理しようと言うことと、安倍ファシズム政権を一日も早く倒そうという政治目標は、最初から一つのことでした。

 事態が深刻になるほど、自分が国会前の集会に参加してくることと、理論的な問題がどのように関係しているのか、ということについて、考えざるを得なくなるのは当然のことです。

 しかし、こんなに頭の中がグジャグジャになってくるとは、予想しなかったことです。

 ①は、集会参加やデモの意味を、ちょうどこのブローグの現在のシリーズで扱っている、憲法第1条の「(天皇の)地位は、主権の存する国民の総意に基づく」にある「国民の総意」との関係で、どのように整理できるか、という問題です。

 ②は、このブローグで以前、私が主張してきた「統一戦線」の問題を、やはりこのシリーズで扱ったばかりのフランス革命などのunity(統一)の問題と関わらせて、整理したいと言うことです。

 「定刻に帰宅はありか」と言うのは、ちょっとわからないと思います。私は、強行採決の夜に抗議の国会前集会に参加してきました。18時半から20時半くらいまでだったでしょうか。

 翌日のツウィートで、あれっ、という感じのものがありました。すぐに削除されたので、書いた人も、やはりどうか、と思ったのだろうと察します。

 内容の大意は次のようなものでした。

 「通常の組合の賃上げ交渉とは違って、定刻出社、定刻退社は、どうかと思う。夜を徹しての座り込みこそが本物だ。そうして、重大事態を訴える心が、国民に伝わる」

 国会前の集会は、主催団体が後半から学生達が中心の元SEALDsの「新しい公共」が主催と切り替わりました。

 このツウィートは、主催団体が切り替わったところで帰った人達に対する批判となっています(と感じてあれっ、と思ったわけです)。

 運動というのは、具体的レベルになると必ずと言っていいほど、こういったことがネックとなって妙な言い合いとなり、しばしば、大きくエネルギーを割かれる事になります。

 結論を言えば、やはり、このツウィートは、最初の一文は全くいらないことを書いています。

 連帯、統一、団結と言うのは、自発的なもので、他の人を批判するためのものではありません。

 そもそも最初の2人だけは、連帯の「最初の2人」と言えますが、それ以外の人は「必ず遅れてやってくる」のですから、たまたま自分が相対的に先だからといって、大きな顔をしてはいけません。

 また早い、遅いというのも、あるいは定刻出勤、定刻退社というのも、それぞれ事情があるのですから、表面だけでものを言っていたら、連帯なんか成立するわけがありません。

 私は、統一戦線と言うのは、勝つと言うところから、逆に考えていくものである、というようなことを書いた事があります。

 下手をすると、勝てばいいから手段を選ぶな、ということにとられるかもしれません。

 そうではありません。問題の深刻さを共有する者が広がると、当然その共有者達の中での意見の相違が増えるし、場合によってはそうした中での対立が大きくなってしまいます。

 その時に、問題の深刻さの克服を第一に考える、そのために連帯する、と言う事が、「統一戦線は勝つということろから考えていく」と言う事です。

 そこにはさらに、最近斉藤美奈子氏が東京新聞に書いていたコラムのことが、一つの切っ掛けとしてあります(そのコラムでは、村上春樹氏も登場します)。 

 それについては機会を改めます。

 ③は、5月3日の憲法集会やその後のやはり国会議員会館前の集会だった思いますが、韓国でのろうそく運動で、新大統領を生み出したリーダーの挨拶がありました。

 すばらしいですね。こういうのを、もっとやるといいですね。

 私達の日本国憲法は、一番最初の価値に関わる部分は、「諸国民との協和」というものです。

 このことの意味を、憲法の構造の問題と関わらせて考えたい--これも、機会を改めてやります。

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 そこで、今回は、①の問題を、憲法の構造を意識しながら、議論します。

 憲法第1条で、「(天皇の)地位は、主権の存する国民の総意に基づく」にある「国民の総意」とは何でしょうか?

 この問題一つでも、私の頭はグジャグジャになりそうです。

 フランス革命、ルソー、フランス人権宣言、メキシコ憲法、五日市憲法植木枝盛憲法案、立憲主義、・・・

 

 私の答えを先に書いておきます。

 

<私の結論> 

  A.基本的人権を有する個人(至高の価値としての平和・自由・幸福の追求)

         ⇩

       (国民)の総意      

Aという目的のための手段として、かつ、その目的に必要な限りで、統治に関する集団決定の必要性を認め、その決定に自発的・全面的にしたがう意志。あるいは、そうした意志を持って行なう決定のこと。

               

  B.憲法に規定される限りで、その基本的人権を制限も含めた統治権力形成に与ると同時に、統治権力に服する「国民」。

       ・主権の存する国民

       ・憲法にしたがう限りで、統治権力の行使が可能な国家

       ・国民の総意による象徴天皇制の存在 

 

   おそらく、こんな風に結論をメモしても、よくわからないでしょうし、あるいはかなり説明しても、なかなかわかっていただけないかもしれません。

 それは、日本の教育、あるいはさらに日本の文化の問題に関わってくるような気がします。

 私の受けた憲法教育は、昔のことであまりよく覚えていませんが、一言でいって平面的、あるいは羅列的なものだった思います。

 つまり、憲法の3原則(平和主義・人権尊重・主権在民)を羅列的にどれもが大切なものであることを説明し、戦前の大日本帝国憲法と比較して、これらの原則は全部なかったか、逆転的に大きく変わったということでした。

 しかし、本当は高校生くらいからは、立体的、構造的に憲法を教える必要があります。

 特に2015年の戦争法の時に、立憲主義という言葉が出てきました。

 私自身は、学校では習っていませんでしたが、2015年よりかなり前に、組合の仕事をやったり、メキシコの憲法およびそれに関わる問題を読んだりしながら、憲法が他の法律と全く異なる性質を持っていて、憲法の役割は、他の法律を成立させ得る範囲を規定するものだ(したがって、当然政府の行為も憲法の規定する範囲以上のことはできない)、憲法に明示的に記されていないことについての立法は許されない、といういわゆる立憲主義の理解に到達して、なるほど、と思ったことがあります。

