hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

「落選運動禁止法(公正選挙促進法)」--ファシストの本能

 昨日、18時半から20時近くまで国会前の集会に参加しました。すごい熱気で、途中で4万人が集まっているという報告がありました。

 今朝の新聞で戦争法案の成立を知りました。ネットで総がかり行動実行委員会が、今日、明日、この連休にどのような行動提起をしているか探したのですが、わかりません。

 そこで、何もないようなら、運動に参加してきた皆さん、ゆっくり休憩をとりましょう。総がかり行動実行委員会の皆さんも、本当にご苦労さまでした。SEALDsの学生さん達もありがとう。

 運動は、大きく前進しました。今、「落選運動」や沖縄型の統一候補選挙の声が出てきています。私は、このブローグを始めた初回に、沖縄に学べ、書き、それ以来、沖縄方式をスタンダードに、ということや「落選運動」についても度々主張してきました。ですから、この声に大賛成です。

 ただ「遅い」というのが正直な感想です。ファシストとの闘争には、あまり時間がないのです。

 少し逸れるようですが、理論的把握の重要性を強く感じます。安倍政権ファシズム政権であると理解していれば、「通常の」言論戦、理屈で勝てば、勝利できると考えるのは間違いであることに最初から気づいていたでしょう。

 今回の参院での「強行採決」は、従来の強行採決ですらない、「無法採決」だとすら言われています(醍醐聰のブログ : 2015年9月16日の2つのブログ)。

 この「採決」に見られることは、ファシストは、一方で国会内でもいかにデタラメを行うか、ということであり、しかし同時に、いかに「合法性の外観」を重視するか、ということです。

 ここで「合法性の外観」と言っているのは、戦争法案の成立の合法性についてです。つまり、彼らにとっては、実質的なプロセスがデタラメでも、「戦争法は合法的に成立した」と言い張れることが大事なのです。

 <言い張れる>と書きましたが、これはちょっと正確ではありません。私達から見ると、確かに<言い張っている>に過ぎませんが、彼らにとっては、<マスメディアを利用して宣伝できる>ということです。そういう意味では、彼らは私達の言論自体はどうでもいいのです。

 ナチスの行動の原則は、「宣伝」と「合法性の外観」を組み合わせて大衆の支持を得るというものでした。

 こうしたファシストと闘うには、選挙というレベルで明確に勝利しなければなりません。ファシストの知性や品性の低さを上から目線で揶揄しても、こちらはただ敗北し続けるだけです。ファシストファシストとして早くから捉えられたなら、早くからこの選挙という対策を真剣に考えることとなったでしょう。

 もし、一カ月前に「沖縄方式」「反ファシズム統一戦線」が真剣に語られていたならば、さらにいえば、4月の統一地方選の時に反ファシズム統一首長候補がスタンダードとして実施されてきたならば、どうだったでしょうか。そしてそれと結びついて「落選運動」が語られていたらどうでしょうか。

 それは、戦争法案を審議していた参議院議員(や衆議院議員)への大きいプレッシャーになったであろうことは間違いありません。

 過去の話をしてもしようがないことは確かです。

 ただ私が危惧を抱くのは、まだファシズムの凶暴さを言論界のリーダー達が理解していないように見えることです。民主主義者はナイーブすぎるように思います。

 私達にとって民主主義は価値であり、理想ですが、彼らにとってそれは唾棄すべきもの、外観だけを利用するものにすぎないのです。

 「落選運動」は、来年の参院選で力を持つでしょうか?

 私は、運動の「主」は、沖縄方式、あるいは「(反ファシズム)立憲統一連合」であり、「落選運動」は「従」であると思います。

 落選運動」は、運動内部の党派的な争いを避けつつ、与党候補を倒す賢明な方式のように思えます。

 しかし、それが本当に力を持ちそうになれば、ファシストが黙っているわけはないのです。必ず「落選運動禁止法(公正選挙促進法)」をあっと言う間に成立させるでしょう。

 これは、彼らの本能のようなものです。すでに研究していると見た方がいいでしょう。