hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

北朝鮮の非核化における「制裁一辺倒」から「対話(交渉)」への変化と「ASEAN外相会議共同声明」--まともな報道ができない日本のメディア

 私は前々回のブローグで、「シンガポール共同声明」の本質が、米国が北朝鮮に「安全の保証」を、北朝鮮が米国に「完全な非核化」を約束したことにあることを、明らかにしました。

 このことは、米朝会談によって、米国の北朝鮮に対する姿勢が、「制裁一辺倒」路線であったことから、「対話(交渉)」へと大きく変わったことを意味します。

 「べき」論ではなく、事実としてこの変化があったことを認めなくてはいけません。

 「制裁一辺倒」路線とは、相手がいうことを聞くまで制裁を続け、相手がいうことを聞いたら、単に制裁を解除する、ということです。

 これに対し、今回の米朝会談でなされた合意である「シンガポール共同声明」は、「北朝鮮がいうことを聞いたら、制裁を解除する」というものではありません。

 米国は、北朝鮮が「完全な非核化」を行なったならば、単に制裁を解除すると言っているのではありません。(もしそうであったら、わざわざ会談を行ない、声明を出す必要はありません。また、世界中があれほどの大騒ぎをしなかったでしょう。)

 米国は、北朝鮮が「完全な非核化」を行なうならば、それと引き換えに、(制裁解除はもちろん、さらに北朝鮮が望んでいる)「安全の保証」を与える、と言っているのです。それは、対話、交渉、あるいは取引と呼ぶべきものでしょう。

 そのことが好ましいか否かは別として、米国の政策方向は、事実として「制裁一辺倒」路線から変化しました。

 米国(および北朝鮮)は、信頼を醸成する(ここに当然米国による「安全の保証」が含まれるでしょう)こと、それによって、朝鮮半島の非核化を促進することを、相互に、そして国際社会に対し約束しました。

 こうした変化に対し、当然のことながら国際社会は敏感に対応しています。この変化を前提に各国は動いているのです。

 ところが、日本では政府だけではなく、メディアまでがこの事実に目を塞いでおり、国民の目にこの事実が見えないようにする悪質な報道(あたかも、世界も「制裁一辺倒」路線を取り続けているような報道)を行なっています。

 それは、政府に協力して、ますます日本が世界の動きから取り残されるようにすることだと言わねばなりません。

 

 8月2日には、ASEAN外相会議が開かれ、その共同声明が発表されました。それをネットでググると、2つの画像付きの記事がトップにあがってきます。

 それら2つは、TBS Newsとニフティニュースで、見出しは、

ASEAN外相会議、北朝鮮に非核化促す共同声明を発表」

と、2つとも同じです。

 8月4日現在、ニフティニュースの方はクリックしても記事が出てこないので、TBS Newsの方の記事を読んでみますと、

 

ASEAN外相会議、北朝鮮に非核化促す共同声明を発表」

 

ASEAN東南アジア諸国連合外相会議の共同声明が2日、発表され、朝鮮半島の非核化に向けた取り組みの強化を促すとの文言が盛り込まれました。

・・・

 会議では、朝鮮半島情勢について意見が交わされ、共同声明には「米朝」や「南北」の首脳会談が実現したことを歓迎しつつ、非核化に向けた取り組みの強化を促すとの表現が盛り込まれました。

 

となっています。 

 これを読むと、タイトルも含めると、「非核化を促す」という言葉が3回も出てきます。

 まるで、ASEAN外相会議も、「制裁一辺倒」路線のような印象を受けます。

 実際はどうなのでしょうか。正式の英文文書の該当部分は、次のようになっています(①、②、・・・、等は、私が付加しました)。

Developments in the Korean Peninsula

76.

①We welcomed the Inter-Korean Summits (IKS) held on 27 April 2018 and 26 May 2018, as well as the summit between the United States (US) and the Democratic People’s Republic of Korea (DPRK) in Singapore on 12 June 2018.

②We also welcomed the Panmunjom Declaration, as well as the Joint Statement signed between US President Donald J Trump and Chairman of the State Affairs Commission of the DPRK Kim Jong Un.

③We urged all concerned parties to continue working towards the realisation of lasting peace and stability on a denuclearised Korean Peninsula.

④We also welcomed the DPRK’s stated commitment to complete denuclearisation and its pledge to refrain from further nuclear and missile tests during this period.

⑤We reiterated our support for all relevant United Nations Security Council Resolutions and international efforts to bring about the complete, verifiable and irreversible denuclearisation of the Korean Peninsula which will contribute to peace and stability in the region.

 

 日本文のTBS Newsの記事の実質は、その最後の段落であり、それは、英文の①と③に対応しています。

 これは、英文の趣旨をまとめた、とは言い難いもの、似て非なるものです。

 まず、声明英文の基調を見ましょう。

 該当部分のタイトルは、Development in the Korean Peninsula(朝鮮半島における発展)となっており、外相会議開催時までの新しい動きを記述し、それを評価したものですが、今回の声明では、①②④にwelcomedという動詞表現があるように、全体として新しい動きを歓迎するものです。

 次に構成を考慮しながら、英文の内容を見ていきましょう。

 一見すると、①「韓国と北朝鮮の首脳会談および米国と北朝鮮の首脳会談が行なわれたことを歓迎する」、と②「それらでの合意である『板門店宣言』と『シンガポール共同声明』を歓迎する」、は同じようなことでどっちかを省略してもいいことのように見えます。

 しかし、①に続く②は、単に①という事実だけではなく、国家間の「合意」が得られたという外交的に重要な事実を語っており、従ってまた、ASEAN外相達が、それらの「合意」を歓迎したというこれまた外交的に重要な事実を語っています。

 従って、あえて①か②のどちらかを省略するならば、①は省略することができますが、 ②は省略することはできません。

 ③は、日本語に訳すと、次のようになります。

 

③我々は、すべての関係国が、永続的な平和と安定の実現に向かって、朝鮮半島の非核化の作業を続けることを促した。

 

 これは、「北朝鮮」対して、非核化を促したのではなく、「すべての関係国」に対して「朝鮮半島の非核化の作業」を続けるように促しています。

 さらに、ただ「朝鮮半島の非核化の作業」という表現があるのではなく、「永続的な平和と安定の実現に向かって」という表現が伴われています。

 これらの表現の意味は、③が、①②の続きである、という構成を考えればよくわかります。

 つまり、①②で登場するすべての関係国」を念頭に、②での合意を踏まえて、「すべての関係国」に作業の続き(平和構築と朝鮮半島の非核化)を行なってくれ、と言っているのです。

 ④は、welcomedと言っているのですから、北朝鮮に注文を付けているのではなく、北朝鮮の行為(完全な非核化の約束言明と核実験・ミサイル発射の停止誓約)を肯定的に評価しています。

 ⑤は、国連安全保障理事会の決議(制裁)と朝鮮半島完全・検証可能・不可逆な非核化の国際的努力に対する支持を表明しています。

 実は、去年2017年8月のASEAN外相会議の共同声明の「朝鮮半島における発展」部分は、北朝鮮のミサイル発射に対する深刻な懸念の表明から始まり、北朝鮮に対して、国連安全保障理事会の(制裁)決議(の要求)に完全・即時に従うよう促す文章が続いていました。

 明らかに、今年の「ASEAN外相会議の共同声明」は、「制裁一辺倒」路線とは全く異なったもの、「制裁一辺倒」路線ではなくて、「板門店宣言」や「シンガポール共同声明」の合意を歓迎・前提としたもの--「対話・交渉・取引」を歓迎したもの--であることが分かります。

 ただ、去年の「ASEAN外相会議の共同声明」に触れたので、少しそれについてもう少し書きます。

 それは、去年の時から、「制裁一辺倒」路線から異なるものでした。上記の北朝鮮に対する発言に続き、次の文章が続いています。

 

 我々は、平和的な方法での朝鮮半島の非核化を支持することを繰り返し述べ、また、緊張を和らげ、平和と安定の条件を創造するための自制の実行と対話の再開を呼びかけた。

 我々は、朝鮮半島での恒久的な平和の確立に向けて韓国-北朝鮮関係を改善するイニシアチブに対する支持を表明した。

 これを読むと、今年の南北会談や米朝会談を準備・予告しているような印象さえ受けます。

 また、言葉としても、「北朝鮮の」非核化とは言わずに、「朝鮮半島」非核化という言葉が用いられているのは、今年(⑤)に始まるのではなく、すでに去年のものであったことも興味深いことです。

 つまり、去年のASEAN外相会議での国際合意である「朝鮮半島の非核化」は、「板門店宣言」や「シンガポール共同声明」でも繰り返し採用されきたということです。「朝鮮半島」非核化は、もはや文字通り地域的な国際的合意になりつつあると言えるでしょう。*1

 

 さて、日本語のTBS NewsのASEAN外相会議のニュースに話を戻します。

 その内容が非常に偏ったもの、原文の趣旨をねじ曲げたものとなっていることは、以上の英文についての説明から明らかでしょう。

 まず、TBS Newsのタイトルは、「すべての関係国に」という言葉を勝手に「北朝鮮」という言葉に置き換えています。その上で、「非核化」を促す、という表現を計3回繰り返しています。

 (タイトル以外では、「誰に対し」という表現が省略されていますが、タイトルで「北朝鮮」という表現がある以上、当然、読者は「北朝鮮」と受け取るでしょう。)

 また、③は「非核化」という表現だけではなく、「永続的な平和と安定の実現に向かって」という表現があったのですが、TBS Newsでは、後者はカットされています。

 批判を避けるためでしょう。申し訳に、①の2つの首脳会談の歓迎には触れられていますが、より重要な②の2つの国際的合意への歓迎はカットされています。

 

 以上、TBS Newsの報道は、前回私が批判した朝日新聞の社説のやり方と似たようなねじ曲げの「方法」が採用されていることが分かります。

 ネトウヨは、「歴史戦」と称して、彼らの「国家観」に即してウソの歴史を捏造し、ばらまいてきました。

 今、マスメディアが行なっていることは、過去ではなく現在を、彼らや政府の「制裁一辺倒」路線、「北朝鮮の非核化」のみの狭窄的視点から、ねじ曲げて捏造し、それをばらまくということです。

 強く批判したいと思います。

 

*1: 厳密にいうと、「シンガポール共同声明」における「朝鮮半島の非核化」は、北朝鮮がそうした方式で非核化に取り組むことに合意した、ということです。従って、米国が「朝鮮半島の非核化」に合意したわけではない、ということも不可能ではありません。 

