潜在的な統一戦線について(4)--共産党も閣僚名簿に
今日のブローグは、潜在的な統一戦線というより「影の内閣」の議論です。
昨日、「世に倦む日々」氏の立憲党提案を紹介しました。すばらしいセンスですね。読み直してみると、昨日も書いた、私が感じてきた2つの問題を超えようとしていることがよく分かります。
私はここで、市民革命の展望という観点から--「世に倦む日々」氏に触発されて少しアジテーション風に述べますが--氏の議論を前提に、さらに3つの点を提起したいと思います。
第1に、立憲連合政府の閣僚名簿に、共産党議員を加えるべきです。
第2に、立憲党の綱領(基本姿勢)に、「すべての立憲勢力との共同」を明記すべきです。
第3に、小選挙区制の廃止、中選挙区制の復活を、基本政策に掲げるべきです。
これら3つは、質の違う事柄を並べたように見えるかもしれませんが、ある意味では、同じ性質の事柄でもあります。
どうして、これらが重要なのか、以下で議論します。すべては、市民革命を生み出す、私達の統一戦線運動の役割、性格から発することです。
まず、立憲新党という動きは、現在の私達市民の統一戦線運動によって生まれるものです。従来の小沢新党の結成というようなものとは全く別のものだということ、主体性、リーダーシップは、市民運動の側にあるということを明確にしなければなりません。
そうしなければ、必ずや、ただ議席が欲しく権力が欲しい連中が暗躍を始め、立憲という大義とは関わりなく、新党をただ利用し私物化することが始まるでしょう。
立憲新党が統一戦線運動によって生まれ、統一戦線運動の重要ではあるがその一部である、ということは、「すべての立憲勢力との共同」をその党綱領に書き込むことによって、明らかになります。
次に、私達の市民革命の性格について考えましょう。私達の市民革命は、現在の反戦争法案、反ファシズムの市民の運動が、さらに統一戦線運動を通じて、多数派となった時に、ファンファーレを高らかに鳴らします。
私は、過去のブローグで、民主主義破壊という緊急事態に直面した時に、それに対抗するために昨日の敵と「野合」してでも闘うのが統一戦線だ、という言い方をしたことがあります。
しかし、現在顕在化しようとしている統一戦線は、民主主義破壊という緊急事態に直面して、むしろ、本来「仲間」であった者達が集おうとしているのだ、というように思います。
私達は皆、保守主義派の人々も左翼派の人々も、政治的な対立、競争がありながらも、誰もが戦後民主主義の恩恵の中に生きてきたのです。
安保条約や対米従属の体制と憲法が示す平和主義の体制は、根本的な矛盾を有しており、それから目を逸らすことはできません。
しかし、この大きな矛盾の中でも、憲法がもたらしてくれた民主主義の枠組みは、私達にとって保革を超えた大切な宝物となっていたのです。
私達の統一戦線運動、市民革命は、何よりもこの民主主義の枠組みを愛しよう、という運動であり、その枠組みを守った上で、異なった意見間での民主主義的な競争、議論をしよう、というものです。
また長くなってしまいました。
まだ「影の内閣」の話に至らず、中途ですが、明日続けて議論します。