 立憲主義的理解は、私が構造的にとらえる、ということの一つです。

 私は、構造的理解があった方がいいと思います。その理由は、ここまで議論してきたような象徴天皇制を議論するためには、それはあった方がいいどころか、必須だからです。

 しかし、それはさらに、「集会やデモで政治が決まったら困る。選挙でやってくれ」というホリエモンの攻撃にどう答えるか、といった非常に重要な実践的問題にも関わってくることです。

 普通、私達は直感的に私達の権利の大切さ、それを行使することの大切さを知っています。

 攻撃に対しては、攻撃する側が、私達の行動に脅威を感じているからだということを、やはり直感的に見抜きます。

 そういう意味では、あまり理屈を言わなくても、困ることはありません。

 とは言っても、何で国会前で集会をするのか、もっと人の多いところでやったらいいのか、これをどのように選挙の問題(野党共闘とか統一戦線)とかと結びつけるのか、といったことを考えることは意味のあることです。

 私達の行動の意味を、私達自身がより深く理解することは、有意義であることは言うまでもないでしょう。

 そういうわけで、「国民の総意」とは何かについて、私なりの構造的な理解を、上記に示した結論に沿って説明します。

 と言いつつ、その説明に直接入る前に、恐縮ですが、まだ構造的な理解の「能書き」のようなこと、というか、そうした観点から興味深いエピソードのような話を続けさせてください。

 日本国憲法の民主主義的な源流として、明治期の植木枝盛憲法案や五日市憲法案が知られています。

 これらをざっと見ただけでも、今から100年も前にこうしたことを熟考し、記し、著した人がいること、それらを生み出す何らかの背景がしっかりと存在したことには、感動を覚えます。

 ところが、私が不思議に思うことの一つは、これらの憲法案には、人民の権利の根源がどこにあるか、ということがどこにも書かれていない、と言うことです。

 それらは、いずれも天皇が、歴史的な権威を根拠を持つ者として、国帝あるいは皇帝として君臨することを認めていました。

 では他方、それらの憲法案において、人民の権利は従属的で弱々しいものかと言うと、そうではありません。

 例えば、五日市憲法案の第71条では、「政治犯を死刑にすることの禁止」を規定していますし、植木枝盛憲法第72条に至っては、「人民の自由権利を破壊するような政府に代えて新政府を樹立する権利」まで謳っています。

 このような意識、考えは、当時の自由民権運動の意識、思想、理論と当然関係あるでしょうし、例えば、有名な福沢諭吉の『学問のすすめ』の「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」といったものが浮かんできます。

 ところが、ともかく憲法案自体の中では、そうしたもの--人民の権利の根拠、原理--は出てこないのです。

 そこで考えてみますと、実は、日本国憲法にも、様々な権利の根拠、根源というものを探そうとすると、直接的には、前文にしかないことに気付きます。

 ですから、日本国憲法の前文は、この憲法を構造的に理解する上で、決定的に重要なものです。

 他方、大日本帝国憲法は、前文がありません。

 しかし、その第1条と第3条で、天皇の歴史的権威とその不可侵性--つまり天皇の権利の根拠、とその権利の原理性--を規定しています。

 形式的にみますと、日本国憲法は、その大日本帝国憲法の改正であって、実際にも非常に似た章立てとなっています。

 ですから、日本国憲法も、形式的には、前文がない方が対応します。

 日本政府側は、新憲法の革命性を少しでも見えないものとしたかったので、GHQ原案にあった前文を削除しようとしたのですが、それに気づいたGHQ側に拒否されました。 

 GHQ日本国憲法の草案を作成した人々は、もちろん、この前文の重要性を強く意識して、それを作成、加えたに違いありません。

 「もし、あの前文がなかったらどんなことになっていただろうか?」と思うと同時に、「いやそんなことはあり得ないだろう、あの憲法にとっては心臓であり、魂でもあるような部分なんだから」と、歴史の偶然と必然に想いが至ります。 

 次回に、「国民の総意」の本論を論じます。

 

 

 

 

 

「連想」「共鳴」「豊穰」--フランス革命と私達

 前回、英訳日本国憲法にある the unity of the peopleの話をして、それがフランス革命と繋がるということに触れました。

 後でこれがあった方がいいと、気づいて、次のポスターを入れて修正しておきました。

 

f:id:hajimetenoblogid:20170517095907p:plain

 

 これは、フランス革命時(1793年)のポスターで、「分割不可能な共和国の統一unity・自由・平等・博愛よ、永遠なれ!」と呼びかけています。

 憲法、社会科学的な分析、歴史構造主義とかいう話は、それだけでは面白くないかもしれないですね。

 しかし、このポスターを見ると、フランス革命のこの時期に、何故冒頭に「共和国の統一性unityおよび分割不可能性indivisibility」と掲げられているのか、といった問題意識を持つことができますし、私がやってきた議論が、憲法そのものや憲法の理解とぴったりと繋がっているのがわかりますね。

 また、ポスターだけ見ても、それはそれで面白いでしょうが、歴史や社会科学の知識があると、なるほど、と感慨深いところがあるのではないでしょうか。

 理想的な憲法教育として、こういうポスターも合わせて行なわれれば、その時代で憲法に関わるような様々なことがらの持った意味が、理屈っぽい話ばかりより実感的に伝わってくるでしょう。

 しかしさらに豊かな教育は、こうしたことが、現在の社会の中でどのような意味を持つのかを実感していくようにすることです。

 デモや集会への参加は、それ自体が政治的な意味を持つのはもちろんですが、憲法や社会科学理解を実感的な支えを持って、促進してくれます。

 フランス革命やこのポスターから、憲法教育のことだけでなく、いろんな事が、頭に浮かんできました。

 今回、フランス革命のことを少し考えたり、文献を読んだりしながら、日本国憲法や世界の憲法がそれぞれ、社会における、そして世界における互いの「共鳴音」のような広がり、つながりを持っていると感じました。

 私は、メキシコの教育を勉強しているので、メキシコの憲法を読む機会があります。

 日本ではあまり知られていませんが、その1917年憲法は、世界で一番早くに、労働者の権利を規定し、社会権を規定してものとされていて、現在もそれが基本となったままの憲法です。

 その現在の第2条は、次のように規定しています。

La Nación Mexicana es única e indivisible.

メキシコ国民は、統一されていて、分割不可能である。

 これって、議論してきたフランス革命そのままじゃないですか。

 もう一つ、行きましょう。

 

1.(Mex) National sovereignty resides essentially and originally in the people

2.(Frn) The principle of all sovereignty lies essentially in the Nation.