 しかし、安定的な平和体制の構築を考える時、「朝鮮半島の非核化」が合意となっていくのは、自然な成り行きとしか言いようがありません。

「朝鮮戦争の終戦宣言」を通じて、平和の完全・不可逆的な実現を!--本心では北朝鮮の非核化を望んでいない日本のメディアの欺瞞

 今、北朝鮮の非核化をめぐって、朝鮮戦争終戦宣言というテーマがメディアに載るようになってきています。

 一昨日(7月30日)は、次の記事がネットに上がりました。

 

朝鮮戦争終戦宣言「簡単にやるべきでない」西村副長官

2018年7月30日23時41分

 西村康稔官房副長官は30日のBSフジの番組で、南北首脳会談で朝鮮戦争の年内の「終戦宣言」をめざすと合意したことについて、「(北朝鮮が)具体的な行動を示して、非核化に向かって進んでいることがない限り、そう簡単に終戦宣言をやるべきではない」と慎重論を唱えた。

 西村副長官は、北朝鮮の体制保証につながる終戦宣言が先行することを懸念。「日米、日米韓で連携しながら、北朝鮮にしっかりと行動をとってもらうことが先決だ」と強調した。北朝鮮は米国との高官協議でも終戦宣言を求めている。

 

 これは、朝日デジタルの記事です。

 実は、この記事で報じられている西村官房副長官の主張は、7月10日の朝日新聞の社説そのままです(これについては、後で論じます)。

 

 この記事の官房副長官の主張について、ジャーナリストの布施祐仁氏がツウィッターで、

日本は朝鮮戦争の当事者でもないのに、どういう立場で言っているんだろ? また戦争してほしいと思っているのかな。

 

とつぶやいたところ、長島昭久衆議院議員民主党民進党希望の党等を経て、現在無所属、民主党政権時に防衛副大臣)が、

 

もちろん戦争より平和がいいに決まってます。でも、形ばかりの終戦宣言(北の核やミサイルによる恫喝能力は残ったまま!)がどのような結果を齎すか、少しでも考えて頂きたいものです。終戦なら平和ムードで米軍も国連軍も必要ないとなるでしょう。朝鮮半島から米国の影響力が削がれて喜ぶのは・・・?

 

 とコメントしています。

 実は、ここで言っている「平和ムード」という表現も、7月10日の朝日新聞社説の「融和ムード」という表現と響き合うものです。

 このコメントに対し、布施氏は、

 

終戦宣言で国連軍という枠組みはなくなっても、現実的に北朝鮮の脅威が存在しているうちは、米韓相互防衛条約に基づく米軍の駐留は続くでしょう。そもそも朝鮮戦争などとっくに終戦させておくべきもので、休戦状態を65年も続けていること自体がおかしい。なぜ終戦に反対するのか分かりません。

 

とリプライしています。

 私は、布施氏の主張に賛成です。

 終戦宣言をまず行なおうと言う主張は、常識そのものだと思うのですが、ところが朝日新聞を始めとして、多くのメディアにおいて、メディア自身の主張が常識はずれに満ちたものとなっています。

 相変わらずメディアのほとんどは、朝鮮戦争終戦宣言を論じているようなふりをしながら、事実上、<北朝鮮の非核化>問題、一本槍なのです。

 東京新聞(2018年7月28日)の社説を見てみましょう。

 

朝鮮休戦65年 終戦を非核化につなげ

 

 朝鮮戦争の休戦から六十五年。日本の至近で起きた戦争は、法的にはいまだに戦争状態にある。ようやく、米朝をはじめ関係国間で正式に終結させる動きが出てきた。半島非核化に生かしたい。

 一九五〇年六月から朝鮮半島全域で繰り広げられた朝鮮戦争は、三年後の七月二十七日に「休戦」となり、戦火がやんだ。

 戦争前とほぼ同じラインによる南北分断という結果に終わったが、代償は極めて大きかった。

 民間人を含め五百万人以上が犠牲となった。南北に分かれて住む離散家族は約一千万人にもなる。

 北朝鮮の核・ミサイル問題の根本的な解決には、休戦状態を終わらせ、関係国が平和協定を結ぶことが必要だと、専門家の中で長く論議されてきた。

 しかし休戦協定の締結には、約二年もの長い時間がかかった。捕虜の扱いや、休戦ラインの設定など、関係国の利害が複雑に絡んでいたためだ。

 平和協定締結も簡単ではない。このためまず関係国が「終戦」を宣言し、信頼関係を築く構想が生まれた。法的義務のない、いわば政治的な申し合わせである。

 南北の首脳が四月二十七日に発表した「板門店宣言」に、「今年中に終戦を宣言する」という目標が盛り込まれたのも、こういった構想の反映といえる。

 トランプ米大統領も、「(朝鮮)戦争は終わるだろう」と述べ、前向きな姿勢を示していた。

 ところが米国は、ここに来て慎重になった。非核化の実現より終戦宣言を先行させると、北朝鮮に在韓米軍撤退などを求める口実を与えかねず、不適切だとの指摘が出ているからだ。

 これに対して北朝鮮は、「終戦宣言をしてこそ平和が始まる」と反発し、米朝間の非核化協議は停滞に追い込まれていた。

 休戦状態とはいえ、軍事的緊張は変わっていない。もちろん日本にとっても、巻き込まれかねない危険な状態だ。

 着実に交渉を重ね、早期の終戦を目指してほしい。

 北朝鮮は北西部のミサイル実験場で、主要施設を解体していると伝えられる。北朝鮮地域で死亡した米兵の遺骨返還作業も、二十七日に行われた。

 歓迎したいが、まだ米国や国際社会は、北朝鮮に十分な信頼を置いていない。非核化に向けたロードマップを提示するなど、より踏み込んだ努力を示すべきだ。

 

 最後の2行に至るまでは、真っ当な内容です。

 最後から5行目は、

着実に交渉を重ね、早期の終戦を目指してほしい。

と述べ、全くその通りです。早期に終戦宣言を出すべきです。

 ところが、最後の2行は、次のように述べます。

 

歓迎したいが、まだ米国や国際社会は、北朝鮮に十分な信頼を置いていない。非核化に向けたロードマップを提示するなど、より踏み込んだ努力を示すべきだ。

 

 ここで「歓迎したいが」といっています。文法的には、この「が」は逆接の「が」ではなく、順接の「が」を意味しているととるべきなのでしょう。

 しかし、この「が」には逆接に響く微妙なニュアンスが込められていて、 北西部のミサイル実験場解体や米兵の遺骨返還作業では、足りない、心からは歓迎できない、という感じを伝えるべく、こうした表現が選ばれています。

 つまりこの2行全体として、「まだ足りない」、だから、さらに「非核化に向けたロードマップを提示しろ」と言っているのです。

 (そして、「非核化に向けたロードマップ」の部分も、妙に婉曲な言い方をしています。実質は「提示しろ」と言っているのに、「・・・など、より踏み込んだ努力を示すべきだ」と、言葉先だけに「おとな」の「工夫」が込められていますね。)

 この社説のタイトルは、「朝鮮休戦65年 終戦を非核化につなげ」となっていますので、普通に読めば、「終戦宣言」をして、それから「非核化」とつなげていく、という意味になるはずです。

 ところが、「終戦」という言葉は、完全にフェイク(だまし)のためのものになっているわけです。

 私が7月16日のブローグでも書いたように、東京新聞は、7月11日の社説でも、「終戦宣言」の前に、「北朝鮮大量破壊兵器を完全に申告し、それを放棄する手順、日程を示す『行程表』を作成」すべきだと主張していました。

 私は、そのブローグで次のように述べました。

 もし、この社説のように行程表を作成するとしましょう。

  ①まず、どこにどのような核関連施設・物質・人材がどれだけあるというリストを作ります。

  ②次に、リスト上の各項目について、それらの廃棄の日程を決めていきます。

  このような①②について、未だに戦争状態にある国(つまり、米国)に渡せ、あるいは、合意せよ、というのは、北朝鮮の立場からは認めることができないのは当然すぎることです。

  ①だけでも米国に渡してしまえば、米国の圧倒的な武力によって、ピンポイントですべての施設をあっと言う間に破壊されてしまう可能性は否定できず、その危険を恐れるのは当然でしょう。

  さらに②についても合意すれば、実行しない限り、「合意違反だ」としてまた武力攻撃の格好の理由にされるでしょう。また、②を合意、実行しても、<安全の保証>については、放置され、最終的にそれが得られない可能性も否定できないのです。

 ですから、北朝鮮にとって、①②の提出、作成、合意は、事実上の<完全な非核化(無防備状態)>を意味します。 

 

 繰り返しますが、北朝鮮が、非核化のロードマップ(行程表)の作成前に、「終戦宣言」を出すべきだ、というのはあまりに当然すぎること、道理に適ったことです。

 7月11日の社説では、「米韓の合同演習中止」をしたから、それと交換に「行程表」を出せ、と言っていたのですが、今回の社説では、「米国や国際社会は、北朝鮮に十分な信頼を置いていない」から、「ロードマップ」を出せ、と言っています。

 「北朝鮮に信頼を置いていない」からって、これでは論理も何もありません。

 米朝で合意した「シンガポール共同声明」は、前回書いたように、<安全の保証>が<非核化>に先行することを明確に含意しています。つまり、「シンガポール共同声明」に基づいても、ロードマップ作成に対するものとして、北朝鮮の「終戦宣言」の要求は、正当なものであり、正当なもののうちでも最低限のものと言えます。

 ところが、道理も論理もなく、米朝の合意としての「シンガポール共同声明」の存在も無視して、「ロードマップ」を出せ、というのはどう言うことでしょうか?

 日本のメディアとして、本当に非核化を願うならば、「まず、終戦宣言を」と社説を打つのが当然、自然ではないのでしょうか?

