hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

<私の憲法論>  歴史を通じた人権の徹底を--象徴天皇制廃止の展望(2)

前回の続きです。

日本国憲法の第1条

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

 には、重要な論点がいくつも詰まっています。

 私の主張を加えながら、その論点を先に羅列します。

天皇も国民の一人であり、人権を有する。 

②しかし、この第1条は、天皇(家)を除いた国民(主権を有する国民)による、天皇という特殊公務員の職務の存在・基本内容を示した、一方的な宣言である。

 一方的というのは、この職務の存在・基本内容は、主権を有する国民が一方的に決定するということ、天皇との交渉事項ではない、ということである。 

天皇になる資格のある者(天皇有資格者)で、かつ天皇になる意志のある者が、天皇になる。この資格の一つは、憲法尊重であり、当然この第1条尊重が含まれている。

 したがって、第1条は事実上、天皇になった者と主権を有する国民との間の契約という性格も持つ。 

④在位天皇の死去あるいは退位によって生ずる天皇有資格者は、憲法にしたがって職業選択の自由という基本的人権を有するから、天皇にならない自由を有する。

 このコロラリーとして、天皇は退位の権利を有する。ただし、先に述べたように、天皇の役務への就任は(労働)契約の成立を意味するから、退位も契約内容に拘束される。

 退位に関わる契約内容は、本来的に当然天皇の役務への就任契約の事前に示されるべきものであり、皇室典範に定められるべきである。  

天皇有資格者が、就任の意志がないことを表明した場合、次の有資格者の就任意志の有無が問われる。

 最終的に有資格者が存在しなくなった時は、象徴天皇不在となるが、実質的な国家運営に困ることは全くない。

 そのまま、名実ともに共和制へと移行することもできるし、有資格者を改めて、決め直すこともできる。

 しかし重要なことは、仮に、天皇有資格者以外の国民の総意として「象徴天皇を有したい」という意志があったとしても、それを有資格者が受け入れることを義務化することはできない、ということである。 

⑥現在、退位の問題と関わって、天皇就任の潜在的有資格者の減少について、懸念する声がある。懸念する自由は誰にでもあるが、有資格者がいなくなってしまうこと、象徴天皇制が廃止されることは、この憲法の基本的な性格を変えるものではない。

 このことは、憲法学において、「憲法の3大原則(平和主義・国民主権・人権尊重)の変更は、憲法改正限界を超えるが、象徴天皇制の廃止は、憲法改正限界の中にある」という形で表現されている。

 言い換えれば、象徴天皇制廃止(あるいは象徴天皇不在状況)は憲法原則上あってはならないことではない。したがって、議論をいつも必ず当然の如く「どうしても天皇有資格者を十分に確保しておかなければならない」というところから始めるマスコミのや「識者」の論調は憲法論の視野を狭めるものである。

 

 以上で述べたような、天皇という地位・職務の契約による特殊公務員としての性格は、昭和天皇から平成天皇への代替わりによって明確になったことと言えます。

 何故なら、昭和天皇の場合は、結果としてはこの特殊公務員の地位に就いたわけですが、その以前は絶対的権力者であり、その権力を占領米軍によって取り上げられるという歴史的条件の中で、基本的に占領米軍との交渉を通じて得た地位です。

 その際、占領米軍側にとって重要なことは、天皇の絶対的な権力を実質的に奪うことであり、天皇の側にとって重要であったことは、天皇の支配の外見が持続することを制度的に確保し、それによって、天皇の戦争責任への追及を回避したり、財産の保持や経済的な国家への寄生を持続し、社会的なプレゼンスや権威を護る、という実質的な利益を少しでも可能にし、増大させることでした。

 象徴天皇制は、この両者の妥協的合意を反映しますが、基本的にこの制度の実質的な立法者としての米軍の意図と力によって作られるものとなりました。

 前回述べたように、この時点での象徴天皇制の焦点(中心的な機能)は、昭和天皇から絶対的な権力を剥奪することにありました。

 さらに憲法は国会での議論と議決を通じて成立しますが、この象徴天皇制の焦点(中心的な機能)が天皇から絶対的な権力を剥奪することにあったことは同じです。

 これに対し、平成天皇はすでにある新憲法の枠組みの中で、天皇に就任するということを選択して天皇になっています。

 このことは、平成天皇が就任時に、「国民の皆さんとともに憲法を護る」という意味のことを宣誓したことに表れていて、これによって、国民との契約が成立したといって良いでしょう。

 そこで、本来、象徴天皇の職務内容が問題となるのは当然であり、自然なことでした。

 

 実際、当事者たる平成天皇は、この問題を熟考した上で就任し、その後も熟考を重ねてきたように思います。

 ところが護憲派憲法学者は、基本的に、従来の見解を踏襲するままだったのではないでしょうか。

 (私は正直なところ、憲法学界のことは全く知りませんので、間違いであればご指摘ください。訂正します。)

 さて、上記で羅列した論点には、この職務内容の問題--象徴とは何か--がまだ含まれていません。

  私は前回、平成天皇がいう象徴活動が「憲法3原則に基づいていれば合憲である」と述べました。 

 また、かなり以前のブローグで、象徴天皇制のキモは、「象徴」と「世襲」にあると指摘しました。

 次回に、憲法第1条のいう象徴とは何か、という問題に焦点を当てて、これらを論じていきます。

 

<私の憲法論>  歴史を通じた人権の徹底を--象徴天皇制廃止の展望(1)

 もうすぐ憲法記念日です。

 政治情勢はすごい速さで動いていて、しかも、共謀罪辺野古基地、北朝鮮ミサイル発射に対するアメリカの対応、等重要問題が同時的に発生しています。

 私は、そうしたことをまとめて考えたり、他の人に訴えたりするための枠組み、思想は憲法だと思います。

 その中身の理解を通じて、今の憲法が魅力的なものだということを、どれだけ広い人々と共有することができるか、ということが鍵です。

 その点で、憲法における象徴天皇制をどう解釈するか、ということが非常に重要だと思います。

 このことは、このブローグで何回か取り上げてきました。その続きです。

 タイトルで、「象徴天皇制廃止」と述べているのですぐこれを実現する、すべての人々の平等化を図る、と思われるかもしれませんが、急ぎ過ぎてはいけません。「歴史を通じた」ということで私が言いたいのは、時間をかけて、歴史の筋道にしたがって進んでいこう、そうして象徴天皇制廃止、共和制の実現へ至ろう、ということです。