3.(Jpn) sovereign power resides with the people

  

 1は、メキシコ憲法第39条、2は、フランス人権宣言第3条、3は、日本国憲法前文でした。

 これらの条文の作成過程で、直接的な影響関係があったかは疑問ですが、憲法や国家といったものが共通の枠組みの中におかれていることは明らかで、そうした枠組みがお互いに何らかの形での影響のし合いから形成されていることも疑いないでしょう。

 私の昔の音楽の先生は「デジタルより、アナログ録音の方がはるかに豊かな音だ」とおっしゃっていました。

 何故でしょうか。当時はあまり意識していませんでしたが、今は、こんな風に理解しています。

 --それは、デジタル録音は、雑音だけでなく、共鳴音をカットしてしまうからだ。

 共鳴音というのは、2つの弦があると、一つを鳴らすともう一つも鳴り出す、と言うやつです。

 まずは、同じ音の高さで共鳴しやすいのですが、互いに倍音(振動数が倍の音)同士でも共鳴現象が起きます。

 今、共鳴盤と呼ぶ、どのような音に対しても共鳴出来る装置を用意します。そうすると、一つの弦を鳴らしますと、共鳴盤は共鳴して、その弦の出した同じ高さの音だけでなく、すべての上下の倍音を出すことになります。

 もちろん、共鳴盤の出す音は、弦が鳴らした音を一番強く出すように共鳴し、最初の倍音は弱くなり、次の倍音はもっと弱くなり・・・、という風に共鳴していきますから、弦があるメロディを奏でれば、そのメロディがちゃんと聞こえます。

 ピアノやバイオリンには、共鳴板や共鳴箱(バイオリンの胴体)がついていますが、それは、弾かれたメロディの音を拡大するだけではなく、このような無限の共鳴音をも一緒に作り出しています。

 隣接する倍音同士は、基本的に親和的なハーモニーを作りますが、2つの音が離れてくると、非親和的な不協和な音となって来ます。

 しかし、この共鳴音全体が、ピアノやバイオリンの豊かな音を作り出しています。

 他方、例えば、電子ピアノは共鳴板がなく、純粋にメロディ音だけが電気的に拡大される仕組みとなっています。

 音に深さがなくて、特に低い音は、体を揺さぶるような共鳴板の振動感が得られませんので、もの足りない感じとなります。

  というようなことと同時に、フランス革命で思い出したのが、ディドロという哲学者のことです。

 彼は、『ダランベールの夢』という著書の中で、「どのようにして、人間の思考が、あることがらを念じて、今度はそれを対象とすることが可能になるのか?」という問題を立てています。

 そして、その答えを、唯物論的な立場から、人間の思考が、この共鳴現象のような仕組みでなされている、と論じています。

 つまり、一つのことを考えるとそれだけに留まらずに、関連する様々なことが同時に浮かんでくるようにできているのだ、と言うのです。

 今風に--つまりデジタルに--言うと、コンピューターのメモリのようなものですね。これがないと、計算(あるものに対する操作)が不可能で、一歩も前に進めなくなります。

 人間の記憶力が減退しますと、経験の深さがなくなっていきます。

 極端になってきますと、昨日のことも今朝のことも忘れるようになって、経験は非常に浅い、薄いものとなり、そうなってくると、次の一歩も踏み出せないようなことになります。

 歳をとって、立ち上がって隣の部屋まで行ったけど、あれっ、何をしにきたんだっけ、とわからなくなってしまうというのがありますね。それがメモリーが機能しなくなってきている、そういう状態です。

 しかし人間の記憶、思考で言うと、メモリーというよりも、やはりディドロのいう共鳴の方がぴったり来ますね。

 そこで、「共鳴力」というものを考えたらどうでしょうか。 

 「記憶力」と言うと、ただあることがらを覚えているかどうかに焦点をあてることになって、試験のことを思い浮かべたりします。

 しかし、ここではそういうものではなく、記憶力や思考力として、私達の経験に深さや幅を与えて豊かにしてくれるもの、したがってそういう形で生活を豊かにしてくれるもの、そういう能力を考えたいですね。

 単に記憶が持続するだけでなく、主要なことがらを強めて留めながら、さらにそれを基にして、関連する色んなことに関心が向いたり、それを考えたりする能力です。

 似たようなものとして、「共感」と言うのがあります。ただ「共感力」というと、感情のレベルのことで、論理とか何らかの感情の中身についての構造のようなものがないですね。それから、へたすると何でも共感しなくてはいけないかのような、倫理的な語感があります。

 これに対して、「共鳴力」は、外からやってきた思考や記憶を、「倍音」の単位のような役割を果たす多様な論理によって整理すると同時に、それらによって元の思考や記憶を大きく豊かなものにして返していく主体をイメージさせます。

 私達の運動、教育、生活、思想がそういうもの--共鳴体--になっていくといいですね。

 そうすると、先に見てきたような、世界の憲法にあるうれしい「共鳴音」を「共鳴音」として見つけることができて、お互いにもっと豊かにしながら、世界中に鳴り響かせていくことができるようになるでしょう。

 

 

 

 

<私の憲法論> 無血革命としての象徴天皇制 VIII (歴史を通じた人権の徹底を--象徴天皇制廃止の展望(10))

 今回は、話を急いで、憲法の「訳」の問題を扱います。

 と言いつつ、またまた横道に逸れます。

 私は、このブローグでレビィ・ストロース等の構造主義について批判的に触れたことがあります。

 他方、私は歴史構造主義的アプローチを行なっています。これは、ありか?と聞かれれば、これはありなのです。

 何故、構造主義はだめかというと、それは極端でそこが売りなのです。そうすると、奇妙なこじつけが始まります。

 他方、歴史構造主義は、常識的な話で、哲学的に言うと「素朴唯物論」です。そこがいいのです。

 「素朴唯物論」と「高級唯物論」はどう違うのか?と言うと、私は、哲学的には同じものと思っています。「高級唯物論」は、時間をかけて、ああだこうだと議論した結果、「やっぱり素朴唯物論だよね」と言うものです。でもそういうと、せっかく議論したかいがないし、これをもったいぶりたいので、「我々のは素朴唯物論ではない」と言うわけです。