 ところが、こうした態度をとっているのは、東京新聞だけではありません。

 朝日新聞も7月10日の社説で、次のように述べていました。これは、すでに述べたように、西村官房副長官衆議院議員の言論に「影響力」を持っているので、改めて批判的に分析することにします。

 

 「朝鮮半島の永続的で安定的な平和体制」づくりは両首脳が国際社会に発した公約である。緒に就いた高官協議から着実な合意を導き出すよう、万全の努力を注いでもらいたい。

 平壌での協議後、日本を訪ねたポンペオ米国務長官は日韓の外相に結果を説明した。北朝鮮と「生産的な対話」ができたと会見で語ったが、今回も顕著な進展は築けなかったようだ。

 6月の共同声明は、北朝鮮の「完全な非核化」や「安全の保証」に言及したが、時期や行動は示せなかった。本来は事前に詰めるべき工程表づくりを後回しにした異例の会談だった。

 その後、北朝鮮は核とミサイルの実験の凍結を続けており、米側は韓国との軍事演習の中止を発表した。米朝の対話が続く限り、軍事衝突のおそれが遠のいたのは確かだ。

 しかし、それでも現状は融和ムードの延長にすぎず、米朝間の緊張は再燃しうる。非核化と安定的な平和を実現するには、綿密な工程表が欠かせない。

 米朝は今回、作業部会づくりで合意したという。だが、北朝鮮メディアは「強盗さながらの非核化要求だけを持ち出した」と反発しており、さっそく意見が対立したようだ。

 トランプ政権は安易な妥協をしてはならない。共同声明で非核化を誓った金正恩氏の言い逃れを許さず、行動計画の合意を迫るべきだ。

 ポンペオ氏は見返りとして、北朝鮮の安全を保証する措置もとる構えだ。核開発の理由とされる敵対関係を見直すには、朝鮮戦争の公式な終結論議されるのは自然な流れだろう。

 ただし、そのためには核をめぐる軍事施設や兵器・物質などの全面開示と査察の受け入れへの道筋を描かねばならない。

 

 この社説において、「工程表」という言葉が、3番目の段落と5番目の段落で出てきます。

 ここでいう「工程表」は、何の「工程表」でしょうか?2つの解釈が可能でしょう。

 第1は、「完全な非核化」の「工程表」で、第2は、「完全な非核化」および「安全の保証」の2つの事項全体を覆う「工程表」です。

 本来、「シンガポール共同声明」に表された米朝首脳の合意に対応しているのは、明らかに、第2の解釈にあたるものです。

 そう解釈すると、この社説は、第5段落まで真っ当な内容、主張がなされています。

 つまり、この社説が言うように、

非核化と安定的な平和を実現するには、綿密な工程表が欠かせない。

との主張はその通りであって、ここでいう「綿密な工程表」とは、「完全な非核化」および「安全の保証」の2つの事項全体を覆う「工程」が綿密に書かれたもののことです。

 そうした「綿密な工程表が必要だ」というのは、「シンガポール共同声明」に則った真っ当な主張です。

 ところが、そう思って第2の解釈に従って読み進めていくと、6段落目からどうも様子が変わってきます。

 

米朝は今回、作業部会づくりで合意したという。だが、北朝鮮メディアは「強盗さながらの非核化要求だけを持ち出した」と反発しており、さっそく意見が対立したようだ。

 

 「さっそく意見が対立したようだ」と悟っていたような、かつ、第三者のような書き方をして、続いて、第7段落では、

 

トランプ政権は安易な妥協をしてはならない。共同声明で非核化を誓った金正恩氏の言い逃れを許さず、行動計画の合意を迫るべきだ。

 

と上から目線の強い調子で、「言い逃れを許さず、行動計画の合意を迫るべきだ。」と主張しています。

 ここで出てくる「行動計画」というのは事実上「非核化」の「工程表」のことであるとしか読めません。

 であるとすると、先の2段落目と5段落目の「工程表」も、先の第1の解釈での「非核化」の「工程表」ということになります。

 おやおや、何だこりゃ。

 やっぱり、声高な<非核化>一本槍だったということです。

 朝日新聞の場合も、フェイク(騙し)の表現・テクニークが用いられています。もう一度、始めから振り返ってみましょう。

 第1段落は、「朝鮮半島の永続的で安定的な平和体制」づくりという米朝首脳の国際公約から始まり、着実な高官協議による合意を努力するよう希望を述べていました。

 ところが、第3段落に来ると、「6月の共同声明は、北朝鮮の『完全な非核化』や『安全の保証』に言及したが、時期や行動は示せなかった」と言い出します。

 まず、ここで「言及」という表現が小賢しい騙しのテクニークの始まりです。共同声明での明確な合意事項である「完全な非核化」と「安全の保証」は、たんに「言及」された程度の意味しか持たないものにされています。

 そして、「言及したが、時期や行動は示せなかった」という表現は、「シンガポール共同声明」は「欠陥製品」であるという印象を与えた上で、むしろ重要なのは、言及されなかった「時期や行動」の問題である、と読者を誘導します。

 「時期や行動」の問題は、それ自体重要なのはもちろんなので、読者はその意味で、気を許してしまい、そこで、続く朝日新聞の主張「本来は事前に詰めるべき工程表づくり」という表現も受け入れてしまうでしょう。

 ここでズルイのは、<「工程表」>という言葉は本当は、<北朝鮮の「完全な非核化」の「工程表」>を意味しているのに、故意に、<北朝鮮の「完全な非核化」の>という修飾を書かずに、読者にそのことを意識させないようにしていることです。

 きちんとこの<北朝鮮の「完全な非核化」の>という修飾を加えていたらどうなっていたでしょうか?

 今、この第3段落を、この修飾を加えて書き直して見ましょう。

 

①6月の共同声明は、北朝鮮の「完全な非核化」や「安全の保証」に言及したが、時期や行動は示せなかった。②本来は事前に詰めるべき<北朝鮮の「完全な非核化」の>工程表づくりを後回しにした異例の会談だった。

 

 こうすると、 ①の文にあった「安全の保証」の問題が、②では無視され出てこないこと、一見第三者としての公平を装いながら、実際は<北朝鮮の「完全な非核化」>しか眼中にないことがバレバレです。

 同じことが、第5段落でも言えます。その該当部分に、<北朝鮮の「完全な非核化」の>という修飾を加えて書き直したのが以下の文です。

 

「非核化」と「安定的な平和」を実現するには、綿密な<北朝鮮の「完全な非核化」の>工程表が欠かせない。

 

 こういうふうに<北朝鮮の「完全な非核化」の>と明記されていれば、読者は、すぐに社説のいう「工程表」がアンバランスなものであることに気付き、何故「安定的な平和」についての「綿密な工程表」は不必要なんだろう?と疑問を持ったはずです。

  実体を隠すために、本来必要であった修飾を行なわないのは「ズル」です。

 ところが、さらにこのように書き出して分析するとわかってくることですが、これらの部分には、「ズル」よりも悪質な「ウソ」が潜んでいます。

 それは、すでにある米朝間の合意としての「シンガポール共同声明」の論理をねじ曲げている、ということです。

 朝日新聞は、このねじ曲げのために、意図的に(しかし読者には気づかれないようにさりげなく)、「シンガポール共同声明」と逆の順番で、「完全な非核化」と「安全の保証」・「安定的な平和」という言葉を並べています。

 「シンガポール共同声明」では、明らかに、先に「安全の保証」あるいは「安定的な平和」が書かれていて、その後に「完全な非核化」が来ています。

  ところが、朝日新聞では、「完全な非核化」と「安全の保証」、あるいは「完全な非核化」と「安定的な平和」というように、順番が逆になっているのです。

 私は、「シンガポール共同声明」におけるこれらの言葉の順番は、たまたまであって無意味だというものではなく、事柄の本質に適い、かつ「共同声明」の意図を示した重要なものである、ということを繰り返し強調してきました。

 ところが、朝日新聞は、勝手に、しかしさりげなく、この順番を逆にした上で、まず「非核化」が必要なのだから、さらに、何よりもまず、「非核化」の綿密な「工程表」が欠かせない、という論の進め方をするのです。

 こうした「シンガポール共同声明」についての曲解(「ウソ」)に基づく朝日新聞の論理は、結論を構成する第6段落と第7段落でも、「効果的に」繰り返されています。

  

 ポンペオ氏は見返りとして、北朝鮮の安全を保証する措置もとる構えだ。核開発の理由とされる敵対関係を見直すには、朝鮮戦争の公式な終結論議されるのは自然な流れだろう。

 ただし、そのためには核をめぐる軍事施設や兵器・物質などの全面開示と査察の受け入れへの道筋を描かねばならない。 

 

  「朝鮮戦争の公式な終結論議されるのは自然な流れだ」という部分は、それについては、万人が納得する文章で、まさに「自然に」読者に入り込んできます。

 ところがそれには、「 工程表」(=「軍事施設や兵器・物質などの全面開示と査察の受け入れへの道筋」)が第一に必要で、それがないと「朝鮮戦争の公式な終結の議論」もすべきでない、と言うのです。

 つまるところ、朝日新聞の社説は、実質的には「朝鮮戦争の公式な終結の議論」を始めることには反対だ、と言っているのと同様です。

 ここでも、「朝鮮戦争の公式な終結」という避けることのできないテーマを受け止めているようなふりをしながら、実質<北朝鮮の非核化>一本槍の主張が行なわれています。

 東京新聞の社説(7月28日)の場合は、まず「工程表」を出せという理由として、「北朝鮮が信用できないから」という、とても「分かりやすい」理由を挙げていました。

 これに対し、朝日新聞の社説は、まず「工程表」を、という理由をでっち上げるのに、手の込んだ形で「シンガポール共同声明」をねじ曲げて伝える、というジャーナリズムとしてはしてはならない悪質な行為を、意図的に行なっています。

 そうした行為に一度手を染めだすと、一度では済まなくなり、何度もそれが繰り返され、それに何の痛痒も感じなくなります。

 本来あった「安全の保証」と「非核化」の<合意>を、「安全の保証」と「非核化」の順番を逆にして、「非核化」と「安全の保証」と書き換え、さらに<合意>を<言及>と書き換えました。

 そして、第6段落では、「ポンペオ氏は見返りとして、北朝鮮の安全を保証する措置もとる構えだ」と言い出しました。

 これも明らかに「シンガポール共同声明」をねじ曲げた上で、本来の「シンガポール共同声明」から乖離した文脈を「創作」しています。

 そこには、順番としてまず「非核化」が先だという印象を与えるだけではない、別の要素があります。「ポンペオ」の名前が持ち出され、「見返りとして」「措置」「構えだ」といった表現で、「北朝鮮の安全の保証」が一つのオプションであるような印象を与え、かつ、そのオプションの選択がポンペオの判断にかかっているような印象がもたらされています。

 しかし「共同声明」は、トランプの名において、北朝鮮に安全の保証を約束したものであって、「安全の保証」はオプショナルなものではありません。ポンペオにはそんな権限はありません。