 護憲勢力にとっては、象徴天皇制は過去の残滓であり、右翼が政治利用する危険性を多分に持ったものです。

 したがって護憲運動においては、象徴天皇制は負の意味を持ち、新しくできたすばらしい憲法の中身を支える構成要素としてはあまり触れられないものでした。

 あるいは憲法解釈論として、明治憲法と対比して、天皇が絶対的な主権者であった状態から象徴に変わったという説明があり、天皇が再び権力を持つ状態にならないように警戒を怠ってはならない、という注釈が加えられました。

 私自身は、共和制主義者なのでこうした説明に賛成ですが、でもそれだけではだめだと思います。この説明は、いわゆる憲法の3大原理(平和主義・人権尊重・国民主権)との関連性がありません。

 話が飛ぶようですが、オリンピックの5輪マークや東京オリンピックロゴマークというものがあります。あれらにはたいへんなアピール効果があります。

 シンボル(象徴)、シンボルマークというのは政治的にはもっともっと重要です。

 日本国憲法の第1条は、

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

 と述べています。

 この一番最初の条項をどうとらえるか、という問題、象徴をどのように理解するかというのは大問題です。

 テレビや雑誌でほぼ一年中私達は、この「象徴」または象徴の家族の写真やそれに関わることがらを見せつけられています。

 さて、古くから現在まで続く憲法(解釈)論としての焦点は、憲法に明示された国事行為以外の天皇による公的な行為を認めるかどうか、ということにあります。退位に関わる天皇の「お言葉」の中で言及されていた天皇による「象徴活動」は合憲なのかどうか、ということです。

 護憲派憲法学者は、憲法に明示された国事行為以外は認めない、という立場が基本的なようです。

 それに対し私は、結論を先に述べますと、その合憲性の問題への解答は、時間とともにかわってきた--新憲法制定時は憲法明示された国事行為以外は認めないのが正解であったが、現在は憲法の3大原理に基づく象徴活動は合憲であるとするのが正解である--と考えます。

 この変化の区切りの目安を述べるなら、昭和天皇から平成天皇へと代替わりしたことがこの変化に対応します。

  私の主張が、時代が変われば解釈も変えていい、というようなご都合主義ではなく、逆に、共和制主義と護憲を、「歴史を通じて」徹底するためのものであることを説明しようと思います。

 1945年の敗戦によって、日本が新しい民主国家に生まれ変わったことを内外に宣言したのが、1947年5月に施行された新憲法です。

 この時は、その時まで(国内的には)絶対権力者であった天皇が「象徴」に変わった--つまり、権力としては無力化された--ということが、内外に対して示された最も大事なポイントでした。天皇の無力化と新憲法の3大原理は自ずとセットで理解されるものでした。

 他方、もし天皇が完全に無力化されれば、象徴としてすら残されず、つまり完全な共和制が実現していたでしょう。この意味では、象徴としての天皇が残されたのは、共和制支持勢力天皇制支持勢力の妥協の産物であり、それは昭和天皇自身の希望、妥協を含んで形成された合意です--新憲法は旧憲法の改正という形式によって成立していますから、このことは昭和天皇の合意を形式面でも示しています。

 それにしても、今まで絶対権力であったものが、象徴に変わったわけですから、共和制主義勢力にとっては、基本的な勝利が得られたといえます。

 この新憲法の立法意志から言えば、第1条は、天皇の無力化が主旨だったのですから、天皇の影響力を厳格に制限することは当然で、そのために、第7条における天皇の国事行為の列挙が、それ以外の公的行為の禁止を意味することは、ごく当然の憲法解釈であったというべきです*1

 新憲法における象徴天皇制に関わる条項の機能としては、いわば現人神とされ、戦争責任の核にあった天皇を無力な人形のようなものとすること、が意図されていたというべきでしょう。

 仮に、この条項が厳格に運用され、そしてそのまま、無力化が徹底され、共和制憲法制定へと進んでいれば、議論は必要なかったのですが、現実の歴史はそう単純には進みませんでした。

 政府は、国会開会式における「お言葉」を始めとして、様々な憲法に規定された以外の不適切な公的行為を行わせました。

 私は、そうした公的行為は、昭和天皇の側が憲法の規定を盾に拒否することが可能であったと考えますが、彼は拒否しませんでした。

 昭和天皇自身も統治者的な意識が連続していたこと(1947年の沖縄の米軍占領継続を望む「沖縄メッセージ」など、明らかに憲法違反に類する行為を犯している)、様々な範囲の周囲の者達も、戦前からの天皇制の習慣・言動をできる限り維持することを望んでいたことがあるでしょう。

 特に国会の開会式における天皇の「お言葉」は、天皇の無力化という憲法によって明確化された歴史的課題から見れば、倒錯的なものであったといえますが、しかし、国会という国民主権が最も徹底されるべき場において、共産党を除いたほとんどの野党議員もそれを問題にしてきませんでした。

 ただ事実問題として、新憲法の下で、昭和天皇の権力は無力化され、時間の経緯とともに、そうした無力化がほぼ確定すると、憲法第1条の天皇を象徴化することの意義は、自ずと戦前の絶対的権力の否定、無力化ということから、象徴としての積極的な意味の付与へと変わってきます。

 特に、昭和天皇から平成天皇に代替わりした以降には、天皇の権力としての無力化という課題はほとんど意識されなくなりました。

 憲法解釈の問題として現れてきたのは、何故、天皇を象徴化するのか、という問題です。

 それは、以前は天皇が絶対権力だったから、それを無力化するために象徴化したのですが、もうすでに無力化されたわけですから、無力化を理由とする象徴化の必要はなくなります。積極的に、天皇世襲化された天皇を象徴化することの説明が必要となります。あるいは、過去との対比においてではなく、現在において象徴ということの中身が積極的に何なのか、ということが問題となります。

