hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

トランプ当選の意味(1)--過去をどう総括するか--新自由主義・グローバリズムの帰着点

 少し忙しくて、ブローグをお休みしていました。その間の一番大きな事件は、アメリカ大統領選で、トランプが当選したことです。

 新聞等に見る、何故トランプが勝利したかについての議論は、それぞれ理があるように思えます。

 気になるのは、多くの場合、では今後はどうなるのか、あるいはどうすべきかについて、何故彼が勝利したのかという問題の理解との論理的一貫性を持たないまま議論が述べられていることです。

 そうした一貫性のない議論の第1が、トランプは選挙中は言いたい放題を言ったが、実際はこれまでの「エスタブリッシュメント」と変わらない政策をとることになるだろう、というものです。そして第2は、トランプの政策を「孤立主義」「保護主義」という枠組みで批判、牽制しようとするものです。

 私は、一貫した見方をするためには、トランプ当選の意味を、まずこれまでの新自由主義グローバリズムの帰着点としてとらえる必要があると考えます。

 今回アメリカが辿った道と、イギリスのEU離脱を同じ文脈におく議論がいくつか有りますが、私もそれに賛成です。それは、私が何度もこのブローグで言及している柄谷行人の『世界史の構造』の視点から見えることです。アメリカの覇権は、1970年代の終りにすでにくずれる兆候があり、1990年代にはすでになくなっていました。

 新自由主義グローバリズムは、もともと凋落する先進国の資本主義がその凋落を食い止め、その優越性を長期的に維持し続けるための道具・戦略・看板でした。イギリスやアメリカでは、今でもそれを主張する支配層(大資本・政治家・上層官僚)が少なくないでしょう。

 しかし、それは一時期はうまく行ったように見えました(ロンドンのシティの世界の金融市場としてよみがえりによるイギリスの「復活」や、連邦準備制度理事会議長グリーンスパンのもとでのアメリカの「繁栄」)が、特に2008年のリーマンショックで世界経済は深刻な打撃を受け、その道は結局、低賃金と失業という古典的な貧困や過酷な労働を生み出すものであることがはっきりしてきました。

 そして今や、労働者層と若い人々が、もうそれには我慢できない、といっているのです。

 

 他方、新聞などの一貫しない議論を見ておきましょう。

 例えば、東京新聞の社説(2016年11月10日)は、次のように述べています。

【社説】トランプのアメリカ(上) 民衆の悲憤を聞け
2016年11月10日
 変化を期待して米国民は危険な賭けに出た。超大国のかじ取りを任されたトランプ氏。旋風を巻き起こした本人には、それを果実に変える責任がある。
 支配層への怒りが爆発した選挙結果だった。ロイター通信の出口調査によると、「金持ちと権力者から国を取り返す強い指導者が必要だ」「米経済は金持ちと権力者の利益になるようゆがめられている」と見る人がそれぞれ七割以上を占めた。

◆現状打破への期待
 トランプ氏はその怒りをあおって上昇した。見識の怪しさには目をつぶっても、むしろ政治経験のないトランプ氏なら現状を壊してくれる、と期待を集めた。

・・・

中年の白人の死亡率が上昇しているというショッキングな論文が昨年、米科学アカデミーの機関誌に掲載された。それによると、九九年から一三年の間、四十五~五十四歳の白人の死亡率が年間で0・5%上がった。
 ほかの先進国では見られない傾向で、高卒以下の低学歴層が死亡率を押し上げた。自殺、アルコール・薬物依存が上昇の主要因だ。
 ピュー・リサーチ・センターが八月に行った世論調査では、トランプ支持者の八割が「五十年前に比べて米国は悪くなった」と見ている。米国の先行きについても「悪くなる」と悲観的に見る人が68%に上った。
 グローバル化の恩恵にあずかれず、いつの間にか取り残されて、アメリカン・ドリームもまさに夢物語-。トランプ氏に票を投じた人々は窒息しそうな閉塞(へいそく)感を覚えているのだろう。
 欧州連合(EU)離脱を決めた英国の国民投票でも、グローバル化から取り残された人々の怒りが噴き出した。グローバル化のひずみを正し、こうした人たちに手を差し伸べることは欧米諸国共通の課題だ。
◆夢追える社会実現を
 米国の今年のノーベル賞受賞者七人のうち、ボブ・ディラン氏を除く六人が移民だ。移民は米国の活力源でもある。
 国を束ねる大統領として、トランプ氏は自身の言動が招いたことに責任をとらねばならない。顧みられることのなかった人々への配慮は、人々の怒りを鎮め、分断を埋めることにもつながる。
 米国の抱える矛盾があらわになった大統領選だった。国民が再びアメリカン・ドリームを追うことのできる社会の実現をトランプ氏に期待したい。

  長いので一部を省略しました。一つ一つの段落は、意味を伝えていますが、混乱した印象を与えますね。そもそもこのタイトル「民衆の悲憤を聞け」が、混乱の第一歩ですが、これは誰に対して言っているのでしょうか?トランプ?クリントン?あるいは世の政治家一般でしょうか?

