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hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

歴史のすばらしい贈り物--その第1弾としてのポツダム宣言--誰が何を誰に

 前回、世界システム論的かつ歴史的視点が必要だと述べ、ポツダム宣言を出発点とする必要性を指摘しました。 

 そして、日本によるポツダム宣言の受諾は、日本の敗北--それは世界の人々が血を流して得たものでした--の結果としての国際公約だと言いました。憲法の話に入る前に、このことを敷衍しておきたいと思います。このことは、大切な点であるにも関わらず、素通りされてしまうことが多いからです。

 ポツダム宣言の受諾は、国際公約であったという点では、国家間のもの、形式的には連合国であった3国から日本に対してのものであり、そしてその性格(中身)は日本にとっては降伏条約ようなものと理解してしまうかもしれません。

 それは、全く違います!

 ポツダム宣言は、まさに、世界の人々からの私達に対するすばらしい贈り物の第1弾でした。

 もう少し詳しく見ましょう。①誰が、②何を、③誰に、プレゼントしてくれたのでしょうか。これらの答は密接に関連しています。

 ①の答は、まさに平和と民主主義を愛好する世界の人々からの贈り物であったということです。

 先に述べたように、ポツダム宣言とその受諾は、形としては、国家の首脳達による合意、署名というものですが、しかし実質的なポツダム宣言作成の参加者であるスターリンも含め、宣言署名者のチャーチルトルーマン蒋介石達の背後には、世界各国からの戦争による膨大な犠牲を体験した人々の平和を求める声、ファシズムの暴政に対する民主主義確立の声、そして植民地人民の独立、国家間の平等を求める声がありました。

 そしてそれは、制度・理念として、国際連合の設立、その憲章に結実しつつあったものです。

 つまり、ポツダム宣言が述べている、平和・民主主義・人権・その国の本来的な領土(主権)の尊重は、そのまま国際連合憲章の価値・理念でもあったのです。世に倦む日々氏のブローグは、この点を明快に解説していて、

 

1943年11月のカイロ宣言、1944年8月から文案が作業されていた国連憲章、1945年7月のポツダム宣言、これらが認識と精神を同じくするひと繋がりの文書である

 

と結論しています。

 従って、ほとんど自明な繰り返しになりますが、②の答は、ポツダム宣言は、「平和・民主主義・人権・その国の本来的な領土(主権)の尊重」という価値・理念を与えてくれたのであり、それを実現するための環境条件を与えてくれた、ということです。

 同時に、勝利国が降伏国に対して勝手をしていいという「リアル・ポリティーク」や復讐の念に駆られた行動を正当化することを、明確に否定しています。

 このような価値・理念を占領軍が完全に実現したか、あるいはそれに完全に忠実であったかといえば、もちろんそうではありません。

 しかし、ポツダム宣言そのものについていえば、それはなんとすばらしいプレゼントだったか、といわなければなりません。

 実際には、占領軍の施政には、ポツダム宣言に反する現実が含まれていました。しかし、新憲法の制定を含め、その重要なものの多くにおいて、占領軍の施政は、ポツダム宣言に沿ったものであったといえます。 *1

 最後に、③に対する答を論じます。このすばらしいプレゼントが誰に送られたかといえば、それはポツダム宣言の文面を見れば明らかに、「日本国民」であり、「日本国民の間における民主主義的傾向」を担う人々、に対してであることがわかります。

 ここで「日本国民」は、明白に、「日本国民をだまし、世界征服の挙に乗りだす誤りをおかさしめたものの権力と勢力」とは区別されています。

 そして、国民には、民主主義と平和がプレゼントされる一方で、このような「誤りをおかさしめたものの権力と勢力」に対しては、「永久に除去され」るという、罰が与えられます。*2

 国際公約としてのポツダム宣言受諾によって、日本政府が負った責任とは、このような以上のような、世界の人々からの国民に対する平和と民主主義というプレゼントを実質化するようにすること、そうした新しい政治制度、新しい政府を作り出すことでした。

 また、このプレゼントの受け手であった国民や民主的傾向を担う人々は、ただプレゼントを 受動的に受け取るのではなく、それを自らの手で実質化するために努力することが、世界の人々に対するで歴史的責任あったといえましょう。

 この責任は、もし今日の私達がこのプレゼントを受け継いでいると自覚する者であるなら、私達の責任でもあります。

*1:また私達は、占領軍の施政がポツダム宣言に反する現実があったとするならば、まさに、ポツダム宣言に基づいて占領軍を糾弾することができたし、するべきだったのです。とはいっても、正直にいって、このようにいうことは、机上の議論に過ぎるかもしれません。当時、占領軍の施政に抗することは、経済的・社会的・生命を含む身体的なすべてを奪われる可能性がありました。ただそれでも重要なことは、ポツダム宣言と占領軍の行動はイコールではなく、ポツダム宣言はまさに世界の平和・民主主義を愛好する人々の声を反映するものとして、占領軍の行動を導き、本来の役割から外れた行動を縛ろうとする役割を果たしたことです。

*2:衆知のように、1950年代には、A及戦犯であったものの名誉回復が行なわれ、また、政界復帰も進みます。ポツダム宣言のような精神性・理念性を多く含むもの、その実現過程、さらに時間の経過、諸情勢の変化、という中で、諸勢力の力関係の変化が反映しているのです。