 若い人が、憲法の最初の第1条を読んで、普通に感じることは、象徴って何?ということではないでしょうか。

 私は護憲の立場に立つ共和制主義者として、日本国憲法の中とそのあり方のこれまでの経緯に、このような現在的な意味で、天皇世襲化された天皇を象徴化することの理由と同時に、そうした象徴天皇制を廃止して、完全な共和制へと移行していくための歴史的展望を見いだしたいと思います。

 そうした展望を提供する鍵は、憲法を生み出した歴史的経緯と憲法の人権論です。

 次回に続けます。

 

*1:横田耕一「制憲前後の天皇像--象徴天皇制の解釈における〃連続性〃と〃断絶性〃序説--」(法政研究. 45, (1), pp. 26-64, 1978. 九州大学

グローカルな実践と理論--資本主義の危機あるいは終焉(理論編8)--現在から見たフーコーの限界

 本ブローグ4月3日の記事で、潜在的なエネルギーを持つものをコントロールすることに焦点を当てる「新しい工学」の潮流と、<自由>や<競争>でエネルギーを持つ人間のコントロールを志向する「新自由主義」の潮流は、対応関係にあることを指摘しました。

 長くなりがちなので、結論を先に書き、簡潔にその根拠を書くように努めます。

 ①フーコーは、1970年代末に、新自由主義が統治テクノロジーであることを明確にし、その思想的ルーツがドイツのオルド自由主義にあり、また、その現代的なものとしてアメリカの新自由主義があることを明らかにしました。

 ②ところが、この統治テクノロジーの使用者である国家の支配力が、このテクノロジーによって強化されるとは考えず、逆に、国家は「減退」しているといいます。

  まず、②の問題点について述べます。

 フーコーは、「国家の減退、国家化の減退、国家化し国家化される統治性の減退の兆しがある」と述べています(フーコー [2008]『生政治の誕生 : コレージュ・ド・フランス講義一九七八-七九年度 』筑摩書房、p.237)。

 えっ! せっかく、新自由主義が統治テクノロジーだと喝破しているのに、これではだいなしです。

 これでは、新自由主義者の言い分がそのまま実現していることになります。「小さい政府」ということですね。

 また①については、フーコー新自由主義が統治テクノロジーとして合理性を持つものであることを強調し、またそれを単にテクノロジーとしてとらえます。そして、それが持つ資本主義との関連やイデオロギー性、そうしたことからもたらされる矛盾や破綻の可能性を議論しません。

 このような把握では、新自由主義が非常にスマートな支配方法として、未来永劫私達を支配するものとなってしまいます--これもまた奇妙なことに、新自由主義者の言い分(合理性の主張)がそのまま受け止められた結果というような印象を受けます。そしてそれは、一部のまじめなフーコー信奉者に、現代社会に対する絶望感を与えているようです。

 それに対し、私は、このブローグで依拠してきた柄谷行人アンディ・グリーンが指摘しているように、新自由主義は、逆に国家を強化するものだと考えます。

 そして注意すべきは、この国家の強化は、資本主義の危機に対応したものでもあることです。

 つまり第一に、新自由主義の本質は、資本主義の危機に対応するために、弱肉強食の「野蛮な」原理を経済分野に適用し、さらにそれに止まらず、政治、社会の分野全体に適用しようとするものである、と把握します。

 第二に、新自由主義は、その手法として、「新しい社会工学」としての新自由主義的統治テクノロジーの手法と成果を利用して「効率的」な支配--すべての分野における弱肉強食の原理の貫徹--をもたらそうとします。このテクノロジーは、「自由」「競争」「自己責任」を積極的に「生産」し、力のある者(国家や資本)がそれを思う方向に、「効率的」にコントロールしようとするものです。

 第三に、この新自由主義的統治テクノロジーが、「自由」「競争」「自己責任」「効率」といったキーワードによってとらえられる外観を持つことは、それ自体重要な意味を持ちます。つまりそうした外観は、本質的に「野蛮な」弱肉強食の原理を覆い隠します。この主義が普遍性を持った合理的なものである、という外観がもたらされるのです。

 しかし実際のところ、この新自由主義的統治テクノロジーの使用が、「効率性」をどの程度実現しているかは、疑問の場合が少なくありません。

 新自由主義的統治テクノロジーは、国家や資本にとって好都合な、本質的に野蛮な政策を実行するための手段を提供すると同時に、そうした政策を合理性や効率性を持ったものと見せかける、という二重のイデオロギー性を持っています。

 ところで、何故、統治性、統治テクノロジーという視点から議論しているフーコーが、新自由主義に関して、「国家の減退」や新自由主義の合理性の強調というような見方をすることになったのでしょうか。

 大きく言うと2つの理由があります。第1は、フーコー自身の方法論的、視点の問題です。彼は統治性の議論を、国家や資本と結びつけて行うことを意図的に避けています。

 もちろんフーコーは、国家が統治テクノロジーを使用する主体になる場合についても議論しているのですが、彼にとってそれは権力主体の一つのケースに過ぎず、特別な意味・意義を持たせてはならないのです。

 しかし、近代世界にとって国家は権力の特別の結節点であって、他の権力とは異なる極めて特別な位置を持つものです。詳論はしませんが、これは国家の起源、国際的な近代国家体制の成立といったことから理解されます。

 近代国家が強大なものになり続けていることは、各国の軍事力・軍事費が基本的に増加し続けたことに見ることができます。この30年くらいの間、対GDP比で見ると減少している国が多いですが、絶対額の実質で見ると、ほとんどの国で増加傾向が見られます

  アメリカについては、さらに70年前からのデータが簡単に見られますが、同様のことがいえます。

 こうした現象の実態がどのようなものであるかについては、ギデンズの『国民国家と暴力(松尾精文, 小幡正敏訳)』而立書房[1999]が、情報の問題も含めて論じています。