 さて「訳」の問題に戻りますが、私の歴史構造主義的アプローチが数式っぽいものを使ったので、これも何か、もったいぶりたいのだろう、と思われるかもしれません。

 そうではなくて、常識的なことを常識的に整理するとこうなるのです、というのが私の式の意味です。そして、それが、この「訳」の問題においてどれほど役立つものか、やっと、具体論に入ります。

 英訳日本国憲法では、the state、government、the people、nation、japan、land、countryという言葉が出てきます。

 私は、近代国家固有統合体として、

Modern<<spg>>=<<sn>>  <<n>>=<<pg>>

 という表現をしました。上記の言葉との対応関係は、

  s: the state, government

  p: the people

  n: nation, the japanese people, the people of japan

  g: japan, land, country

です。

 ここで、日本語への訳を行なうとすると、だいたいのところ、the stateには、国を、the peopleには、国民を当てればよく、実際に、日本国憲法はそのようにできています。

 ところが、さらに訳を進めようとすると、3つの重要な問題に留意する必要が出てきます。留意点の第1は、主権在民によって生じたこれらの言葉の持つニュアンスをどのようにくみ取るのか?と言うことです。そしてこの問題と密接に関連して、第2は、nationおよびgovernmentをどのように訳せば良いのか?という問題が出てきます。最後に、第3に、これの言葉やその組み合わせは、単に、そうした要素やその組み合わせをいつも意味しているのか、そうではなくて、その言葉やその組み合わせによって代表させた近代国家固有統合体を表している場合もあるのではないか、という問題です。

 問題を先の枠組みで整理します(以下の各記号は、厳密には<<>>で包む必要がありますが省略します)。

 ・Pを、主権を持ったpのこととします。

 ・(s)を主権在民下にあるsとします。つまり、(s)は、共和制国家のことです。

     (s)の説明--近代国家sは、常に主権を行使しますが、主権在民の下では、Pによる信託の下に、これを行使します。そのことを( )で表しています。このような国家の典型が共和制国家です。

     

 

 そうすると、共和制近代国家固有統合体は、次のように表せます。

 

Republic<<spg>>=<<(s)N>>  

<<N>>=<<Pg>>

 

  まず問題になるのは、日本国憲法は、象徴天皇制を規定していますから、上記の式に当てはまるのか?ということが疑問として出てきます。

 結論を言うと、当たり前の話ですが、象徴天皇制以外の部分は、すっきりと上式にあてはまり、つまり共和制的近代国家固有統合体して理解できます。

 <私の憲法論>シリーズの目的がもともと、象徴天皇制を議論することにあったのですから、延々と議論しながら、訳の問題まできて、まだ象徴天皇制に辿り着かないのか、と言われると困るので、述べておきます。

 すぐに、そこに向かいます。

 訳の問題を何故設定したかといえば、そして、歴史構造主義的アプローチの枠組みの助けを借りることにしたかといえば、いかに日本国憲法が、限りなく共和制近代国家固有統合体に近いものを規定しているか、ということを明確にしたかったからです。そして、そこから、象徴天皇制との「矛盾」を理論的に議論することを可能にして、憲法第1条を厳格に解釈したかったからでした。

 というわけで、共和制近代国家固有統合体のモデルに基づいて、日本憲法の訳を見ていくことにします。

 先に述べた3つの留意点を頭におきながら作業を進めます。

 まずthe peopleですが、英訳日本国憲法では、冒頭にsovereign power resides with the peopleとありますので、その意味で、この憲法すべてに単独で現れるthe peopleは、主権を有する国民のこと、つまり、大文字のPを指していると理解できます。そしてもちろん、英訳日本国憲法の中でそうした一貫性が保たれています。

 では、このPをどのように日本語訳すべきでしょうか。

 日本国憲法では、だいたい機械的に「国民」という言葉を当てはめています。

 この大文字のPの訳として、「国民」がふさわしいか、例えば人民がふさわしいのか、という議論もありますが、ここではその問題には立ち入りません。

 ともかく、英訳日本国憲法のthe peopleとの機械的な対応があり、したがって、英訳日本国憲法の場合と同様に、日本国憲法の中でも、主権を有する国民であることの理論的一貫性が保たれています。

 次に、the stateです。これも、英訳日本国憲法の中では、(s)としての理論的一貫性がある形で現れます。the peopleがPなのですから、当然です。

 ところが、注意して日本国憲法でのthe stateおよびthe peopleの対応を検討しますと、単に「国」というのではなく、「日本国」と「日本」が加わっている箇所が、それぞれ1カ所づつあります。

 それが、第1条です。英訳日本憲法と、日本国憲法のその部分を並べます。

 

The Emperor shall be the symbol of the state and of the unity of the people,

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって・・・

 

 

 これは、英文でも日本文でも、今まで議論してきたような知識や留意があれば、結局のところそれほど違わない、うまく訳されているということがわかります。

 しかし、それぞれ詳しく議論する価値が十分あること、そうした作業が、そもそものこのシリーズの目的に沿ったものであることを示していきたいと思います。

 まず、後者を見ましょう。

 最初の「日本国」というのは、先に定義したRepublic<<spg>>を<<sg>>という表現のみで、代表して表したものであるということは、比較的容易にわかります。

 これを次のように表現しておきます。

<<(s)Pg>>⇨ (s)g : 日本国

 

⇨ (s)gという記号の意味は、「(s)gが、そのまま、共和制近代国家固有統合体を表す場合もある」と言うことです。ここでは、(s)gは、「日本」という地理的表現と「国」という共和制的国家の組み合わせ、つまり「日本国」です。

 日本国憲法全体で、「日本国」というのは、例外なく以上の意味で使われています。

 この典型で最初に出てくるのが、「日本国憲法」における「日本国」ですね。

 このような代表的表現は、共和制近代国家固有統合体を、その代表した側面--(s)g、つまり「日本国家」--を強調しながら表現したものと理解できます。

 つまり、最初の部分は、「天皇は、共和制的国家固有統合体の主に日本国家の側面の象徴である」といっていることになります。

 こうしたことを念頭に、次の「日本国民統合の象徴」とは何だろう、と考えます。するとこれは、だいたい共和制的近代国家固有統合体のことを、「統合」という言葉で表したものではないだろうか、そして、その共和制的国家固有統合体の特に「日本国民」の側面を強調した表現ではないかと察しがつきます。