 この社説は、最初の方で、「旋風を巻き起こした本人には、それを果実に変える責任がある」と述べ、「国民が再びアメリカン・ドリームを追うことのできる社会の実現をトランプ氏に期待したい」と終わっているので、全体として、トランプが選挙中に行なってきた煽動的、差別的言動を批判し、今後を牽制しているものとして理解すればいいのかもしれません。

 もしそれが本旨なら、民衆の悲憤を聞け」というタイトルはトランプに対して言っていることになります。しかし、トランプこそ、「民衆の悲憤」を引っかき回し、煽動し、利用した人物であることは、社説の著者を含め多くの人の知るところです。このことを承知の上で、あえてこのようなタイトルを掲げるならば、「民衆の悲憤」利用に対するもっと力強い、より鋭い、直截的な批判を展開すべきだったと思います。

 そして、翌日の続く社説「トランプのアメリカ(中) 孤立主義に未来はない」では、外交政策が論じられます。しかし、内容の紹介は今は省略しますが、そこでは「民衆の悲憤」をどうするのか、という問題とは関係なく、トランプに対する孤立主義保護主義という視点からの批判、牽制が行なわれています。

 これらの社説は、意外であったトランプの勝利の翌日、翌々日の社説ですから、まだ落ち着いた見方ができていない、という面もあるでしょう。

 昨日(2016年11月28日)の社説「米TPP離脱 グローバリズム是正を」では、アメリカの「民衆の悲憤」とTPPグローバリズムを関連させる視点を述べています。

【社説】米TPP離脱 グローバリズム是正を
2016年11月28日
 トランプ次期大統領の離脱明言でTPPは実現困難になった。発言の底流にあるグローバル化の歪(ひず)みを是正し修復しなければ、自由な貿易は前に進めないどころか、保護主義へと転落しかねない。
 世界中の新聞、テレビ、雑誌、ネットにあふれる論評、解説がトランプ氏の米大統領当選の衝撃を物語っている。
 なかでも重要な指摘のひとつに「歴史の転換点」がある。
 第二次世界大戦後、自由、人権、民主主義という理念、価値観を掲げてきた米国は内向きになり、外交も安全保障も経済も米国にとって損か得かという「取引」「米国の利益第一主義」に変容していく。米国が主導してきた国際政治、経済の枠組みの終わりという見方だ。
 冷戦終結後の一九九〇年代以降、米英を中心に加速した経済のグローバル化は、多国籍企業が富の偏りや格差の拡大を意に介せず利益を追求する貪欲な資本主義、マネーゲームの金融資本主義に化けた。負の側面が露(あら)わになったグローバル化は、その意味を込め「グローバリズム」と呼ばれるようになる。
 トランプ氏を大統領に押し上げたのは、グローバリズムに押しつぶされる人々の既得権層に対する怒りだった。これを黙殺して貿易の自由化をさらにすすめる環太平洋連携協定(TPP)からの離脱は、当然の帰結といえるだろう。

 貿易立国の日本は戦後、関税貿易一般協定(ガット)や世界貿易機関WTO)を成長と安定の土台にしてきた。このため自由貿易の停滞や保護主義の台頭を懸念する声は強い。
 だが、米国をTPPから離脱させる力は、過剰な利益追求や金融資本のマネーゲームに振り回され、暮らしが破綻に追い込まれつつある中低所得者層のぎりぎりの抵抗にある。その事実を直視しなければいけない。
 二十四日の参院TPP特別委で安倍晋三首相は「自由で公正な経済圏を作っていく。日本はそれを掲げ続けねばならない」と審議を続ける理由を説明した。
 強者の自由が行き過ぎて弱肉強食となり、社会の公正は蔑(ないがし)ろにされてTPPは行き詰まった。
 グローバリズムの欠陥、その象徴である経済格差を「公正」という価値観で是正しない限り、自由な経済は前に進めない。新たな対立を生みだして世界を不安定にする保護主義の台頭を防ぐことはできない。

 省略無に全部を引用しました。

 これも、全体として何を言っているのか、混乱した印象ですね。私は、数日前からこのブローグを用意し始めたのですが、私の「グローバリズムの帰着点」という表現に対して、この社説が「グローバリズム是正」を主張しているのを見つけました。

 ただ、この社説でも、「民衆の悲憤」と今後の方向についての関連らしきものはあるのですが、トランプのこれからがどうなるのか、世界がどう動いているのか、我々が何をなすべきなのか、見えてきません。論理的な一貫性がないのです。

 「資本主義の危機」という言葉があります。それはかつて繰り返し使われ、その毎に資本主義は危機を「乗り越えて」きたのですが、それでもこの「資本主義の危機」という言葉は、ある種のリアリティを持った言葉として繰り返し使われてきたように思います。しかし現在は、ほとんど使われていないようです。

 それは社会主義思想や現存の社会主義が、かつては力を持っていたこと、現在はその力を失ってしまったこはと関係するでしょう。

 しかし、社会主義の力の有無とは関わりなく、現在の事態が基本的に「資本主義の危機」に相当するものであることは、間違いないと思います。

 この「資本主義の危機」が、世界第一の軍事、経済大国で顕著に現れたことの深刻さを、まだ理解していないのが大勢のようです。しかし、それも急速に変わって行かざるを得ないでしょう。次回に続けます。