 またフーコーの「国家の減退」というとらえ方の背後には、彼が国家と資本の結びつきの問題を見ようとしないこともあります。

 しかし、この結びつきは、絶対主義の時代に見られた歴史的な過去のものというだけではなく、ずっと重要性を持ち続けています。

 国家の論理と資本の論理は別のものですが、基本的にお互いを支え合わないと自分自身を維持していけないのです。双頭で体は一つの生き物です(柄谷行人の表現)。

 特に資本主義の危機にあたっては、国家はその対応策実施の中心舞台となります。規制緩和や民営化といった施策は、国家の弱体化を意味するのではなく、その危機に対応するための要衝としての役割を果たしていることを意味するのであって、国家の重要性の認識を高めるものです。

  多国籍企業が国家を超えた力を持つ、というような考えもあります。しかし例えば、アメリカを根拠地とする多国籍企業がアメリカ国家を超えた力を持つ、という理解が間違いであることは、現在、トランプ政権の登場とそれに対するアメリカ大企業の対応によって明らかになっていると思います。

 フーコーが「国家の減退」を主張したり、新自由主義の合理性を強調することになった大きな理由の2番目は、彼が新自由主義に着目した時期があまりに早すぎた、ということがあります。

 彼の新自由主義に関する講義は、1978年に始まり、1979年の4月に終わっています。

 イギリスのサッチャー政権は、1979年の5月に始まりますから、フーコーはまだ、新公共経営論(new public management)の実践を見ていないことになります。

 サッチャーや1981年に米大統領に就任したレーガン等の新自由主義的政策が、大資本や投資家達の利害をいかに代弁したかも見ていません(ハーヴェイ[2007]『新自由主義 その歴史的展開と現在』作品社、参照)。

 日本の小泉政権の下では、様々な経済審議会において直接の利害者が発言権を持ち、決定を推進するということが堂々と行われました。

 こうしたことは、「国家の減退」や新自由主義の「合理性」といった見方ではとらえられません。

 さらに、私達は現在のファシズム段階から新自由主義の本質について振り返ってみることが可能となっています。

 例えば、安倍政権の下では、小泉政権をはるかに超えた利権の私物化がこれまた堂々と行われていますが、これは、小泉政権が用意した政治、社会環境との連続性の観点からとらえられるべきものです。 

 機会を改めて論じますが、日本に限らず、新自由主義は現在の世界各国のファシズム体制に繋がるものであったのです。

 つまり今私達は、新自由主義が、テクノロジカルな外見、普遍的な合理性、効率性を担保するような外見によって、その野蛮な本質を覆い隠す、統治テクノロジーであったことがよりはっきり理解できるようになってきたと思います。

 現在の国際的なファシズム体制の出現は、資本主義の危機が深まった段階、新自由主義のテクノロジカルな外見、普遍的な合理性、効率性を担保するような外見を維持した対応ができなくなった段階に対応しています。

 野蛮な弱肉強食を隠すことができなくなって、それが表に現れつつあるのです。

 私がフーコーの分析の弱点を指摘するのは、今日の後知恵をもってあげつらおうとしてのものではありません。それはフーコーに学びながら、今日のファシズムの誕生を理解しようとする立場からのものです。

 

共謀罪法反対のために私達はどうすればいいのか--あかりちゃんを想い起こす

 一昨日(4月6日木曜)、日比谷公園共謀罪法に反対する集会、デモ、国会請願に参加してきました。「総がかり実行委員会」と「共謀罪NO!実行委員会」主催で、3700人集まったそうです。

 久しぶりに、野外音楽堂の中に入ることができました。先々週の国会前行動は500人、先週も500人、今回は大集会でこの人数ですが、ともかく、運動を続けている方々に敬意を表します。

 私は安倍政権をファシズム政権と考えており、早くそれを倒さなければ、国内的な政治抑圧のさらなる進行、対外的な戦争が必至であると思います。

 では、どうしたらいいのでしょうか。

 今まずは、こうした集会に参加していくこと、様々な形で意思表明していくこと、それ以外こうすればいい、とういような特別な方法を私は思いつきません。

 一人でも私達のこうした集会への参加者を増やすために、一人でも私達の運動への共鳴者を増やすために、ちょっと気になったことを書きます。

 最初に私が言いたいこと、結論にあたることを書いておきます。

 私が想い起こすのは、2015年の戦争法反対運動の時のあかりちゃんの素敵な言葉です。

 ここに、もう一度コピーします。

 

 

【あかりからのお願い】 終盤戦だからこそ、 内向きの盛り上がりに酔わないで。 自分たちの外側にいる人たちに語りかけて。 感動するのは後でいい。 感慨は5秒で捨てて、冷静に。 あなたの言葉は「いまやっと気付いた遠くの誰か」のためにある。 言葉を外へ。 丁寧に。丁寧に。 

 

 

 今は、共謀罪反対運動の序盤戦です。しかし、これまでの闘いで多くの人は疲れています。あかりちゃんがいうような内向きの盛り上がりに感動するというのではなく、「何でまわりの人々がこの酷い政権の危険性に気づかずに、支持し続けるのか」いらだちで、ちょっと言葉が乱暴になってしまう可能性を感じます。

 あるツイッターでは、安倍支持の国民をバカ呼ばわりしていました。

 そうではなく、

あなたの言葉は『いまやっと気付いた遠くの誰か』のためにある。 言葉を外へ。 丁寧に。丁寧に。」

語りかける必要があります。

 新しい気持ちで、丁寧に話をしないのならば、そんなのは誰も聞いてくれなくて当然です。

 日比谷公園集会に、創価学会の旗を掲げている参加者がいました。私もおやっと気づいたのですが、ところがある人が、「裏切り者の公明党」と怒鳴りました。すると、その創価学会の参加者は、「そんなことをわざわざここにきている私に向かって言って何の意味がある。はらわたが煮えくり返る」と怒りました。

