hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

潜在的な統一戦線について(2)

 私は、2013年の秘密保護法反対闘争の時にも、「潜在的な統一戦線」が存在していたと考えています。

 あの時も、政党、諸組織、市民、学者、文化人、ジャーナリスト、マスコミを含む多くの人々、団体が危機意識を持って、秘密保護法反対の意思表明、行動に立ち上がりました。

 そうした中での秘密保護法成立は、けして私達の危機意識や秘密保護法反対の意思を静めるものではなく、逆に、この法を廃止するための闘いを継続しようという意志をもたらすものでした。

 この法の成立過程を通じて、政府と国会の一部(与党)による国民に対するクーデターの実施、安倍政権ファシズム的性格の明確化、があったのですから当然です。

 当然選挙を通じて、クーデターに終止符を打ちたい、現与党の支配を終わらせたいという要求、願望が広範な人々によって共有された状態だったのです。

 そして、すぐにチャンスがやって来ました。猪瀬都知事の政治献金受け取りスキャンダルによる辞任を受けて、2014年、都知事選が行なわれることになったのです。

 敵失によるチャンスです。私は期待に胸をふくらませました。政治を社会科学的な目で見る民主主義者にとって、都知事選において、統一戦線を顕在化させるという任務は明白なことと思えました。

 私はナイーブすぎました。

 共産党は、都知事選の争点は福祉問題だとして、統一の可能性を探ろうとしませんでした。

 都知事選を、今まで述べてきたような統一戦線の顕在化という視点から位置づけ、そうした視点からの統一候補を求めようとする可能性を閉ざしてしまったのです。潜在的な統一戦線は瓦解しました。

 共産党が、都知事選の争点は福祉問題だ、という言い方をするのは、東京という一地域に関わるものに見えますが、一般的に、共産党の統一戦線をめぐる基本的な立場の問題から、論点を逸らすものだと思います。

 都知事選の直前、共産党は4日間にわたる党大会を開いていますが、そこでは、秘密保護法成立によって、クーデター、ファシズム政権化という質的に異なった政治状況に入ったという認識は示されていません。

 この新しい状況も、「自公政権の暴走によって国民との矛盾が深まり、自共対決が明確化しつつある」という、基本的に従来の認識枠組みの中で捉えられています。

 従って、闘争戦術も、従来の通りに、党の主体性を強化するということが結論となっています。

 「国民との共同」「一点共闘」「革新懇談会の運動」等の言葉が出てきますが、それは、私がイメージする文字通り選挙で勝利する(多数派を占める--レトリックで「勝利」したことにするのではなく)ための統一戦線とは異なるものです。

 この大会で行なわれた志位委員長の報告において、注目したいのは次の部分です。

 

(大会決議は)「政党戦線においても、日本共産党との連合の相手が必ず出てくると、私たちは確信するものである」と表明するとともに、「そのさい、私たちの連合の対象となる相手が、従来の保守の流れも含む修正資本主義の潮流であることも、大いにありうることである」とのべました。この間のさまざまな課題での保守の人々との共同の発展は、そのことを強く予感させるものであります。

 

  ただし、この部分もすぐ続いて、次のように述べています。

同時に、ここで強調したいのは、このような政党戦線における前向きの変動は、待っていて訪れるものではないということです。それを起こす決定的条件となるのは、日本共産党が国民と結びつき、強大な組織力をもって発展し、国政において衆議院参議院で数十という議席を確保することにあります。

 

  つまり、まずは、共産党衆議院参議院議席を大幅に増大させることが先決だ、ということ、私が望むような統一戦線ということは今はやらない、ということです。

 もし、この戦術を転換するべきであったとするならば(私はするべきであったと考えます)、都知事選こそその重要な転機、チャンスでした。

 しかし、それはなされませんでした。

 逆に、この戦術を変えるべきでないとする主張が都知事選で通ったとすると(実際に、それが通ったわけです)、それ以降、この戦術を転換するための正当な理由は存在しなくなるでしょう。

 こうして、都知事選も、その後の衆議院選、統一地方選も、基本的にこの方針がとられ、統一戦線への希望は、砕かれました。

 私の頭の中の「ファシズムを前にすれば、当然、統一選線が形成される」というナイーブな考えは、否定されました。

 そこで私は、反ファシズム勢力内部におけるリアル・ポリティークをも射程に入れながら、「潜在的な統一戦線」の顕在化を構想しなければならない、ということに気づかされました。

 というか、私が気づかされたことは、むしろ、市民としての一介の研究者が、「『潜在的な統一戦線』の顕在化を、リアル・ポリティークをも射程に入れながら、構想しなければならない」等と、えらそうに能書きを垂れるようなものではないということだ、といったほうが良いでしょう。

 この「潜在的な統一戦線」を顕在化させていくプロセスは、困難で、対立でどろどろとして、失敗が繰り返される過程を含みますが、当然失敗から学ぶ過程も含みます。

 私が、「潜在的な統一戦線」というような考え方をするに至ったこと自体が、私がナイーブすぎた、という悲痛なショックを含む反省の中から生まれてきたものです。

 そして、今更それはあたりまえだろう、いわれてしまえばその通りですが、党派的な利害が統一戦線形成の障害になる、という基本的な問題を、そうした反省なの中で認識するようになりました。

 上記で長々と述べてきたことは、2013年の秘密保護法反対闘争の時にも、すでに「潜在的な統一戦線」が存在していたこと、その瓦解が、2014年の初頭の都知事選であったこと、そしてその瓦解は、秘密保護法反対勢力の主要な一部であった共産党の都知事選、それ以降の選挙における戦術が、統一戦線を志向せず、自党の議員数を増加させることを最優先するものであったことによる、ということです。

  「潜在的な統一戦線」という視点の意味は、そこから、過去の経験をどのように整理できるか、それをどう将来に生かしていくか、ということにかかっています。

 次回以降に、引き続き議論していきます。