 私はこのシリーズの中で、すでに、日本国憲法のこの対応部分(日本国民統合)は、国民統合体を意味しており、それは国民のことだ、というようなことを書いてきました。

 そこで言ったことを、厳密に検討、表現し直しそうとしたのが、ここまでの歴史構造主義的アプローチの枠組みです。

 それを、使って、

 

<<(s)Pg>>⇨ Pg : 日本国民統合

 

と表せます。

 今までを合わせれば、「天皇は、共和制的国家固有統合体の国家的側面と国民的側面の象徴である」と言うことになります。

 かなり、すっきりとした整合的な解釈になっていると思います。細かい言葉づかいの問題の検討は、今は省略しておきます。

 ただ、日本国憲法のこの部分には、日本語だけで考えると「統合」という言葉の居座りの悪さが、どう解釈しても残るような感じがします。

 そして重要なのは、日本語で「天皇は、日本国民統合の象徴である」と言うと、「天皇は、日本国民統合の<ための>象徴である」というニュアンスが、意識していないと混入してくる可能性がある、と言うことです。

 そうした解釈は許されません。そうした解釈が許されない、ということが、これまでの長々とした議論で示してきたことの一つであるつもりです。

 そうした間違った解釈が入り込まないように、例えば、「国民統合体」と「体」を入れておけば、象徴される「日本国民統合体」は、象徴される以前に、すでに統合された存在であることがより明確です。そこで、私は以前に私の解釈として、そうした置き換えを行なったのです。

 次に、英文を見ましょう。

 

The Emperor shall be the symbol of the state and of the unity of the people

 

となっています。

 

“The Emperor shall be the symbol of the state”

は、素直に、”The Emperorがthe symbol of (s)である”、と読めます。

他方、問題は、

 

“The Emperor shall be the symbol of ・・・the unity of the people”

の”the unity of the people”です。

まず、これもすぐに、the state と(the unity of) the peopleが並列された構造的な枠組みと対応しているらしいことが察せられます。

 そうすると、さらに、ここでのthe peopleが大文字であったこと、つまり、Pであることが想い起こされ、(さらに対としてのthe stateも(s)であったことも想い起こされ)ます。

 では、the unity of the Peopleとは何でしょうか?

 前回、フランス人権宣言の香りが、日本国憲法前文からしてくることに触れましたが、このunityには同じくフランス革命が惹起した「国民統合」という問題に対する重要な関心が、引き継がれています。

 つまり、フランス革命で提起されたla Nationというモデルは、さらにl’Unité nationaleという課題を含んでいたことが、意識され、議論されるきっかけとなったのです。

 

 これは、フランス革命時(1793年)のポスターですが、

   「共和国の統一性unityおよび分割不可能性indivisibility・自由・平等・博愛よ、永遠なれ!」

と呼びかけています。

 

 

 

 la Nationには、主権の問題が核心にありました。ただ主権という時、その意識は当初、上下の関係に向けられたものであり、人々の上にあって主権を握っていた絶対君主から奪うことへの意識が中心でした。ところが、革命の進展は、上からの主権による統治が横の結合をも保証していたこと、上からの主権が崩壊しつつある時、横の連帯を自ら作り上げていかなければならないことを明らかにしていきました。

(西川長夫1992「国民(Nation)再考 ―フランス革命における国民創出 をめぐって―」『人文學報』 70: 1-22)

 

つまり、このunitéをも実現したla Nationこそが、十全なla Nationです。

 

すなわち、フランス革命の文脈では、

 <<(s)Pg>>⇨ N : la Nation,  l’Unité nationale

 

 つまり、英訳日本国憲法に戻ると、上下関係の権力を示す(s)と横の連帯を示すthe unity of Pは、ともに共和制的国家固有統合体を表すものですが、それぞれ、(s)の側面と、Pの側面を強調して示すものです。

 

 そうしますと、英訳日本国憲法でも、日本国憲法の場合と同様に、the stateや the unity of the peopleが、単に、共和制的国家固有統合体の要素としてあるのではなくて、それら自体が、それぞれ、共和制的国家固有統合体の全体を表すものであること、すなわち、

 

 <<(s)Pg>>⇨ (s), P : the state, the unity of the people

 

という構造を持っていることがわかります。

 ところで、このような形で、the stateという単語に、共和制的国家固有統合体の意味を持たせているのはここだけであることに注目すべきでしょう。同じく、the unity of the peopleという言葉が出てくるのはここだけで、それに共和制的国家固有統合体の意味を持たせているのはここだけです。(the peopleという単語だけで、共和制的国家固有統合体の意味を持たせている箇所は一つもありません。)

 それだけ例外的な使用法が、この第1条だけにおいてなされているのです。

 それは、この条項が象徴天皇制を規定することからくる特殊性であって、この解釈においては、以上行なってきたような歴史的な要素を入れる必要があります。

 しかしこれまでのところ、私の方法では、あいまいな伝統とか、あいまいな「象徴」論が、入り込むことを徹底的に排除するよう努めてきました。そして、私自身としては、その意図はいい線をいっていると思いますがどうでしょう。

 長くなったので、次回にします。

<私の憲法論> 無血革命としての象徴天皇制 VII (歴史を通じた人権の徹底を--象徴天皇制廃止の展望(9))

 訳の問題と関わって、the Nationという言葉が、フランス革命において、スローガン的な言い方、特殊な意味合いを持って登場したことを、何故だろう?という問題提起をしました。

 その解答は、近代国家--固有の<<the state>>と固有の<<the people>>と固有の<<the geographical space>>の統合体--の固有統合性の存在を前提とし、その固有統合性を、どのように表現するか、という問題の中にあります。

 まず、このような歴史構造主義的アプローチの枠組みを設定すると、重要な問題として、このような固有統合体を明示的に表す言葉を、私達が社会科学の分野においてすら持っていないことに気づかされます。

 私は、そのようなものとして、<<近代国家固有統合体>>という言葉を用いることとし、それを記号的に<<the stat・the peo・the geo>>と表すことにします。

 私達は普通、国家あるいは近代国家という時に、<<the state>>の部分を限定的に指している時と、このような統合体としての全体を指している時との双方があり、そのどちらであるかは、文脈によって、ほとんど困難なく使い分けています。