 その創価学会の人が怒るのはもっともです。

 私達の心の中には、同じような闘いをまたしんどいな、というような気持ちがあること自体は当然だと思います。

 しかし、気持ちを切り換え、新たな気持ちで、丁寧に共謀罪法の危険を語っていって、運動をひろげていきたいと思います。

グローカルな実践と理論--資本主義の危機あるいは終焉(理論編7)--ポパーのピースミール工学とフーコー

 今回は、フーコーによる新自由主義を統治テクノロジーとしてとらえるという視点を、ポパーのピースミール工学という論点と関わらせて議論します。

 私の見落としでなければ、フーコー自身がポパーに触れた箇所はないようです。しかし、フーコー新自由主義の議論を社会思想の中に正しく位置づけるには、それを工学、社会工学の流れに位置づけて理解する必要があります。

 フーコー思想は、フランス現代思想という枠組みで紹介され、それは構造主義ポストモダンというような流れの中で語られるのが普通です。

 専門研究者の研究はどんどん専門化して大きな流れ、重要な背景が見えなくなっています。すでにフランス現代思想という枠組み自体が、専門化した狭いものになっているように感じます。

 しかし私は、フーコーの統治テクノロジーという発想に、社会工学的な発想・アプローチ、その発展というものが直接的、間接的に影響を与えていたことは疑いのないことだと思います。

 私がそういうのは、文献的な証拠をすぐに示せるからではなく、フーコーのような人物が同時代的な社会思潮を知悉していない事はあり得ないと考えるからです。

 また、構造主義者達やフーコーの方法論は、当時の科学論をめぐる議論を意識したものであったことは知られています--ただし、このことも今日ではあまり触れられませんが。ポパーは科学論において重要な論者の一人でしたから、フーコーポパーを読んでいるのは当然で、その中には、ポパーの社会論も含まれていたと考えるのは自然です。

 私の今回の議論の結論的な構図を言いますと、①情報理論に体現される「新しい工学」の発展、そうした流れの中で、②社会工学の最新形態としての新自由主義、ということになります。

 フーコーの議論も、そうした構図を踏まえると理解しやすく、フーコーの貢献を--「フーコー的バイアス」から逃れて--改めて確認できます。

 まず、「新しい工学」というのは私の表現で、この100年くらいの間に、工学的な世界の中で、広い意味での情報の重要性が自覚化されてきて、それに対応した様々な理論や機械(特にコンピューター)の発展を支えたような工学的潮流を指します。

 工学のような理系の世界では、常に新しいものが古いものに置き換わるのが通常ですから、ある時点で「新しい」などと言ってもすぐ古くなってしまうので、わざわざ「新しい」などと言いません。

 そこでは、新しいものが古いものに完全に置き換わるので、古いものを完全に忘れてしまっていいのです。場合によっては、むしろ完全に忘れてしまった方が、新しいものがうまく機能すること、その理解を早め、容易にすることもあるくらいです。

 ただ私が「新しい工学」という言い方をしているのは、歴史的な視野からの特徴付けが必要だからで、この100年くらいの間の工学における質的な発展を自覚化、シェーマ化したいからです。

 それは、コントロールという分野それ自体、情報という分野それ自体の重要性の自覚の問題です。

 ものを動かすには、エネルギーがいります。しかし、コントロールという作業は、その部分はほとんどエネルギーを使いません。

 例えば、スイッチを入れて電灯をつけるとします。電灯は、電気エネルギーによって明るくなりますが、スイッチを入れるのは人間です。もちろん、人間がスイッチを入れる作業(電灯をつけたり消したりするコントロール作業)も、物理的なエネルギーを要しますが、電灯が要する電気エネルギーと比較すればわずかです。

 もし、スイッチを入れるという作業が面倒なものあったり、エネルギーもかなり要するものであったとしたら、そもそも「スイッチ」という概念から遠くなってしまいます。

 上記の例から、今、コントロール(統御)という概念を次のように定義します。

 

コントロール(統御)とは、潜在的なエネルギーを持つものを、思うように動かすことである 

 

 ここで、「潜在的なエネルギーを持つもの」の代わりに、「『自由な』人間」と置き換えれば、私が何を言いたいのかわかっていただけるでしょう。つまり、

 

新自由主義の統治テクノロジーとは、「自由な人間」を思うように動かすコントロール(統御)技術のことである

 

 人間活動のエネルギーは、「自由」があり、「競争」があるほど高くなるとします。

 すると、この「新しい工学」の視点からは、「自由」や「競争」を押さえ込むことが目標となるのではなく、むしろ、それらを「解放」「奨励」した上で、それをコントロール(統御)することが目標となります。

 工学の分野でのこうした視点の出発は、杉田元宜 [1977](『工学的発想のすすめ』(国民文庫)大月書店)によりますと、例えば次のような面白いものがあります(59ページ)。

 巨大な船舶が荒波で揺れるのを防ぐのに、スペリー方式という巨大ジャイロを用いた上での力づくで対抗する方式--古い工学的方法--から、元良方式では、(1)ジャイロから得られる揺れの方向という情報、(2)荒波の中での船の進行に伴う水力学的なエネルギー、の2つの組み合わせを利用した、船腹のひれの角度のコントロール--新しい工学的方法--へと代わったといいます。

 この元良方式は、1920年の発明です。

 杉田は、もっと古く単純な例として、帆船を挙げています。帆船は、風がないと動きませんが、風さえあれば、風と逆方向へも航行できます。

 ただ帆船は工学の成果ではないので、新しい工学ということはできません。

 また元良方式は、工学の成果という意味で、新しい工学と呼ぶことができますが、コントロール(統御)の分野の独自の重要性が、それが発明された時点では、方法的な意味ではまだ自覚化されていなかったことが、杉田によって指摘されています。

 情報理論サイバネティクス、コンピューターやIT技術の発展を伴いながら、コントロール(統御)の分野の独自の重要性が自覚化されていくのは、この100年間くらいの間の過程なのです。