 トランプは、「シンガポール共同声明」発表直後の記者会見の冒頭のスピーチにおいて、3回も朝鮮戦争を終わらせることを繰り返しているのです。「朝鮮戦争の公式の終結」は、明らかに「安全の保証」の中に含まれているばかりでなく、トランプと金正恩は直接にこのことについて議論したことは間違いないでしょう。

 朝日新聞の社説は、二国間の首脳によってすでになされた「合意」が欠陥品であるかの印象を与えた上で、「合意」を書き換えたり、無視したりしながら、本来すでにある「合意」のもとでなされるべき続きの交渉を、いつの間にかポンペオの判断次第で、「安全の保証」や「朝鮮戦争の公式の終結」の有無やそれらのスケジュールが決まるようなものにしています。

 朝日新聞の社説の書き手は、もちろんすべてをわかっていて、こうした書き方をしているのでしょう。いざという時にどのように言い訳するかも考えた上で。

 最初に述べたように、西村官房副長官や長島議員の主張は朝日新聞の社説に学んだものでした。

 私は、ジャーナリズムのあるべき姿を考えた時、朝日新聞は非常に罪深いと思います。

 

 以上、「朝鮮戦争終戦宣言」というテーマがメディアに載るようになってきましたが、その実質が、屁理屈を言いつつこのテーマを避けるもの、「北朝鮮の非核化」に狭窄化した議論であることを明らかにしてきました。

 私は、こうしたメディアの態度の背後には、実は彼らが「北朝鮮の非核化」を心から望んでいるのではなく、逆に北朝鮮が核を維持し、好戦的な姿勢を持ち続けることを望んでいること、彼らの間にそうしたイデオロギー・利害関心の浸透があることを示していると考えています。

 もしそれがなければ、多くのメディアの主張は、単純に、「何はともあれ、まずは、朝鮮戦争の戦争状態の終結を」という自然なものになっていたはずです。

 

 そのことについては、回を改めて議論します。

 

 

「シンガポール共同声明」の完全・不可逆的な実施による、平和の完全・不可逆的な実現を!--「北朝鮮の外務省談話」をめぐって2(「シンガポール共同声明」の基本的理解)

 前回は、メディアが、「北朝鮮の外務省報道官談話」の主張の論理的骨格を無視・隠蔽しながら、相変わらず、<北朝鮮の非核化>のみに焦点を当てた狭窄的な報道を続けていることを批判しました。

 そうした報道・評論の基本的な問題は、「シンガポール共同声明」というすでに存在する米朝間の合意内容をきちんと把握・紹介し、そうした合意内容を基準にしながら、「北朝鮮の外務省報道官談話」の主張を理解・評価していく、という初歩的であると同時に大切な作業が全くなされていないことです。

 実は、こうした報道の問題は、「北朝鮮の外務省報道官談話」についてばかりのことではありません。「シンガポール共同声明」自体について、基本的な理解・評価という作業が欠けているのです。

 6月12日の米朝首脳会談で「シンガポール共同声明」が出される前後には、関連する大量の報道がなされました。

 しかし、合意文書としての「シンガポール共同声明」をその文章に即する形できちんと把握・紹介した記事には、私は出会っていません。

 いわゆる専門家達のコメントの類は山のようにあります。しかし、そうした専門家達によるフィルターのかかった情報知識は、却ってものごとの単純な理解を妨げ、有害な場合が多いように思います。

 何故なら、南北朝鮮首脳会談で発せられた「板門店宣言」から始まり米朝首脳会談の「シンガポール共同声明」に至る、このすばらしい歴史的な過程は、すでに専門家達の「知見」「予想」の範囲を超えたものだからです。

 斎藤美奈子氏は、「シンガポール共同声明」を罵倒する専門家達(=各論クン)をこんなふうに皮肉っています。

 

 日米のメディアは一様に苦虫を噛み潰したような論調だった。非核化への具体策がない、単なる政治ショーだった、奴らに編されるな……。

 そりゃそうよねえ。よりにもよって、あのトランプとあの金正恩、世界の問題児たる二人が手を携えて東アジア和平への扉を開く?知性と教養のある皆さまには耐えられないわよね

 でもさ、昨年の一触即発状態に比べたら大進歩じゃない?百点じゃなく六十点でも歓迎しとこうよ。とかいおうものなら「この素人が」みたいな目で見られ、事情通の各論クンが出てきて「いや〇点だ」という。なので素人は黙っちゃう。・・・

                  (東京新聞2018年06月20日

 

 そこで、「北朝鮮の外務省報道官談話」(米朝関係の現在)をどうとらえるか、という問題に迫るためにも、次の2つが、初歩的ではあるが必要な作業だと思います。

    ①「シンガポール共同声明」の読解

    ②記者会見にみるトランプの「取引deal」概念の検討

 ②は、①の「シンガポール共同声明」理解に資するものです。

 

 今回は、①を行ないます。

 ちょっと長いですが、「シンガポール共同声明」の主要部分を掲げます。

 

 トランプ大統領金正恩委員長は、新たな米朝関係の樹立および朝鮮半島における持続的かつ堅固な平和体制の構築に関する諸問題について、包括的で綿密かつ誠実な意見交換を行なった。トランプ大統領は、北朝鮮に対して安全の保証を提供することを約束し、金正恩委員長は、朝鮮半島の完全な非核化に向けた揺るぎない、確固たる決意を再確認した。

 トランプ大統領金正恩委員長は、新たな米朝関係の樹立が朝鮮半島ならびに世界の平和と繁栄に貢献することを確信し、かつ相互信頼の醸成が朝鮮半島の非核化の促進を可能にすることを認識し、以下を表明する。

 

 1.米国と北朝鮮は、両国民の平和および繁栄への願いに応じ、新たな米朝関係の樹立を約束する。

 2.米国と北朝鮮は、朝鮮半島に持続的かつ安定した平和体制を築くため共に取り組む。

 3.北朝鮮は、2018年4月27日の板門店宣言を再確認し、朝鮮半島の完全な非核化に向け取り組むことを約束する。

 4.米国と北朝鮮は、すでに身元が特定された遺骨の迅速な送還を含む、戦争捕虜および行方不明兵の遺骨の収容を約束する。

 

 史上初となった米朝首脳会談は、長年にわたる米朝間の緊張および敵対状態を乗り越え、新たな未来を切り開く上で、非常に意義のある、画期的な出来事となったことを認識した上で、トランプ大統領金正恩委員長は、本共同声明に定める条項を完全かつ迅速に履行することを約束する。米国と北朝鮮は、米朝首脳会談の成果を履行するため、マイク・ポンペオ米国国務長官および相応する北朝鮮の政府高官が主導する継続交渉をできるだけ早い時期に開催することを約束する。

 米国のドナルド・J・トランプ大統領朝鮮民主主義人民共和国金正恩国務委員長は、新たな米朝関係の発展、および朝鮮半島ならびに世界の平和、繁栄、安全の促進に向け、協力すること約束した。  

 

 (これを改めて読むと、「ちょっと長い」と書きましたが、それほど長くはなく、また、外交文書らしくなく、素人にも分かりやすい文章だと感じます--私の知性がトランプや金正恩と同レベル?(笑))。

  

 この共同声明は簡潔なものですが、もっと簡約してしまえば、

 

<米国による北朝鮮の安全の保証>と<北朝鮮による自らの完全な非核化>を交換した、あるいは、交換する約束をした。

 

と言うことです(それは、上記引用の第1段落の最後の緑字の3行に明記されたことです)。

 私が上記の「簡約」において、「交換」という言葉を用いたのは、②の「取引deal」という概念と関係していますが、それについては次回に議論します。

 

  ここで、少し本筋からは逸れますが、必要と思うコメントを加えておきます。

 メディアの多くは、北朝鮮に対する悪意(あるいは「シンガポール共同声明」に対する悪意)を持って、<安全の保証>という言葉の代わりに、<体制の保証>という言葉を多用しています。--「あの北朝鮮の人権抑圧体制を保証するなんて!」というわけです。

 しかし、「シンガポール共同声明」の正式なものとされている英文は、

President Trump committed to provide security guarantees

となっていますし、在日米国大使館の日本語訳でも、

トランプ大統領は、北朝鮮に対して安全の保証を提供することを約束

となっています。

 どこにも、<体制の保証>なんて言う言葉はありません。

 「シンガポール共同声明」において米国が北朝鮮に対して提供しているのは、<安全の保証>--つまり、米国が北朝鮮に攻め込まないという保証--であって、人権抑圧のための<体制の保証>ではないのです。

 ですから、<安全の保証>と<完全な非核化>の交換という「シンガポール共同声明」の本質は、北朝鮮にとっての願いに対応しているだけでなく、独立国に攻撃をしかけないという国際常識に沿ったものです。

 

 本筋に戻ります。では、この<安全の保証>と<完全な非核化>の交換は、どのように行なわれるのでしょうか?

 <安全の保証>は、より具体的には、「1.新たな米朝関係の樹立」、および、「2.朝鮮半島における安定的な平和体制の構築」によってなされます。

 「1.」は米朝2国のみの問題で、「2.」はさらに必ず韓国をも含む3カ国(以上)の問題です。「2.」は、「板門店宣言」において言及されている「平和体制の構築」を踏襲しているものです。

 「1.」は、「シンガポール共同声明」の合意によってすでに開始していると言えるかもしれませんが、「樹立」という言葉は、英語で「establish」であり、制度化された安定的な関係が築かれることが想定されています。その意味で、これは今後に成就されるべき関係を指しています。

 「1.」として考えられるのは、例えば米朝平和条約あるいは米朝相互不可侵条約の締結といったことです。

 「2.」として考えられるのは、朝鮮戦争に関して、現在なお有効な休戦協定に対して、朝鮮戦争終結宣言を発することであり、さらに休戦協定に代えて平和協定を締結する、といったことです。

 

 「1.」と「2.」は、実質的に一体的な関係にあります。

 従って、具体的なあり方としては、「2.」だけが実現され、それによって「1.」も実質的に実現される(特に「米朝平和条約」等の締結がなくても、両国の安定的な平和的な関係が成立したと解される)、ということもあるかもしれません。ただ、論理的なあり方として、「1.」が先に並べられ、続いて「2.」が来る、というような配置になっているのでしょう。

 また、これらの2つの項目の主語は、いずれも、「米国と北朝鮮は」となっていますが、実質は、米国が北朝鮮に<安全の保証>の保証を与えるということですから、米国にとっての義務的な内容の項目と言うことができます。

