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hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

運動を進めた3つのグループ--戦争法反対運動の弁証法的総括5

 今回の戦争法反対運動は、市民革命という観点から見ると、いくつかの論点を提出しています。

 今回の運動の主要なパワーは、平和運動的なグループから来ていて、それはスローガンでいえば、「9条を守れ」を掲げた人々です。比較的年配の人々が多かったように思います。

 次に重要なパワーは、自由とまともな民主主義を求めるグループで、若い人や海外経験のある人です。日本の閉塞状況に対し、自由と民主主義の欧米スタンダードを対置し、当然視します。

 最後に重要なのは、理論的なパワーで、立憲主義を唱えた主に法学者グループです。

 この3つのグループやそれらを支える理論は、普通はあまり区別されずに、戦争法反対勢力として一括されて考えられています。

 実際、国家を軸として理論的に考えてみると、第1のグループは、国家の交戦権を否定し、第2のグループは、国家と個人の間の恒常的な緊張的な関係を強調し、第3のグループは、国家(形成)と個人との間の関係の大前提を問題としています。

 日本国憲法における国家の交戦権の否定は、平和の内に生きる権利という基本的人権に発しています。私は、この考え方は、普遍的なものとして世界中の人々の基本的人権にすべきと思っています。

 そうしますと、民主主義国家では、本来的にここで挙げた3つのグループを支える理論は、基本的人権を基礎とする同一のものであるといえます。

 しかし、その運動参加者の動機が主にどこに由来しているか、という点を見ると、それぞれ異なっています。

 第1のグループは、第2次世界大戦の上の世代体験を、何らかの形で受け継いでいる世代で、平和を破壊しようとする安倍ファシズム政権に敏感に反応、反撃しようとした勢力です。

 憲法教育も、第9条という形で表された平和主義を、一番強く受け止めています。立憲主義という言葉は学校では聞いたことが無い世代である可能性があります。ある時までは、学校での憲法教育に、立憲主義という言葉が入っていなかったからです。

 第2のグループは、大学や高校の若い世代や大学の先生達で、個人や人権を尊重しない日本社会、政治の閉塞状況にうんざりしているリベラルな人々です。特に若い人々は、そうした状況に加え、戦争法が彼らの現在と未来を直撃するにも関わらず、閉塞状況の典型のごとく「勝手に決められる」ことに抗議して、自分達に向けられる攻撃に負けず堂々と声を上げ始めました。

 この若い世代の姿勢は、同じく閉塞状況を感じていた大学人や第1グループの人々を鼓舞し、その運動への参加者を拡大しました。

 第3のグループは、憲法学者を中心とする立憲主義を当然視する人々です。この中には政治的に保守的な人々も含まれます。安倍政権が、近代国家の基本原理を「恣意的」「簡単に」破壊することに嫌悪を示し、理論的に対決します。

 第3のグループがはっきりと姿を現したのは、第1、第2のグループの存在があったからですが、また、第3のグループの理論は、第1、第2のグループの活動を強力に援護するものとなりました。

 次回に、市民革命という角度からこれらのグループの登場の意義を論じたいと思います。

 その前に、ここで、以前にも触れたことのある、柄谷行人 の『世界史の構造』岩波書店[2010]について、再び少し触れておきます。

 そこで彼は、国家の本質を戦争を準備するところにあるとしています。また、近代化国家の出発点を絶対主義国家に起きます。同時に、『リヴァイアサン』の著者ホッブスによる社会契約を高く評価します。

 私には、これらの議論は説得的に思えます。この総括でも重要な支えとなっています。

 ところが他方、この本では彼は市民革命の意義を低く評価している印象を受けます。彼は他の著書や実践において、民主主義の実践の意義を肯定的に述べているので、そうした民主主義の実践へ姿勢がどこから生じてきているのか理解できません。

 この本が非常に良くできているので、その点が残念に思います。

 理論的には、マルクス主義的な枠組みと市民革命の意義という問題の接合という、古典的な問題だと思います。

 私の総括では、その問題はさしあたって放ったままにしておきます。