 杉田が勧めている「工学的発想」とは、こうしたコントロール(統御)の自覚化の潮流に共通する新しい工学の発想のことです。

 すでに、この「新しい工学」の発想が、新自由主義の統治テクノロジーに対応していることを述べましたが、急いで、社会テクノロジー、フーコーの統治テクノロジーとの関連を述べます。ポパーの議論がここで出てきます。

 工学の根本的な精神は実践にあり、その使命と使命の実現方法は、明らかにされた目的に対し、その実現のための「機械」を創り出すこと、その機械の制作過程を具体的に提示することです。

 社会に対しても、統治という観点からこうした工学的精神や工学的使命・方法を適用する動きは、やはり、この100年間くらいのことです。

 近代国家の統治テクノロジーという意味では、それは、近代国家の誕生以来それは存在しますし、社会科学のかなりの部分が、そうした統治テクノロジーとして発展してきました。

 このことは、フーコーの問題意識そのものでしょう。

 しかし、自然科学をモデルとして、あるいは自然科学に基礎を持つ工学をモデルとして、統治方法を提出しようとする態度は、やはりこの100年くらいの間に始まったといっていいと思います。

 社会(科学)の分野で、工学的な発想に基づくものとして重要なものが、社会計画(経済計画)です。ソ連の1928年に始まる第一次5カ年計画が有名で、二次、三次、・・と続いた経済計画は、成功したものととらえられ、第二次世界大戦後は、発展途上国、資本主義国でも、計画がはやります。

 その特徴、前提、あるいは仮定は、中央の集権的な当局が作った計画に、下部組織が忠実にしたがって(したがわせて)全体が動いていく、というものです。

 マンハイムは、1935年に出版した『変革期における人間と社会』で、計画の重要性を論じています。

 他方、計画ではありませんが、重要な社会工学的政策として、ケインズ主義的な経済政策を見逃すことはできません。

 しかし、社会工学的なものが社会科学における重要テーマとして現れてくるのは、第2次世界大戦後であり、それは福祉国家の出現、形成と対応しています。

 それが、先に述べた社会主義的な中央集権的な計画に反対する、カール・ポパーのピースミール工学です。

 ピースミール工学を提唱した『歴史主義の貧困:社会科学の方法と実践』は、1957年の出版です。

 先に結論を言うと、ピースミール工学は、福祉国家の統治テクノロジーの思想、イデオロギーです。

 ピースミール工学は、社会科学全般の工学化を予告し、促進しました。そして、予告は実現したのです。今日のアメリカを中心とする社会科学は、多くが工学化しました。

 しかし私は、ポパーのピースミール工学の主張がなかったとしても、遅かれ早かれ、社会科学の工学化は進んだろうと考えます。何故なら、それは福祉国家が要請するものであったからです。またポパーのピースミール工学の主張がなかったとした場合は、「別のポパー」が現れた可能性もあります。

 あるいは別の言い方をすれば、ポパーの議論は、すでにその時に存在した社会科学の工学化の動向を直観し、それを意識化して表現したものであったといえるでしょう。

 少し横道に逸れますが、ただ不思議なことに、ポパーのピースミール工学の議論の中には、ケインズ主義的な経済政策に関する言及がありません。

 私が想像するに、それには2つの理由があるように思います。第1は、ポパーにとって彼の科学観、工学観からして、ケインズ的政策についての真偽をいいがたく、その意味で評価し得なかったこと、第2に、ピースミール工学は、中央集権的な計画による「革命」的な道に対抗する、漸次的な社会改良の理論なのですが、ケインズ主義的な政策は、社会改良(を維持し続けることが可能な)理論なのか明確でないこと、です。この第2の論点は、第1の論点に含まれている、ということもできます。

 ポパーは、社会科学の中では、経済学だけが科学の水準に達していると言いますが、それは数理経済学を指しているようです。ケインズの『一般理論』を私は読んでいませんが、それは非常に難解で、普通は解説書を読まなければ理解できないと言われています。しかもその内容は、むしろ数式を使った方が理解が容易になるはずなのに、それが使われていないというのです。

 もしかしたら、ポパーのように深い教養を携えた人物にとっても、数式的な表現があるかないかということと議論の明晰さとは等価物のようにとらえられており、その点でケインズは明晰さを求めるピースミール工学の範疇に認めることができなかったのかもしれません。

 しかし、今日的な眼、あるいは私の眼から見ると、ケインズ主義もピースミール工学の一つです。

 さて、ポパーのピースミール工学ですが、これは、漸次的工学と訳されたりしています。確かに、彼のいうピースミール工学という言葉には、そういうニュアンスも含まれていますが、まず、それは、積み木細工のように、部分部分をばらばらのもの(ピースミール)にして扱う、というニュアンスを込めたものです。

 ポパーの議論を少し敷衍して説明します。彼は、集権的に全体を扱う計画は、強制性、集権性を強めざるを得なくなり、不可避的に民主主義に反するものとなるというのです。したがって彼は、集権的に実行する(強制する)社会全体に関わる設計図を作成すること、それにしたがった行動(政策)を否定します。

 彼はまた、ピースミールの集合が関連し合って、全体を構成していることを認めますが、そうした全体の関連性を正確にとらえることは不可能であり、特にその時間的変化(歴史的変化)を予測したりコントロールすることは不可能であると考えます。

 それゆえ、先に述べたように、社会全体をかえていくための設計図というものを作るのは不可能であり、それを作り、無理矢理、実行しようとすると、その実行主体である集権体制は、不可避的に強権的な体制になっていく、ということになります。

 しかしポパーは、社会を把握したり、あるいは社会を動かすために工学的な手法、彼のいうピースミール工学を、むしろ積極的に推奨します。

 しかもそれは大規模なものであってもよい、というのです--それが失敗の可能性を認め、その場合は修正しながら--つまり漸次的に--進むということを明確にするなら。

 彼が考えている失敗の可能性、計画が予定通り進まない一つの原因として、「人間的要因」のもたらす不確定性があります。

 ここで彼は特に議論していないのですが、おそらくこの「人間的要因」とは、政治的価値としての個人の自由を含みつつ、また、広く人間的な要素全般も意味しているものと思われます。