 しかし、厳密・分析的な用語として、<<近代国家固有統合体>>というものを設定すると、先に設定した問題とその答えが整理されてくるのです。

 まず、ちょっとしたコメントですが、この概念を設定すると、冒頭4行目の「その解答は、近代国家--・・・・」と書いた部分は、厳密には、「その解答は、近代国家固有統合体--・・・・」と書くべきであったことがわかります。(この種の分析的な用語設定によって、常に生ずることですね。)

 さて、フランス人権宣言の中で、冒頭ではthe peopleが主語として登場していながら、先に進むと、極めて重要な条項である第3条において、sovereigntyの所有者(主)としては、the Nationが登場しました。

 これらsovereigntyとthe Nationは、先の固有統合体の枠組みの中で何を意味しているのでしょうか。そして、この第3条は、全体として何を意味しているのでしょうか。

 この枠組みの中での図式化された結論を先に書いておきます。

 一般に、近代国家の時代の近代国家固有統合体では、次が成立します。

  <<sovereignty>>=<<the stat>>

       <<the nation>>   =<<the peo・the geo>>

    <<sovereignty>>+<<the nation>>=<<the stat・the peo・the geo>>

 何か、当たり前のことをもっともらしく、記号化しただけのように見えますね。でも、説明を聞くと少し違ってくると思いますので待ってください。

 ここでもう一つ記号的表現として、大文字を利用します。

 そうしますと、絶対主義君主国家固有統合体と共和主義的国家固有統合体は、それぞれ、つぎのように表現できます。

 <<Sovereignty>>+<<the nation>>

       =Absolute Monarcy<<the stat・the peo・the geo>>

 <<sovereignty>>+<<the Nation>>

        =Republic <<the stat・the peo・the geo>>

 こうすると、ますます問題が整理されてきますが、あまりにきれに整理されすぎて、歴史のような複雑な問題を扱うのに、何かインチキ臭い匂いがしてきます。

 そこで、インチキついでに、少し俗で、もしかしたら性差別的だとかいわれるかもしれない説明を最初にさせてください。ひとえに、わかりやすさのためと思ってください。

 まず、<<sovereignty>>+<<the nation>>は、それぞれが「運命の意図(糸)」で結ばれるべきことを想定した二つの要素の結婚の様なものです。この結婚によってできているのが、近代国家固有統合体です。

 ここで、<<sovereignty>>を男性、<<the nation>>を女性として、比喩的説明を続けることとします。

 ここで蛇足的で、どうでもいいこととも言えますが、俗な説明なりにその一貫性を保つために付け加えておきますと、前者を男性としてイメージするのは、君主が男性であることが多く、まずはそれが統治のイメージに繋がってきたことからです。

 他方、後者が何故女性なのか。フランス革命の中でも「自由の女神」がnationのシンボルとされたこと(自由の女神」は、さらに15世紀のフランスとイギリスの戦闘においてフランス救国の英雄女性とされたジャンヌ・ダルクをシンボライズしたと言われます)、そしてそれが、さらに共和主義的な諸国全体の中にまで広がった、ということがあります。

 ここで、男性主導の結婚と女性主導の結婚を、それぞれ次のように表現します。

 <<Sovereignty>>+<<the nation>>

 <<sovereignty>>+<<the Nation>>

 つまり、それぞれが、絶対主義君主国家固有統合体、共和主義的国家固有統合体を表しています。

 これらにおいて、大文字化によって、どのようなことが改めて含意させられているかは次の通りです。

 まず、記号的に表現すると、

 <<Sovereignty>>=Absolute Monarcy <<the stat>>

    <<the Nation>>   =Republic <<the peo・the geo>>

です。

 

 <<sovereignty>>はもともと<<the nation>>との固有統合を前提としたものであり、その意味で、<<sovereignty>>は<<the nation>>をも含意してます。しかし、この大文字化は何を意味しているのでしょうか。

 それは<<Sovereignty>>には、上記の小文字の<<sovereignty>>に加え、さらに、<<sovereignty>>の固有の所有者としての固有の絶対君主の存在を含意しています。それが、上記の記号表現でも示されています。

 ここでの方法論的にいうと、大文字化には、関心の焦点を、一般的なものから、具体化された、歴史的により限定された場合に絞っていることが意味されています。

 それは、必ずしも歴史に登場する当事者としての主体の関心・意識と一致していませんが、密接な関連を持ちます。

 実際、<<Sovereignty>>は、絶対主義君主国家がほとんどを占めた時代においては、それは、大文字で示されることも少なくなかった、近代国家固有統合体を表すものであり、かつ、それは絶対主義君主によって最終的にシンボライズされたのです。

 普通日本語で訳されると、sovereigntyは主権と訳されます。ある土地とその住民に対する最上級の統治権というような意味で、またこの訳には、その主権を持つものが近代国家のようなものである、ということが何となく含意されています。

 こうした問題を考えるたびにいつも思うのですが、こうした訳語というものを作り出した人達のすばらしい原語概念の把握能力とそのためのたいへんな勉強ぶり、そして適切な訳語捻出の工夫には、どうしてこんなことが可能であったのだろうとたいへん感心させられてしまいます。

 ただここでsovereigntyという英語に注目すると、固有の絶対君主が固有の土地とその上の住民に対する固有の最上級の統治者として現れてきた歴史が含意されていることがより明確です。

 いうまでもなくreignという動詞は、君主が統治することを意味します。しかし、sovereignty--最上級の統治権--という概念は、近代国家固有統合体の誕生・成長とともに必要なものとなりました。

  近代国家固有統合体としての絶対主義君主国家の形成とは、絶対君主が、その統治対象としての領土・領民におよぶ権力を独占していく過程を意味するものでした。すなわちそれは、絶対君主が、その外部にあっては、その上方にあったローマカトリック教会の権力を排除し、その内部にあっては、横や下方にあった国内の教会勢力や封建諸侯・様々な自治団体等の並行的権力や独立性を持っていた中間的権力を無効化・奪取していく過程です。

 sovereigntyという概念は、そのような権力を表現・正当化し、またそれが発揮される過程を通じてより強固となった概念です。

 以上の説明で、sovereigntyが、国内的に集権的で、対外的には排他的な統治権力--つまり<the state>と<the people>との一対一対応の関係を保証する権力--であることがわかると思います。