 他方、「3.北朝鮮による朝鮮半島の完全な非核化」は、主語は「北朝鮮は」となっており、北朝鮮に対する義務的な内容の項目です。

 これは、「朝鮮半島の完全な非核化」と表現されていますが、実際には、「3'.北朝鮮による自国の完全な非核化」の義務を意味していると解して良いでしょう。

 何故このような表現になっているのかというと、「3.」全体を読み直してみるとわかるように、「完全な非核化」という表現が指しているものが、「板門店宣言」で表現されている「完全な非核化」と同一である、ということを確認するためだと考えて良いでしょう。

 つまり、「板門店宣言」では、「南と北は、完全な非核化を通じ、核のない朝鮮半島を実現するという共通の目標を確認した」と述べられています。

 ここでいう「完全な非核化」とは、韓国と北朝鮮が平等な関係でそれぞれの国が自ら実現することがらとして提示されています。

 これに対し、日米の「専門家達」がいう「完全・検証可能・不可逆な非核化CVID」は、米国(国際社会)が北朝鮮の非核化を、事実上北朝鮮の主権を超えて、一方的・強制的に実施させていくことを前提として、そのための技術的な装いを与えた概念です。

 ですから、「3.」が意味するのは、日米の「専門家達」の「完全・検証可能・不可逆な非核化CVID」を明確に拒否したものとしての、「板門店宣言」でいわれている「完全な非核化」が合意された、そうした「完全な非核化」が北朝鮮の義務である、ということです。

 ですから、「3.」という合意がある以上、「専門家達」やメディアが、技術的な問題のような体裁をとりながら、あたかも当然のものとして「完全・検証可能・不可逆な非核化CVID」を米朝協議の中に要求するのは、むしろ、合意違反を分かってしているか、合意を理解できていないかのどちらかだといって良いでしょう。

 では、<米国による北朝鮮の安全の保証(「1.」および「2.」)>と<北朝鮮による自らの完全な非核化(「3.」 )>の交換は、どのような順番で行なわれるのでしょうか?

 それは、ことがらの性質から自ずから、<米国による北朝鮮の安全の保証>がまずあって、それから<北朝鮮による自らの完全な非核化>があると言っていいでしょう。

 私は今、「ことがらの性質から自ずから」と書きました。これは、「常識から」と書き換えても同じです。

 実際のところ、この常識は、「シンガポール共同声明」のこれらの項目の提示順が、<米国による北朝鮮の安全の保証(「1.」および「2.」)>が先で、<北朝鮮による自らの完全な非核化(「3.」 )>が後になっていることにも反映しています。

 仮にこれが逆の順になっていたら、誰もが非常に奇妙な印象を抱いたのではないでしょうか。

 また、前文の最後の2行に注目しましょう。そこには、

相互信頼の醸成が朝鮮半島の非核化の促進を可能にすることを認識し

とあります。

 これは、相互信頼がなければ、<完全な非核化>が不可能なことを意味しています。そして、相互信頼のための必要最小条件として、米国による北朝鮮に対する<安全の保証>があることは明らかでしょう。

 つまり、ここにも<安全の保証>が<完全な非核化>に先行することが示されているということができます。

 さらに、ここで「相互信頼の醸成」と「非核化の促進」という、「相互信頼」と「非核化」それぞれにおいて、それぞれのプロセスを含意した「醸成」と「促進」という表現が与えられていることに注目できます。

 つまり、「朝鮮半島の非核化」が先に述べたように、<北朝鮮による自らの非核化>を意味するならば、米国が<安全の保証>を北朝鮮に与え、それによって米国を信頼した北朝鮮が、<非核化>を行ない、それによって北朝鮮を信頼した米国がさらに<安全の保証>を北朝鮮に与え、それによって米国をさらに信頼した北朝鮮が、さらに<非核化>を行ない、・・・・、というプロセスが、ここには想定されていると考えていいのです。

 このブローグの前回に、インタビューに対する梅林氏の答を紹介しましたが、まさに、氏が述べている、「ギブ・アンド・テーク」かつ「ステップ・バイ・ステップ」のプロセスです。

 このプロセスにおいて、北朝鮮の<非核化>が不可逆的かつ決定的な段階に至るためには、米国が与える<安全の保証>が不可逆的かつ決定的な段階に至っている必要があるでしょう。--このことも、梅林氏が指摘していたことと言っていいでしょう。

 「4.戦争捕虜および行方不明兵の遺骨の収容・送還」は、相互信頼醸成のための具体的な行動の第一歩ということができます。あるいは、米朝会談の開催は非常に長い間北朝鮮が望んできたことですので、その開催は米国による北朝鮮へのギブと解せますので、「4.」は、それへのさしあたっての返礼(北朝鮮から米国へのギブ)と解することもできます。

 

 以上、その文言に即した形で「シンガポール共同声明」の読解を試みました。

 読者は、この読解から、「シンガポール共同声明」は、北朝鮮が望んだことがほぼ完全に満たされているものである、あまりに北朝鮮に好都合すぎる、と感じたかもしれません。

 ただ、北朝鮮の非核化を成就するために、他の可能性があったのでしょうか?

 私に思いつく他の可能性は、国際的な制裁の持続・強化だけで、その場合、次の3つ結果のいずれかがあるように思います。

 a.国際的な制裁の強化によって、北朝鮮が「すべて米国あるいは国際社会のいうとおりにする」と自ら白旗を揚げる、あるいは、国家として自壊する。

 b.国際的な制裁の強化によって、北朝鮮が自暴自棄に陥り、自衛のためと称して、軍事的な行動を韓国・日本・米国等に対して行なう。

 c. 国際的な制裁の強化を続けながら、北朝鮮がbの行動に移る前に、米国が(中心となって)北朝鮮に対する軍事的行動を行なう。

  私は、aの可能性は低く、bまたはcになる可能性が高いと思います。bやcよりも、「シンガポール共同声明」の方法による<完全な非核化>の方がずっといいと考えます。

 「シンガポール共同声明」の方法では、北朝鮮が<安全の保証>だけ得て、<完全な非核化>は行なわないまま、「食い逃げ」されてしまうのではないか、という反論があるかもしれません。

 私は、北朝鮮がそうした行動をとるとは思いません。そうした時には、米国は<安全の保証>を撤回し、軍事的手段に訴える理由を持つことになりますし、実際にそうした理由に基づいた行動を取る可能性が非常に高いと思われるからです。

 この「シンガポール共同声明」が北朝鮮に好都合すぎるかどうかはさておき、重要なことは、「シンガポール共同声明」は、米朝2国間の合意としてすでに存在しているものだ、ということです。

 従って、米朝間の高官協議は、この「シンガポール共同声明」の基本枠に基づいてなされなければならないものです。

 報道や評価も、そうした前提がはっきりと自覚される必要があります。--実際にはそれがないので、私がここでこの読解を行なったわけですが。

 

 今回の「シンガポール共同声明」の読解を通じて、そのアイデアの根本が、実は「板門店宣言」にあることがわかると思います。

 「板門店宣言」には、北朝鮮の立場を考慮し、自国・近隣国への多大な犠牲を強いる軍事的オプションを避けながら、平和的な環境を作り出す中で完全な非核化を実現しようとする、韓国指導者による創造的な外交努力が反映しています。

 歴史家達は将来、この創造的外交努力を高く評価し、これに続く「シンガポール共同声明」の路線選択を、米国にとっても賢明なものであったと評価することでしょう。

 

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 次回は、

     ②記者会見にみるトランプの「取引deal」概念の検討

を行ないます。

 

「シンガポール共同声明」の完全・不可逆的な実施による、平和の完全・不可逆的な実現を!--「北朝鮮の外務省談話」をめぐって1

 米朝首脳が出した「シンガポール共同声明」の本質について、非常に簡潔な「まとめ」があります。

 梅林宏道氏による、東京新聞インタビュー(2018年07月12日掲載)への回答です。

 

――六月の米朝首脳会談で署名した共同声明は、北朝鮮の非核化への道筋が具体的に書かれなかった。

梅林「完全で検証可能、不可逆的な非核化(CVID)が明記されず、漠然としているという議論があるが、北朝鮮からすれば『安全の保証』も検証可能で不可逆的である必要がある。現時点では、非常にバランスのとれた妥当な合意だ。どっちが得した、損したということではない」

――非核化の行方は。

梅林「ステツプ・バイ・ステツプ(一歩ずつ)でいくしかない。北朝鮮は、公開した施設以外で(核兵器に利用可能な)ウラン濃縮をしている可能性がある。まず現状の把握が必要だ。次のステツプとして無能力化、最後に(核兵器や施設の解体がある。その間に多様なギブ・アンド・テークがある。米朝で行程について協議するのだろう」

 

 上記のインタビューの質問に見られるように、最近も日本のメディアでは、「シンガポール共同声明」に関しても、見るべきは北朝鮮の<非核化>のみであるかの報道が続いています。

 ところがこの質問に対し、梅林氏は、共同声明を「<非核化>と<安全の保証>のバランスのとれた妥当な合意だ」と明確に答えています。

 そして、氏は、<非核化>と<安全の保証>を合わせたギブ・アンド・テーク、かつ、ステツプ・バイ・ステツプの過程全体の中に、北朝鮮の<完全な非核化>を位置づけてとらえています。

 私は、「シンガポール共同声明」に対するこのような評価・理解は、「声明」の文面自体、非核化の技術的な性格、およびこれまでの経緯に即した常識的なものだと思います。

 梅林氏は、長崎大学核兵器廃絶研究センターが唱える「北東アジア非核兵器地帯構想」を主導してきた人です。彼の発言は、朝鮮半島や日本を含む東アジアの平和・非核化をどのように作り出していくのか、ということを真剣に考える立場と、「シンガポール共同声明」に対する上記のような常識的評価・理解が一致していることを示すものと言えるでしょう。

 しかし、日本のメディアは執拗に<北朝鮮の非核化> の狭窄的視点による報道・論評を続けています。

 例えば、東京新聞は、ネタはほぼ同一なのに、7月6日に行なわれた米朝の高官協議について、その対立状況を強調する記事を、2018年07月8日、07月10日、07月12日の3日間にわたって掲載しています。

 

 見出しを拾ってみますと、

「非核化意志揺らぎかねない」。北朝鮮、米との協議を批判。ポンペオ氏は進展強調 (07月8日)

米朝食い違い「非核化進展」「危険な局面」。北、中国と結束強め、強気に主導権狙う(07月10日)

米朝会談1カ月、非核化進展なし、米、具体的作業に入れず、北、突如終戦宣言を要求 (07月12日)

 そして、 07月11日の社説では、「首脳会談1カ月 次は北朝鮮が動く番だ」と題して、次のように主張しています。

 交渉の行方には、暗雲が広がっていると言わざるをえない。

 対立点は北朝鮮大量破壊兵器を完全に申告し、それを放棄する手順、日程を示す「行程表」を作成することだ。完全な非核化には、この行程表が欠かせない。

 ところが北朝鮮側は、行程表の前に、休戦中である朝鮮戦争の「終戦宣言」実現を求めた。

 体制の保証を確実にしながら、段階的に非核化に応じる、という交渉姿勢が表れている。

 ただ、米国はすでに、韓国との定期合同軍事演習の中止を決めている。次は北朝鮮が、具体的な行動に踏み出す番ではないか。 

 

 この社説の主張は、<北朝鮮の「非核化」のための行程表の作成>と<韓国・米国軍事演習の中止>を、それぞれ等価のもの(平等・正当な取引)として交換すべきであるかに述べるものです。

 「米国はすでに、韓国との定期合同軍事演習の中止を決めている」のに対し、次は、<非核化>のために「北朝鮮が、具体的な行動に踏み出す番」だ、と言うわけです。

 

 しかし、こうした主張は正しいのでしょうか?梅林氏が指摘したような、<非核化>と<安全の保証>のどちらをも完全・不可逆的に実現していくための「ギブ・アンド・テーク、かつ、ステップ・バイ・ステップの過程」と言えるでしょうか?