 ところで、私は先に、「新しい工学」がこの100年の間に発展してきたとしたうえで、新自由主義の統治テクノロジーが、それに対応したものであることを示しました。

 では何故、ポパーのように、頭脳明晰で工学的な学問を高く評価していた人物が、「新しい工学」の動向を反映した議論展開をしなかったのでしょうか。 

 彼のように民主主義的な価値を唱えて、ソ連の集権主義に反対した理論家が、何故個人の自由を基礎にした「新しい工学」に対応する、いわば「新しい社会工学」を展開しなかったのでしょうか。

 その答えは、すでに述べたように、ポパーのピースミール工学は福祉国家が必要としたもの、福祉国家の思想、イデオロギーだったからです。

 福祉国家が必要としたのは、まず国家による介入を正当化し、導いてくれるものでした。

 ポパーにとって、個人の自由の尊重を前提としながら、科学的、工学的な態度を貫徹させるならば、国家による介入も、積極的に認められるものです。

 しかし、このような立場からは、個人の自由をも工学的観点から利用する、コントロール(統御)するといった新自由主義の統治テクノロジー(「新しい社会工学)は出てきません。

 この新自由主義の統治テクノロジー(「新しい社会工学)は、まさに、新自由主義国家の時代の思想、イデオロギーとして現れるのです。

 フーコー新自由主義論は、こうした工学、社会工学の発展と同時に新自由主義国家の誕生という、2つの文脈に位置づけるとより深く、かつ、わかりやすく理解できると思います。

 かなり長くなってしまいましたが、次回、もう少し工学的な視点の意義に触れた上で、フーコーの問題点を述べることにします。

安倍政権を倒す新た波を--民主主義の再生(ルネッサンス)としてのデモ

 23日(木曜日)、久しぶりに総がかり主宰の国会議員会館前の集会に行ってきました。

 テーマは、共謀罪法案反対でしたが、ちょうど折から籠池証人喚問があり、その報告も半分ぐらいを占めました。

 500人集まったとのことです。機動隊等の車はいっぱい配置されていたのに対し、こっちが少なくて残念です--たまに来て、こんなことを言えた義理ではないのですが。本当に、地道に運動を続けている総がかりの皆さんに敬意と感謝の意を表します。

 今のような政治状況の中で、民主主義とは何か、と問われれば、私はそれはデモや集会だと答えます。

 もちろん、選挙も重要です。結局は、選挙を通じてファシズム政権を倒さなければならないと思います。

 しかし、腐敗した不当な権力と対峙する集会やデモは、民主主義の原点であり、非常にわかりやすいシンボリックでかつ現実的なアピール力のあるものです。それは、窒息しつつある民主主義に、酸素を供給し、その再生をもたらします。

 だからこそ、腐敗・不当な権力はそれを忌み嫌い、弾圧し、マスコミによる報道を抑えようとします。

 共謀罪南スーダン自衛隊派遣、沖縄基地建設、特別立法の天皇退位制度、教育内容・教科書統制、内閣人事局を利用した行政の私物化、・・・・  

 現在の日本の民主主義は瀕死状況にあるが、またそれに対抗する運動を展開するチャンスもやってきた、と多くの人が危機意識を持ちつつ、今後に期待をつないでいると思います。

 私も、原点に戻って思考し、行動するつもりです。

グローカルな実践と理論--資本主義の危機あるいは終焉(理論編6)--フーコーの新自由主義論とその限界C

 前々回、フーコーの二つ目のすばらしさとして、新自由主義の新しさを浮き彫りにしていること、というふうに述べました。しかし改めて読み直してみると、「浮き彫り」というには明確さに欠いており、レトリックのような部分や彼自身が思考を試行的に重ねている部分を感じます。

 ただし、分析に無理があるところや、レトリックが先行しているところは、フーコーの欠点というよりも、むしろ、普通の歴史研究者と違って、強力な現在の問題意識から過去を見ようとしている、フーコーのすぐれた感性、直感力の反映というふうに理解すべきと思います。

 そこで、ともかくフーコーの議論を私なりにまとめます。

 フーコーは、新しく現れてきた新自由主義の2つの源流に注目します。

 第1は、ドイツのオルド(秩序)自由主義です。この議論の新しい点は、①自由な市場において、その理論的重点は「交換」ではなく「競争」にあることを強調する、②国家の必要性、正当性は、自由な経済・社会関係を創り出す限りにおいてであることが明示化、自覚化される、ということです。

 ①の点について。生産のダイナミズムを創り出し、持続させ、さらに発展させるには、商品が自由に交換されることは必要条件の一つですが、企業や個人の自由なパワーを「競争」という概念に集約させて表現、把握する必要があります。政治的にも経済的にも、「国家からの自由」という概念だけでは、このダイナミズムを支える内的なパワーとしての「(自由)競争」の鍵的重要性がとらえれません。自由な競争を行おうとする企業や個人という主体が前提とされ、重要視されます。

 ②の点について。国家は、このような「自由競争」を創り出し、維持するために必要であり、そのためだけに存在理由(正当性)があるとされます。

 フーコーのオルド自由主義への関心は、それが、競争する自由な主体(企業)を育成し、独占化しないように維持すること、そうした企業によって社会が構成されることを目指す、統治理論という性格を持っていることによります。

 第2は、アメリカのシカゴ学派フリードマンに代表される新自由主義です。そこでは、あらゆる人間の行動が、したがって人間の行動の総体としての組織、制度、社会等が、ホモエコノミクス的な個人の原理から説明されるものとされます。

 フーコーは、このアメリカの新自由主義を、無政府自由主義と呼び、主にフリードマンの弟子であるゲーリー・ベッカーに言及しています。何故なら、ベッカーこそが、新しい統治技術としての新自由主義の現実的な可能性をすべての領域に広げていく理論的、方法的な基礎を具現化したからです。

 俗っぽい、しかし非常にわかりやすく「普遍的」な言い方をすると、すべての個人の行動を「損得勘定」で理解しようとするのがベッカーです。

 宇沢弘文は、 内橋克人との対談の中で、次のようなエピソードを語っています。

 