 しかし、ここでまず重要なのは、sovereigntyというのは、単に、「何らかの<the people>と<the geographical space>のセットに対する排他的な支配権」--つまり、歴史的な結果として得られた、上記で述べた一対一対応という形式的・外面的な関係のみに着目した概念--を意味するのでなく、このような歴史的な過程を含意していること--つまり常に、すでに近代国家固有統合体の固有統合性を含意する<<sovereignty>> でなければならない、<<  >>を外したsovereigntyは存在しない--ということです。

 それは、武力を含めた力による統合過程を含んでいますが、短期的な統治力・支配力ではなく、歴史的な過程を含めた安定的なものであり、理念的には未来にも投影される恒久的なものです。

 つまりこの歴史的過程において、固有の<<sovereignty>>が「固有の<<the people>>と<<the geographical space>>の固有なセット」を作り出します。そこでは、この固有なセット同士での間の境界が重要な意味を持ち、長期的に動かしがたい安定的なものでなければなりません。

 このような境界を示す、あるいはそれに関わるのが、国境と国籍基準です。

 これらの境界によって区切られた、「固有の<<the people>>と<<the geographical space>>のセットは、固有の<<sovereignty>>に対応することによって、長期的に安定的な、時間的同一性(アイデンティティ)を持つ存在としての近代国家固有統合体となるのです。

 このような<<sovereignty>>概念の必要性、必然性は、以上のような近代国家固有統合体形成のいわば内的な特性だけから来ているわけではありません。

 実は、詳論は避けますが、近代国家固有統合体形成には、それと同時に誕生してきた国際システムとしての「近代国家固有統合体国際システム」という、いわば環境的な要因が重要な要素として働いています。

 この近代国家固有統合体国際システム」は、そのシステムに参加するメンバーとしての君主が<<sovereignty>>所有者であること、メンバー相互が他者をそれぞれの<<sovereignty>>所有者として認め合うことを本質的な要件としていました。

 つまり、<<sovereignty>>という概念は、①ヨーロッパの国際的な相互認知の必要という近代国家固有統合体にとっての環境的条件と②対外的に排他的で国内的に集権的な権力の必要という近代国家固有統合体とにとっての主体的条件、という2つの歴史的必要条件に対応したものであって、それは、近代国家固有統合体と当初より深く結びついた概念です。

 例えば、尖閣諸島の主権が中国に属するか日本に属するのか、という時、それが単なる地理的空間の支配権の--たんに統治の現状だけで決定されたり、一時的な力による支配だけで決定される--問題としてではなく、まずは「その地理空間がどのような歴史的経緯で、どの主権に属するのが、『そもそも、本来的に』適切と判断されてきたのか、一定期間以上統治してきたのはどの国か」というような問題設定がされるのは、主権概念に以上のような近代国家固有統合体の形成のあり方が投影されたもの、そうした歴史的な経緯を含めて理解されるべきものとされているからです。

 「運命の意図(糸)」による結婚の話から、かなり離れて長話となりました。

 この長話で言いたかったことは、まずは、小文字のsovereigntyは、その生まれからしてすでに、<<sovereignty>>として、<<  >>を身につけていたということです。

 私は、ここで結婚の話に戻って、この近代国家固有統合体の最初の形態である絶対主義君主国家固有統合体の<<sovereignty>>は、さらに最初から大文字の

 <<Sovereignty>>=Absolute Monarcy <<the stat>>

という性格を持っていたこと、比喩的に言えばマッチョの男性・・と書きかけたのですが、--これは冗談で、たまに冗談をいうと滑ります--すでに、定義として書いておいた、君主その人を含意していた、ということを付け加える必要があります。

 以上で、私が先に、

 <<Sovereignty>>+<<the nation>>

が、君主主導の結婚を意味している、と比喩的に述べたことの中身がわかっていただけたと思います。

 「運命の意図(糸)」で結ばれた、という比喩はどうでしょうか。このことについては、<<the nation>>主導の結婚の場合と合わせて、論じることにします。

 

 こうした議論をあまりするつもりはなかったのですが、書きながら、日本国憲法象徴天皇制の議論をきちんとやる上では、むしろ、こうした議論が必要、あるいは有用であるだろう、と考えるに至りました。

 次回に続けます。 

<私の憲法論> 無血革命としての象徴天皇制 VI (歴史を通じた人権の徹底を--象徴天皇制廃止の展望(8))

 前回の続きです。

 日本国憲法における<国民><国家>という問題を、英訳と関わらせて理解しようとする時、議論していた方がよい問題として、<nation>という言葉の問題があります。

 nationという言葉は、国民と訳されたり、国家と訳されたりします。何故でしょうか。どちらが「正しい」のでしょうか。

 実は、この問題に入りだすのは泥沼に入ることだ、という気持ちもあり、訳の問題として軽く扱ってすませるつもりでした。

 多くの方がご存じのように、nationをめぐっては、日本だけでも一定水準の論文が1000以上、世界中では、10000を超える論文があると考えて良いくらいの大問題です。

  素人がわかったような口ぶりでブローグに書くようなことではない、と言えます。

 いや、逆に素人だからこそブローグで口を挟むことのできる重要テーマと考えることもできるでしょう。

 ともかく私は、最低限、軽くでも触れておかないと、英訳日本国憲法の話ができないと思って、nationというテーマを取り上げることにしたのです。

 ところが、いやな予感が的中して、私を待っていたのは泥沼でした。書き直したり、調べ直したり、この泥沼から這い上がるのには苦労しました。

 私を助けてくれたのは、以下のような歴史構造主義的アプローチです。

 私としては、ずいぶんとスッキリしたのですが、本当に這い上がりに成功したかどうかは、読者の判断に仰ぐところです。

**************

 先に、近代国家の時代になると、<the state>と<the people>は、「一対一対応」の関係になることを述べました。

 この「一対一対応」は、それまでの両者の関係からいうと、特別なもので、私はそれを近代国家における<the state>と<the people>の「固有統合性」と呼びたいと思います。

 つまり近代国家は、固有の<<the state>>と固有の<<the people>>と固有の<<geographical space>>によって統合されています。