 もし、この社説のように行程表を作成するとしましょう。

 ①まず、どこにどのような核関連施設・物質・人材がどれだけあるというリストを作ります。

 ②次に、リスト上の各項目について、それらの廃棄の日程を決めていきます。

 このような①②について、未だに戦争状態にある国(つまり、米国)に渡し、あるいは、合意せよ、というのは、北朝鮮の立場からは認めることができないのは当然すぎることです。

 ①だけでも米国に渡してしまえば、米国の圧倒的な武力によって、ピンポイントですべての施設をあっと言う間に破壊されてしまう可能性は否定できず、その危険を恐れるのは当然でしょう。

 さらに②についても合意すれば、実行しない限り、「合意違反だ」としてまた武力攻撃の格好の理由にされるでしょう。また、②を合意、実行しても、<安全の保証>については、放置され、最終的にそれが得られない可能性も否定できないのです。

 ですから、北朝鮮にとって、①②の提出、作成、合意は、事実上の<完全な非核化(無防備状態)>を意味します。

 明らかに、<韓国・米国軍事演習の中止>と、「等価」のものとして引き換えにできるようなものではありません。

 実は、このことは、7月8日の「北朝鮮の外務省報道官談話」の中に、はっきりと次のように述べられています。

 

アメリカ側は今回の会談で合同軍事演習を1つや2つ、一時的に取り消したことを大きな譲歩のように宣伝したが、1丁の銃も廃棄せず、すべての兵力を従来の位置にそのまま置いている状態で、演習という1つの動作だけを一時的に中止したことは、任意の瞬間に再び再開することができる極めて可逆的な措置であり、われわれが取った核実験場の不可逆的な爆破廃棄措置に比べることすらできない問題である。

 

 ここで私が確認したいことは、日本の報道が非常に偏ったものだ、と言う事です。

 北朝鮮による論理を伴った主張は一切紹介せず、論理的な説得力があるか否かは完全に無視して、すべての北朝鮮の主張について、その正当性の有無と無関係に、それは駆け引きであり、揺さぶりであり、牽制である、という決めつけて報道しています。

 そして、このような報道姿勢を保つために、北朝鮮の主張から一部分だけを抜き出して自らに都合のいい記事をつくり、北朝鮮の主張の論理性が伝わってしまうような部分は、隠して報道しないのです。

 上記で言及した東京新聞の3つの記事と1つの社説において、重要なネタであり、かつ、はっきりとした情報源がわかっているのは、私が上記で引用した7月8日の「北朝鮮の外務省報道官談話」です。

 ですから、本来、これらの記事や社説が最低限の事実を公平に伝えようとするならば、北朝鮮の主張を、彼らの論理に沿う形でも紹介しなければならないはずです。しかし、それは全くなされていません。

 では改めて、この「談話」では、北朝鮮自身によって何が主張されているのでしょうか。

 少し長くなりますが、私が言っている事が間違いでないことを理解していただくために、先に引用した部分も含め、主要部分を下に転載しておく事にします。

 実はネット上で、この「北朝鮮外務省報道官の談話全文」の日本語版を探しても、現在は、以下のサイトにしか見る事ができません(私はこのサイトの記述に間違いがない事を、Wayback Machineというサイトを使って確認しました)。

http://www.asyura2.com/18/kokusai23/msg/418.html

 元は、NHKニュースのサイトの記事だったのですが、そこからは消去されているようです(あるいは容易に探し出せないどこかに格納されたのか)。

 要するに(私の邪推でなければ)、北朝鮮の主張は、それに物理的にアクセスができないように、文字通り「隠されて」しまったのです。

 ですから、ここで長文の転載を行なうことは、隠蔽された情報を復活させるという意味でも意義のあることと考えます。

 

「北朝鮮外務省報道官の談話(2018年07月8日)」の主要部分

 

・・・われわれは、アメリカ側が朝米首脳会談の精神に即して、信頼醸成の役に立つ建設的な方案を持ってくるだろうと期待し、それに相応した何かをする考えも持っていた。

 しかし、6日と7日に行われた初の朝米高位級会談で現れたアメリカ側の態度と立場は実に遺憾極まりないものであった。

 われわれ側は朝米首脳会談の精神と合意事項を誠実に履行する変わらない意思から、今回の会談で共同声明のすべての条項のバランスの取れた履行のための建設的な方途を提起した。

 朝米関係の改善のための多面的な交流を実現する問題と朝鮮半島での平和体制構築のために、まず、朝鮮停戦協定65周年を契機に終戦宣言を発表する問題、非核化措置の一環としてICBM大陸間弾道ミサイルの生産中断を物理的に確証するために、高出力エンジン試験場を廃棄する問題、アメリカ兵の遺骨発掘のための実務協議を早急に始める問題など、広範囲な行動措置を、おのおの、同時的に取る問題を討議することを提起した。

・・・

 しかし、アメリカ側はシンガポール首脳会談の精神に反して、CVID=完全で検証可能、かつ、不可逆的な非核化だの、申告だの、検証だの言って、一方的で強盗のような非核化要求だけを持ち出した。

 情勢の悪化と戦争を防ぐための基本問題である朝鮮半島の平和体制構築の問題については一切言及せず、すでに合意された終戦宣言問題まであれこれと条件と口実を付けて、遠く後回しにしようとする立場を取った。

 終戦宣言を一日も早く発表する問題について言うならば、朝鮮半島で緊張を緩和し、強固な平和保障体制を構築するための最初の工程であると同時に、朝米間の信頼醸成のための優先的な要素であり、およそ70年間続いてきた朝鮮半島の戦争状態を終結させる歴史的課題として、北南間のパンムンジョム宣言にも明示された問題であり、朝米首脳会談でもトランプ大統領がさらに熱意を示した問題である。

 アメリカ側が会談で最後まで固執した問題は過去の前政権が固執し、対話の過程を台なしにし、不信と戦争の危険だけを増幅させたガンのような存在である。アメリカ側は今回の会談で合同軍事演習を1つや2つ、一時的に取り消したことを大きな譲歩のように宣伝したが、1丁の銃も廃棄せず、すべての兵力を従来の位置にそのまま置いている状態で、演習という1つの動作だけを一時的に中止したことは、任意の瞬間に再び再開することができる極めて可逆的な措置であり、われわれが取った核実験場の不可逆的な爆破廃棄措置に比べることすらできない問題である。

 会談結果はかなり憂慮すべきものであると言わざるをえない。アメリカ側が朝米首脳会談の精神に合致するように、建設的な方案を持ってくるだろうと考えたわれわれの期待と希望は愚かであると言えるほどの純真なものであった。

・・・

 朝米関係の歴史上初めてとなるシンガポール首脳会談で、短い時間に貴重な合意がなされたこともまさにトランプ大統領自身が朝米関係と朝鮮半島の非核化問題を新しい方式で解決しようと言ったためである。

 双方が首脳レベルで合意した新しい方式を実務的な専門家レベルで放棄し、古い方式に戻っていくならば、両国人民の利益と、世界の平和と安全のための新しい未来を開いていこうとする両首脳の決断と意志によって用意された世紀的なシンガポール首脳会談は無意味になるだろう。

 今回、初の朝米高位級会談を通じて、朝米間の信頼はさらに強固になるどころか、かえって、確固不動だった、われわれの非核化の意思が揺らぎかねない危険な局面に直面することになった。

 われわれはこの数か月間、できるだけの善意の措置をまず取り、最大の忍耐心を持って、アメリカを注視してきた。

 しかし、アメリカはわれわれの誠意と忍耐心を間違って理解したようだ。

 アメリカは自分の強盗のような心理が反映された要求条件までも、われわれが忍耐心を持って、受け入れると見なすほどに、根本的に間違った考えをしている。

 朝米間の根深い不信を解消して信頼を醸成し、このために失敗だけを記録した過去の方式から大胆に脱して、既成にこだわらず、全く新しい方式で解決していくこと、信頼醸成を優先させて、段階的に同時行動の原則に基づいて解決可能な問題から1つずつ解決していくことが朝鮮半島の非核化実現の最も早い道である。

 しかし、アメリカ側が焦燥感にとらわれて、前政権が持ち出した古い方式をわれわれに強要しようとするならば、問題の解決にいかなる助けにもならないだろう。

 われわれの意思とは別に、非核化の実現に適する客観的な環境が醸成されないならば、むしろ良好に始まった両国関係の発展の気流が乱れることになる。

 逆風が吹き始めれば、朝米両国にはもちろん、世界平和と安全を願う国際社会にも大きな失望を抱かせ、そうなれば、お互いが間違いなく、ほかの選択を模索することになり、それが悲劇的な結果へとつながらないという保証はどこにもない。われわれはトランプ大統領に対する信頼をまだ保っている。

 アメリカは首脳の意思とは異なり、逆風を許すことが果たして世界の人民の志向と期待に合致し、自国の利益にも合致するのかを慎重に考えるべきである。 

 

  

 次回に、メディアがこの「北朝鮮の外務省報道官談話」の主張の論理的骨格を無視・隠蔽しながら、いかに自己に都合のいい引用を行なっているか、ということを確認した上で、現在何が起きているのか、という問題を議論したいと思います。