 今の経済学は、これまでのケインズとも違うし、あるいはマルクス経済学とも違う。経済学の原点を忘れて、その時々の権力に迎合するような考え方を使っていて、その根本にあるのが、やはり市場原理主義というか、儲けることを人生最大の目的にして、倫理的、社会的、あるいは文化的な、人間的な側面は無視してもいいという考え方がフリードマン以来大きな流れになっている。

 その考え方、がどういう性格を持っているかというと、私のシカゴ大学の後任者にB教授という人がいるのですが、彼はフリードマンの思想を極端な形でつないでいった人です。ある二月の寒い日のことだったのですが、 B教授が、食事会の席でこういう話をしたのです。その二週間ほど前、家に帰ると奥さんが13階の屋上から飛び降り自殺して雪の上に横たわっていた、まだ温かかった、と。それで彼は次にこう言ったんですね。「今度自分は自殺の経済学をやりたい」。彼の理論---それはフリードマンの理論でもあるのですが---ですと、奥さんは彼と一緒に生活する時の苦痛と飛び降り自殺した時の痛みとを比較して、自殺したほうが痛みが少ないから合理的に自殺を選択した、と。さすがのフリードマンも、その時はじっと黙っていました。

 

 宇沢弘文内橋克人[2009]「新しい経済学は可能か(4) : 最終回 始まっている未来(連続対談)」(『世界』第793号  July  33ページ)

 ここで宇沢がB教授と言っているのが、ベッカーのことです。

 こういう生々しい話は、その真偽を確かめることが困難であることもあり、学問の世界では語ることが避けられがちです。しかし私は、一般的にもベッカーの場合にも、ある学説が生まれてくるプロセス、環境を理解することは、その学説の歴史的位置、意味を理解する上で重要な一部をなすと考えます。

 それはさておき、さしあたってここでの議論では、宇沢の説明の細部が正しいかどうかは別として、ベッカーが妻の自殺後に自殺の経済学を構想し、その論文を執筆したということ、それは、同居生活の苦痛と自殺の痛みの合理的選択というアプローチに基づいたものであったことを理解すれば十分だと思います。

 ところで、フーコーは何故、フリードマンではなく、ベッカーに焦点を当てたのでしょうか。

 福祉国家が大きな仕事の領域にしていた教育や健康を含め、すべてのことがらを国家から解放し、市場に任せた方が良い結果をもたらすという、フリードマン市場原理主義な主張は、その根拠や主張の論建てが異なるものを含むにしても、基本的に古典的な自由主義と変わらないともいえます。

 しかし、ベッカーに至って価格のついたものが交換される商品市場を超えて、価格が明示化されていないような行動も含めた、あらゆる行動を合理的に理解する実証的な方法的(技術的)可能性が開かれたのです。

 私自身は、このようなラベル--あらゆる行動を合理的に理解する実証的な方法的(技術的)可能性--は、誇大なものであると考えていますが、ベッカーの方法がそのような外観をもたらすものであることは確かであり、経済学界と称する大きなサークルにおけるその追随者数は急成長し続けました。

 フーコーの統治テクノロジーという視点から見ると、ベッカーの方法論は、政府が狭い意味での経済的な市場を合理的な統治の対象とするに止まらず、すべての住民の行動を統治するための合理的な技術を提供するもの(そういう外観を与えるもの)といえます。

 実際、ベッカーの潮流に属する人々の論文を読んでいますと、政策という形で政府が個人の行動に影響を与えることについて積極的で、何のためらいもなく、政策ツールとしての自己のセールスに熱心なものが多いのに驚きます。もっとも、それはベッカー派だけではなく、アメリカの経済学文献の多くに共通することです。

 それらは、政策的介入への制限的な意識--いかに個人の自由を実現するか、その限りで政策的な介入が許される、といった自由自体に価値を見いだすことによって生ずるはずの意識--を全くと言っていいほど欠いています。

 そこでの自由、自由な選択とは、広い意味で個人が損得勘定をする(拡張されたホモエコノミクス)という意味と全く同じです。

 このことは、法(犯罪)の分野にこの方法論を適用した議論において、あからさまに現れます。つまりそこでは、犯罪者あるいは犯罪という行為も、自由の主体あるいは自由な選択の結果としてとらえられます。

 さらに政府(政策)の側でも、正義を実現すること、不正義、違法行為を防止すること(犯罪をゼロにすること)が目指されるのではなく、何らかの形で犯罪と定義され量的に測定されたその量に対して、その量を減らすこと、同時に、そのために必要なコストも何らかの形で量的に定式化し、そのコストの量も減らすこと、が目指されます。

 何を犯罪とするか、それがどの程度の頻度で生ずることを許容するかは、統治者(政府の政策)の問題であって、この新自由主義的経済学にとっては関心事ではありません。

 それにとって重要なことは、それが様々なあらゆる住民統治の必要性に対応して、合理的テクノロジーを提供できるものとして、統治者に認められるということです。

  以上のように、新自由主義を統治のテクノロジーとしてとらえるフーコーの視点は、卓見であり、しかもそれが1978年、79年といった極めて早い時期に表明されていたことは、驚くべきことです。

 しかし他方で、私は、フーコーがそれを合理的なテクノロジーとして、無矛盾的なもののように評価していることには賛成できません。

 私は今、国際的なファシズム体制が形成されつつある中で、その前にあった新自由主義は、国家と資本に奉仕するテクノロジーであると同時にイデオロギーでもあり、その外見は合理的に見えても、その本質は野蛮なものであることが明らかになってきたと考えます。

 フーコーは、新自由主義を国家や資本主義の発展と結びつけて議論することを、意識的に避けているように見えます。 

 フーコーの議論では、何故、より昔からあった新自由主義が、1970年代の末に採用され有力なものとなっていったのか、説明されていません。

 次回に、新自由主義が、テクノロジーとしての新しさを持つものであることを別の角度から確認しつつ、フーコーの議論の限界を、国家、資本主義と関連させつつ、もう少し突っ込んで議論します。