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hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

ファシズム下の「泣き言」の効用

 かなりの旧聞に属するかもしれませんが、2つ書いておきたいことがあります。

 最初は、宜野湾市長選挙の敗北です。このブローグで、私は高校時代に、日本が米国によるベトナム侵略戦争に加担することが苦痛だった、と述べました。今また、沖縄に対する政府の冷酷に、自分も加担しているという苦痛の感覚が、私を悩ませます。

 ネーションという概念は、近代国家ではとても重要な概念ですが、日本語の中ではこれに直接該当する言葉はありません。ネーションは、国家領土内の人々を意識、気持ちの上で結びつけていくような契機の存在を意味しており、そうしてできた国民共同体のことを意味しています。

 日本語の中でこれと関連して出てくるのは、ナショナリズムという言葉ぐらいですね。沖縄に対してかくも冷酷な安倍首相を始めとする政治家達、官僚達、右翼言論人は、ナショナリズムの言を弄する人々とされていますが、これは全く(右翼)ナショナリズムですらありません。冷酷な政治家達、官僚達、右翼言論人、そしてそれを批判することなく報ずるジャーナリズムに対し、私は怒りでいっぱいです。

 宜野湾市長選挙で、自民候補に投票した市民をとても責める気にはなりません。

『沖縄タイムス』1月25日付電子版の記事の見出しは、ポイントを突いている。
<「どっちか選べなんて酷」宜野湾市民、葛藤抱え1票>
辺野古移設には反発を感じるが、危険な普天間基地の固定だけは絶対困る。
これが、過半数の投票者の本音であったろう。

 

 ここまで市民を追い込んだしまった我々(本土の有権者)の無力、無関心、冷酷さを申し訳なく思うばかりです。

 それからもう一つは、保育所の待機問題に関わることです。「日本死ね」のブローグをきっかけに、運動が広がりました。そうすると、ネット上でニュースに写った写真を使って「金持ちの抱っこひものエルゴ(メーカー名)を使ってるやつが何をいう」という中傷がすぐになされました。

 あまりに低レベルです。冷静に見れば、政治的な動機、背景とともに、ただ悪意を発散したい人達の言動であって、むしろ相手にするようなものではない、というべきことかもしれません。

 しかし、戦前の隣組の組長さんが、人々の生活の隅々を監視して「告発」していたことを想起させます。

 私は言いたい、「どんな抱っこひもを使おうと勝手だろう。よけいな口出しするな」、と。

 このブローグでこんなことを言っていても、どんな効果があるか、といえば、ファシズム下では、率直な言葉、本当の感情の表出、それ自体が効果がないように見えても、十分に意味がある、と答えることにします。