祝 「板門店会談・宣言」「シンガボール共同声明」--<憲法9条・国連理念主義>の現実化から見る

 現在、6月12日になされた米朝会談、そしてその成果として発表された「シンガポール共同声明」の意義については、マスメディアにおいて、非常に冷淡に扱われています。

 水島朝穂氏は、1989年のベルリンの壁が崩壊した時の学生の興奮と対照的に、6月13日のゼミにおいて、学生が一人も話題にもしていなかったことを記しています。

 米朝会談、「シンガポール共同声明」を明確に歓迎する態度の人々はとても少ない印象を受けます。

 政党で見ても、歓迎の態度を明確にしているのは共産党だけです。

 共産党は、「板門店宣言」「シンガポール共同声明」ともに、志位委員長談話で「心から歓迎する」と述べています。

 社民党の場合は、「板門店宣言」については、吉川幹事長はその談話で、「 世界史的な変化に向けた新たな歴史の出発点となったことを歓迎する。」と述べていました。

 ところが、「シンガポール共同声明」については、次のように調子が変わっています。

 「 対⽴し、緊張関係にあった両国の⾸脳同⼠が、直接の対話と交渉によって懸案事項の平和的解決を図ろうとしていることを歓迎し、⽶朝両国の関係改善が進むことを期待する。

 「シンガポール共同声明」については、世界史的な位置づけがなくなり、米朝両国間の問題になってしまいました。また「板門店宣言」との関連については触れられていません--「声明」と「宣言」の2つは明らかに連動しているというのに。

 要するに、社民党の吉川幹事長においては、「板門店宣言」に比べて「シンガポール共同声明」への評価は明らかに低いのです。

 立憲民主党はどうでしょうか?

 党の公式サイトで、「シンガポール共同声明」「米朝会談」で検索しても、党の立場を示したようなものは、何もヒットしません。

 そこで、ネットでそれらしいものを探すと、福山哲郎氏が、その公式サイトで、次のように述べています。

 

また、今週は、米朝首脳会談が開催されました。

朝鮮半島の平和にむけての第一歩が記されたことは、率直に評価をしたいと思います。しかし、安倍総理ならびに我が国が、会談結果に求めてきた状況とは、少しかけ離れたものになりました。

北朝鮮は体制保証を得ることができ、米韓の軍事演習の回避も言及され、国際的な好感度を上げることにも一定成功し、またもや北朝鮮が時間稼ぎをできるような状況になったのではないかと危惧しています。CVIDについても明記されていません。

 

 「率直に評価」と言っていますが、「 またもや北朝鮮が時間稼ぎをできるような状況になったのではないかと危惧しています」というのですから、むしろ、米朝会談(「シンガポール共同声明」)に対して、否定的な評価をしていると言った方が良いように思います。

 私は、「板門店宣言」「シンガポール共同声明」と続いて示されてきた平和への道が、さらに実現していくように、それらを積極的に支持する声を上げていく必要があると考えているのですが、ともかく、メディアやほとんどの政党の状況は正反対で、相変わらず「完全非核化CVID」一本槍のごとくです。

 何故、こんなことになっているのでしょうか。

 それは、トランプが嘘つきであり、金正恩が兄を暗殺するような独裁者である、ということが一番の理由でしょう。

 「彼らが平和への道の先導者であるということはあり得ない」「彼らの言うことは信用できない」という判断は良識的で真っ当なものであり、まずは否定しがたいものです。世界中の多くの人々の間にこうした判断(明確に自覚されたものから漠然とした不信感までを含め)があります。

 そうした状況の中で、さらに、日本では大多数のメディアによって、「シンガポール共同声明」をめぐる報道場面で、ほぼ全面的ともいうべきほどに不信をあおる印象操作が加えられています。

 従って、「シンガポール共同声明」が示す方向を積極的に支持し、その実現のための環境を作っていくには、次の2つのレベルの作業が望まれます。

 第1は、「シンガポール共同声明」やそれらの外交政策や外交行動を、事実やそこで使われている言葉・文脈に即して理解し直す作業です。それは、関連報道における歪んだ印象操作を取り除いていく作業と言えます。

 第2は、理論的な作業です。嘘つきと非道な独裁者が平和のためのリーダーたり得るのか?(正確に言うならば、彼らの「シンガポール共同声明」での約束、それが示す今後の政策・行動を信頼すべきか?)という疑問に対して、説得的な肯定的解答を与えることです。

 以上の2つのレベルでの作業はどちらも重要ですが、特に後者は、極めて重要だと思います。何故なら、現在の「板門店宣言」に始まり、「シンガポール共同声明」によって現実化しつつある平和への道を声高く支持する者が少数派なのは、後者の理論的な支えが欠けていることが根本原因だからです。

 日本ほどメディアによる印象操作がかかっていない欧米においても、「シンガポール共同声明」への不信感は広く、深いもののように思えます。

 であるならば、この理論的問題を考えることは極めて重要であることは明らかでしょう。

 そこで、私の議論は、理論的な点を重点に行なうことにするつもりです。前もって、この理論的問題についての私の解答の要点を述べておきます。

 まず、金正恩とトランプの動機に焦点を当てて述べると、彼らが平和主義者でなく、彼らの動機が平和主義にはないことは言うまでもありません。

 逆に彼らは現実主義者であり、その現実主義的な動機こそが、この「シンガポール共同声明」の支えになっているのです。

 そして、そうした両者の現実主義的な動機によって成立しているものであるからこそ、「シンガポール共同声明」は我々も「信用」していいものであり、両国による今後の行動を示す「約束」と理解して良いものです。

 次に、彼らの動機であるところのそれぞれの現実主義について、それがどのようなものであるか、理論的にはどうとらえられるでしょうか。

 金正恩にとっての現実主義は、私が<19世紀までの国家・国際観>と呼ぶものに基づくものですが、実は、これが国際政治学者達の多数派、主流が依拠している国家・国際観です。

 他方、トランプの現実主義は、アメリカにおいて生じてきた<19世紀までの国家・国際観の矛盾>の中での<現実主義>です。この<19世紀までの国家・国際観の矛盾>は、アメリカにおける<巨大な産軍複合体の発展>によって不可避的に生じてきたものです。

 この矛盾は今や極に達していてます。

 そこで、ある地域では戦争を、別の地域では平和を選択する(中東では引き続き米軍が戦闘を続ける一方、極東では平和体制構築の兆しが差してくる)というような矛盾的な態度・政策が、<現実主義>的な選択として生ずるということが、あり得るようになっています。

 つまり、トランプの今の態度は、この<19世紀までの国家・国際観の矛盾>を体現するものとなっているのです。

 私は、トランプに見られるこのような<現実主義>は、私が<憲法9条・国連理念主義>と呼ぶもの--しばしば理想主義的で、非現実的なもの観念されがちであったもの--が、近年ますます現実的なものになってきたこと、そうした理念に基づく国際的な平和運動の主張と影響力が現実化してきたことの反映・結果と考えます。--もちろん、トランプはそうは意識してないでしょうが。

 私の以上のような理解の下では、トランプや米国の反平和的政策、核戦略を批判し、金正恩の非道な行ない、反人権的な政策を批判することと、「シンガポール共同声明」を積極的に支持することとは、当然のこととして両立することです。

 以上の理論的な議論を展開するのは、次回以降にして、今回は、私が行なってきた議論の中に、米朝会談(「シンガポール共同声明」)の意味を位置づけ、確認する、ということを簡単に行なって、終りにしておきたいと思います。

 私は前々回、

 

問題は、<(i)北朝鮮の非核化>と<(ii)「板門店会談・宣言」>、<(iii)今年中の終戦宣言(平和協定締結)>、<(iv)米朝会談>、との関連をどのようにとらえるか、ということです。 

 

と問題設定し、「板門店宣言」について次のように位置づけを行ないました。

 

 この私の視点、立場からは、「板門店宣言」で述べられている<(iii)今年中の終戦宣言(平和協定締結)>は、根本的重要性を持つものであり、韓国と北朝鮮が合意して目指す非核化は、その<(iii)今年中の終戦宣言(平和協定締結)>の支えがあって、安定的に実現し、完全化していくもの、つまり彼らの合意においては、<(i)北朝鮮の非核化>と<(iii)今年中の終戦宣言(平和協定締結)>を一体化させようとする意志が存在する――(iii)を基礎にしないと(i)のプロセスは結局不安定化、不調化してしまうという了解が存在する――と考えます。

 

 そして、

 

こうした視点からいうと、<(iv)米朝会談>はむしろ、<(iii)今年中の終戦宣言(平和協定締結)>への橋渡しという性格を持つとすら言えるのです。 

 

と書きました。

 私は、こうした基本構図は現在も有効であり、事態の今後の発展は、この基本構図にしたがって評価されるべきもの考えます。

 ところが、先程、立憲民主党の福山氏の主張で見たような、未だに <(i)北朝鮮の非核化>のみからものを見ようとする態度は、メディアにおいても非常に強固です。

 そうした視点からは、<(iii)今年中の終戦宣言(平和協定締結)>の問題は完全に欠落してしまいます。

 私は、「平和協定締結」にまですぐ至らないとしても、<(iii)今年中の終戦宣言>は、必ず関係国の重要事として、近い将来、提起されていくと考えています。

 何故なら、それは、「板門店宣言」に書かれていることであり、かつ、「シンガポール共同声明」においても確認されていることだからです。

 しつこいようですが、それらの該当部分を見ておきましょう。

 まず、「板門店宣言」です。

 

3.南と北は朝鮮半島の恒久的で強固な平和体制構築のために積極的に協力していく。
朝鮮半島での非正常的な現在の停戦状態を終息させ、確固とした平和体制を樹立することは、これ以上、先延ばしすることができない歴史的な課題だ。
(1)南と北はいかなる形態の武力も互いに使わないという不可侵合意を再確認し、これを厳格に遵守する。
(2)南と北は軍事的な緊張が解消し、互いの軍事的な信頼が実質的に構築されることにより、段階的に軍縮を実現していくことにした。
(3)南と北は停戦協定締結から65年になる今年に、終戦を宣言し、停戦協定を平和協定に転換し、恒久的で強固な平和体制の構築のための南北米3者、南北米中4者会談の開催を積極的に推進していくことにした。
(4)南と北は、完全な非核化を通じ、核のない朝鮮半島を実現するという共通の目標を確認した。
南と北は、北側が行っている主動的な措置が朝鮮半島の非核化のために大きな意義を持ち、重大な措置だという認識を共にし、今後、各々が自己の責任と役割を果たすことにした。
南と北は朝鮮半島の非核化のため、国際社会の支持と協力のために積極的に努力することにした。

