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hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

皇室のメッセージの影響力と護憲運動

 5月4日付の「世に倦む日々」氏のブログ(護憲のシンボルと説得力  ‒   ベアテ・シロタを悼んだ皇后陛下の言葉)は、鋭い提起をいくつもしています。氏は、ツウィッターでもさらに鋭く、次のように言っています。

本当は、われわれ護憲派の市民に抵抗の武器を与えるべきなのは知識人であって、その責務を負っているのは税金でメシを食っている大学教授たちですよね。誰か、武器になる理論を提起していますかね。皇后陛下のように勇気を出して行動している人はいますかね。いないじゃないですか、誰も。

大学の先生様たちは、ちゃらちゃらとマスコミに出て、顔を売って商売して、ネタを提供しているだけですよね。ネタなんだよ。左翼リベラル市場で消費するネタを提供しているだけだ。ネタだからすぐに賞味期限切れになる。護憲の説得力を作っているのは両陛下だけだ。それが今の政治の真実だ。

 

 天皇と皇后が、静かだが、深さと誠実さを持って護憲のメッセージを発していることについては、別の機会に取り上げたいと思います。ここでは、護憲運動の立場からそれをどう捉えるか、という問題の重要性を述べます。私は、「世に倦む日々」氏の視点--天皇と皇后が護憲勢力の拡大、維持への重要な影響を及ぼしている--に、はっとさせられました。このように考えたことはなかったからです。

 確かに、天皇と皇后のメッセージは、政府にとって不都合であり、NHKや多くのマスコミにおいて、系統的に検閲されています。普通の人が、メッセージの全文を手に入れることは、意外と大変で、宮内庁のサイトに見つけることができますが、宮内庁のサイトに入った後も意外と大変です。宮内庁も、メッセージを隠そうとする勢力の一部なのでは、という疑惑をぬぐうことはできません。

  皇室のメッセージが発せられ、紹介される場面では、「お言葉」をありがたく聞く、という姿勢が基本トーンになることがしばしばであり、また、現皇室の護憲姿勢を高く評価することが、昭和天皇の犯罪性、天皇制の本来的な非民主主義性を忘れさせることにつながる可能性があります。

 しかし、現に、護憲勢力の拡大、維持に、皇室のメッセージが貢献しているとすれば、統一戦線を志向する者にとって、そのことを無視することはできません。皇室のメッセージが護憲に都合がいいから、ただそれを利用する、というようなプラグマチックな発想を超えた、理論的なアプローチが必要だと思います。それは、護憲の運動に力を与え、憲法の力をパワーアップする理論的武器の一部を構成するでしょう。

 もう一つ、「世に倦む日々」氏の議論を読んでいて感じた、このことと関連すると思う理論的な問題があります。それは、日本人の感覚における平和主義と立憲主義の関係です。次回以降に議論します。あまり、理屈っぽい話はしないつもりでしたが。