 普通、この固有の<<geographical space>>は、国名によって示されるような地理的空間に対応しています。

 何故、「固有」というか、例えば日本国は、<<他ならぬ日本の人々>>が、それにふさわしい<<他ならぬ(ある日本人)統治者(達)>>によって<<他ならぬ日本という地理的空間>>において統合(統治)される、という関係を意味するからです。

 何かあたりまえのように見えますが、ヨーロッパの近代国家までの歴史を考えれば、これが重大な歴史的画期を示していることが、見えてくると思います。

 近代国家以前の<state>は、しばしば異なった言語や文化を持つ<the people>の複数を統治していました。

 確かに、近代国家以前から、<the people>とその生活空間としての<geographical space>は、固有な一体性の関係を持っていました。

 ただ近代国家以前では、そのような<the people>とその生活空間<geographical space>の固有一体性を持つセットは、<the state>から見れば、自らとの固有な一体性を持つものではなく、<the state>にとって、切り離し可能な財産のようなもの--私有財産とはかなり異なりますが--とされたのでした。

 つまり、そうしたセットは、<state>内の構成員間で、あるいは他の<state>との間で、交換、贈与、戦争による略奪の対象とされるものだったのです。

  日本の場合も同じです。つまり、日本の徳川将軍が、各藩の藩主に、彼の考えで分割した土地(それとセットの農民)を、一種の財産(封建的な権利であって、私有財産とは異なりますが)のようなものとして分け与えたのです。

 このようなセットが、<state>にとって、財産的なものとして機能したのは、<state>と<the people>の関係が固有性を持っていないからで、<the people>は、どの<state>の下にあっても、いうことをきく--容易に統治される--存在とされていたからです。

 あるいは、むしろ<state>の本質は、どのような<the people>=<geographical space>セットが与えられても、それを統治できる統治力(そのような意味で「権威」という概念が重要性を持った)にあった、と言うことができます。

 ですから、近代国家が、固有の<<the state>>と固有の<<the people>>と固有の<<geographical space>>によって統合されたものとして生まれたのは歴史的事件だったのです。

 そしてそれは、絶対主義国家によって始まりました。

 以上の歴史構造主義的アプローチ的な枠組みによりながら、私がしようとしていることは、<the nation> がこの近代国家形成の重要な概念--モデル的概念--として登場してくることを説明することです。

 私がモデル的概念と呼んでいるのは、それがこの固有統合を促進しようとする概念として用いられたということです。

 絶対主義国家に始まる近代国家の事実としての固有統合性は、徐々に形成され、確固たるものになっていきますが、それを意識させ、モデル的な形で把握させた重要な契機が、共和制的(在民主権)国家の成立を告げたフランス革命です。

 興味深いことに、フランス革命において、こうした固有統合のモデルとして選ばれた言葉は、新しく成立する共和的国家の創造主たるべき<<フランス人民>>に対応するものでしたが、それは、<<the people>>ではなくて、<<the nation>>が採用されたのでした。

 nationというのは、ある地域に生まれた人々のことをいうわけですから、peopleと基本的には同じものということができるでしょう。

 そして、両者とも冠詞のtheをつけた時に、ある一定の地域に住んでいること、生まれたことによってまとまった人々を意味します。

 したがって、フランス革命のような時代・文脈において、<<the people>>や、<<the nation>>が、<<the French people>>や、<<the French nation>>を意味するもの、ただ形容詞のFrenchを省略するものとして用いられることは、それも普通で、本来的には、両者はやはりほとんど同等のものといっても良いのではないか、と思います。

 ところが、フランス革命において、<<the nation>>が特別な意味、固有統合を促進するモデル的な意味を込めた言葉として登場するのです。

 有名なフランス人権宣言を、「グーグル翻訳」を使って英訳してみます。

 (「グーグル翻訳」って、すごい、便利ですね)

 まず、フランス人権宣言の冒頭を、英語にすると、

The represtentaives of the French people ...... have resolved......

と始まっています。

 ここでのpeopleに対応するフランス語原文の単語は、peupleです。

 ついでですが、これは、英訳日本国憲法前文の冒頭に、

 We, the japanese people ...., acting through...... representatives....,

...... resolved

 とあったのを想起させますね。

 これらのpeopleは、私がいう固有統合性を帯びていることは明らかで、いずれも<<the people>>と表せるものです。

 つまりフランス人権宣言でも、まずは、<<the people>>というタイプの表現が、私がこれまで議論してきたような重要な政治的意味合いを持って現れてきます。

 ところが、フランス人権宣言を先に進んで行きますと、その主権を規定している極めて重要な部分が出てきますが、そこは、英語で表現するとすると、次のようになっているのです。

 

 The principle of all sovereignty lies essentially in the Nation.

 

 英語のnationは、原語のフランス語でも同じくnationです。

 このthe Nationは、何なのでしょうか。

 the peopleと置き換えてみても、意味的には何の変わりもないように見えます。そうすれば、英訳日本国憲法による主権在民の表現の用法に一致します。

 ですから、何か、不必要な新しい言葉(概念)を持ち込んだようにも見えます。

 いいえ、人権宣言の制定者達によって--それは不必要どころか、主権という極めて大切なものの担い手として--まさに新しい特別なニュアンスを込めた言葉として採用されたに違いないでしょう。

 その証拠に、Nationと大文字のNが採用されています。この大文字には、モデル的な意味が込められています。

 スローガン的に

The Nation!

と呼びかければ、

我々、一つになったフランス生まれの人々よ!

というようなニュアンスではないでしょうか。

 しかし、ここでの問題は、同じことはthe peopleでもできるはずではないか?

 何故、the nationが選ばれたのか?ということです。

 試しに、the peopleについて同じことをやってみましょう。peopleを書くときに、大文字でthe Peopleと書くことにします。

 そして、あの人権宣言の主権在民を宣言しているところで、 

 The principle of all sovereignty lies essentially in the People.

とすると、十分に、特別感が同じように出てきます。

 あるいは、

The People!

と呼びかけて、

我々、一つになったフランスの人々よ!

というようなニュアンスを込めることは、ほとんど同じように可能だったと思われます。

 では何故、nationが選ばれたのでしょうか。

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 大事なところで途中になりますが、今日はちょっと疲れてきたことと、これから、国会議員会館前の総がかり実行委員会主催の集会に行く予定もあるので、明日に続けます。