 ここで、(1)(2)(3)があって、(4)がある、ということが重要です。

 次に「シンガポール共同声明」では、次のように述べられています。

2018年4月27日の「板門店宣言」を再確認し、北朝鮮朝鮮半島における完全非核化に向けて努力すると約束する

 ここで再確認されているのは、「板門店宣言」全体であって、「完全非核化」に関する部分だけではありません。

 以上を合わせてみれば、「板門店宣言」は起点であると同時に、ストーリーの基本コースを与えるものとなっていることは明らかです。

 ですから、近い将来に、<(iii)今年中の終戦宣言>のための話し合いがもたれるようになっていくでしょう。

 事態は、「板門店宣言」の基本路線に従って、「シンガポール共同声明」へと進んで来ました。

 これは、確かな平和への道が築かれつつあることを意味しており、たいへん喜ばしいことです。

 これからもこの基本路線に従って、朝鮮半島の政治は展開するでしょうし、また、そうした視点から事態の進展を評価することが、事態を正しく把握、理解する基本です。

  

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 今回を終える前に、「終戦宣言」に関わって、ある記事のことを、少し付け加えておきます。

 

 メディアにおける歪んだ印象操作の最重要の柱となっているのは、「完全な非核化(CVID)」ですが、続いて用いられている柱は、「中国の存在」です。

 日本の安全保障上の「敵」を効果的に演じていてくれた北朝鮮の悪役ぶりが減じつつある現在、巨大な「敵」としての「中国」へのシフトが行なわれつつあります(シフトというか、リターンというか)。

 「板門店宣言」「シンガポール共同声明」が示す平和への道に、この「中国の存在」「中国の陰」を強調することで、妙な難癖をつけるような記事がしばしば見られます。

 

 最近でいうと、東京新聞の6月25日の一面トップ記事がそれです。一見、何事が起きたのかびっくりしました。

 

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 その見出しを拾いますと、「終戦宣言、中国が見送り促す」「米朝会談前、正恩氏に」「影響力低下を懸念か」「米との主導権争い鮮明」となっています。

 米朝会談で「終戦宣言」が出されなかったのは、中国の(不当な?)駆け引きや圧力の結果の如くの印象を与える記事です。

 しかし、「板門店宣言」では、上記で見たように、「終戦宣言」に至る方法を、

終戦を宣言し、停戦協定を平和協定に転換し、恒久的で強固な平和体制の構築のための南北米3者、南北米中4者会談の開催を積極的に推進していく

と規定しているのです。

 これは、韓国、北朝鮮の合意であるばかりでなく、さらに、日本、中国、韓国よって、「日中韓会談の共同宣言(5月9日)」という形で裏書されていることも見逃せません。

 ですから、「シンガポール共同声明」で「終戦宣言」が出されなかったのは、まずは、ただ「板門店宣言」に従っただけのことということができるでしょう。

  私は、中国が北朝鮮や近隣国への影響力を高めようとし、また、米国との主導権争いを行なっていることは自明のことだと思います。

 「板門店宣言」は、もともと、そうした国際環境の現実と朝鮮戦争の歴史を踏まえて作られているものです。

 中国が「終戦宣言を見送るよう促していた」というのは、「終戦宣言」については、中国は「板門店宣言」のとおりにすべきだと表明した、ということでしょう。

  ですから、私から見ると、中国が「終戦宣言を見送るよう促していた」という情報は「新しいもの」という意味でのニュースとしての価値はないもので、むしろ、「板門店宣言」の有効性、深さを示すものとして評価すべきものということになります。

 詳論は避けますが、「終戦宣言」という言葉は、朝鮮戦争が今だ終わっていない(単に「休戦」状態にあるだけ)という歴史的な経緯を含んだ上で使われる言葉です。

 ですから、「終戦宣言」に至る過程で中国が一つの参加主体になることは自然かつ必要なことです。

 それと別に、プラグマティックな意味で北朝鮮が少しでも早く求めていたのは、米国による北朝鮮への「不可侵の約束」です。

 それは、「シンガポール共同声明」において、「トランプ大統領北朝鮮に安全の保証を与えることを・・約束した」という形で実現しました。

 北朝鮮としては、「約束」からさらに「条約」にまで持って行きたいところです。

 しかしその前に、ともかく、中国も参加した「終戦宣言」が国際的な課題となってくるでしょう。

 日本では、その時になって、またもっともらしい評論や「外交政策」が出てくるのでしょうが、今のところ誰もそのことを指摘していず、全く準備がないように見えます。

 

 

 

 

 

 

何故、安倍内閣支持率が上がったのか?--「シンガポール共同声明」へのネガティブ・キャンペーンがもたらしたもの

 共同通信社が6月16、17両日に実施した全国電世論調査によると、内閣支持率は44.9% でした。これは、5月12、13両日の前回調査と比較すると、6.0ポイント増加しています。この結果、今回不支持は43.2%なので、支持が不支持を上回ることになってしまいました。

 世に倦む日々氏は、また、自民党の支持率が、「報道ステーション」の世論調査では、「自民党支持率がが47.7%で今年に入って最高値。前月より6.3ポイント増」ということも指摘して、「何でこんなことになっているのか」と問題提起をしています。

 そして、自らの回答として、安倍政権と北朝鮮による拉致の被害者家族会が結託しており、安倍政権が苦境に陥りそうになると、安倍イメージをアップするように後者が前面に出て、国民的な同情を集め、それが功を奏している、という仮説を提出しています。 

  私は、世に倦む日々氏の仮説と関連はしますが、もう少し広い観点からの仮説を持っています。

  共同通信世論調査では、北朝鮮の非核化について、「実現すると思う16.4%」「実現すると思わない77.6%」となっています。

 6月12日の米朝会談の成功、その成果である「シンガポール共同声明」は、東アジアにおける平和への大きな動きを記すものです。

 しかし、日本のメディアは逆に不安を掻き立てています。メディアは、「シンガポール共同声明」によって、日本はより安全になったというよりも、より危険になったような印象を与え続けているのです。

 世論調査結果の「実現すると思わない77.6%」は、このようなメディアの影響を示すものであり、それは当然国民の不安の広がりを示唆するものでしょう。

 私は、この不安の増大こそが、安倍内閣自民党の支持率を増加させたものと考えます。

 この不安は、国民の間に「ネーション(国民共同体)感情」を強めるものとして機能しており、そして「ネーション(国民共同体)感情」の強まりが、安倍・自民党支持率の増大につながるように機能しているのです。

 この「シンガポール共同声明」以後にもたらされている不安の問題は、単にそれが量的に増大したというよりも、質的に新たなもので、今までに経験のない不安であることに注意すべきです。

 つまり今、国民の間では、「アメリカがこれまでと違って、日本の頼りある味方になってくれない、完全非核化しないと日本が危ないのに」「(とてもできそうもないけれど)『自分』の頭で考えて、どうするか決めてやっていかなければならないのか」という新しいタイプの漠然とした不安が広がっているように思います。

 この新しいタイプの不安は、「ネーション(国民共同体)感情」を強める機能を持ち、「日本国民はともかく一致団結しなければならない」「自分達のリーダーは有能であって、すべてをうまく解決できる」という感情・願望・思い込みを強化することになります。

 そうした中で、安倍政権を信頼しているわけではない人々の間でも、積極的にオールタナティブを選ぶよりも、消極的であれ、現にある政府、何といっても一番頼りになりそうな自民党に支持を与える、という態度が顕著になっているのではないでしょうか。

 世論調査によれば、「北朝鮮による日本人拉致問題朝鮮半島の非核化に対する安倍内閣の外交をあなたは評価しますか、しませんか」という問いに対し、「評価する44.2%」「評価しない46.1%」となっています。

 この質問では、外交ということで、拉致問題朝鮮半島の非核化とを一緒に質問しています。つまり、基本的に対北朝鮮外交(政策)を扱っています。

 また「安倍内閣の外交」という時、それは、「シンガポール共同声明」以前の外交を指すのか、それ以降の外交政策を指すのか、あるいはその双方全体を指すのか明示されていません。

 しかしこの質問の前に、「シンガポール共同声明」による北朝鮮の非核化の実現についての質問や「安倍首相が意欲的」である日朝首脳会談についての質問を行なっていますので、回答者の意識としては、「シンガポール共同声明」以降の外交政策が評価対象となっていると考えて良いと思います。

 つまり、「評価する」とした44.2%の回答者達は、「シンガポール共同声明」以降の情勢認識の中で、今後の対北朝鮮政策を肯定的に評価していると考えて良いでしょう。

 当然ここにも、先に述べてきたような新しいタイプの不安が反映していると考えられます。

 拉致問題に関しては、「日本人として、当然交渉し、拉致された人々を返してもらわなければならない」という気持ちは誰もが持つでしょう。

 世論調査を見ますと、「安倍晋三首相は、北朝鮮による日本人拉致問題の解決に向け、金正恩委員長との会談に意欲を示しています。日朝首脳会談を開催すべきだと思いますか」という質問に対し、「開催するべきだ81.4%」「開催する必要はない13.3%」となっています。

 「開催するべきだ」が圧倒的多数なのは、当然だと思います。

 しかし、今まで米国の尻馬に乗るような形で北朝鮮に対する強硬路線を声高に叫んでいた日本が、いやでも交渉主体として(あまりに当然ですが、日本のこととして)北朝鮮と交渉しなければならない、ということになったのです。

 「あの『凶暴』で、トランプを相手にしてすら『勝利』を収めた北朝鮮とうまく交渉していけるだろうか」という不安を感じています。

 さらにまた、今や正面からこの問題に向かい合わなければならなくなったのですが、その結果、「拉致問題の解決」と呼ぶもの(政府やマスコミや自分もそう呼んでいるもの)についても、それが何であるのか、薄々疑問を持ち始め、自信がなくなり始めています。

 「拉致問題の解決」は、政府の政策とされていますが、それはあまりに漠然としており、国内向けの響きを意識した「北朝鮮に対する強い要求」の開陳というようなもので、外交政策と名付けるべき実質を持っていません。

 例えば、日本政府が主張している拉致被害者が生存していない場合、何が「解決」なのか、誰にもわかっていないし、誰も説明しないのは妙なことです。

 しかし、また関係者もそれについて問題提起しようとしていません。これも妙なことです。

 ただ、こうした国民の間にある不安、自信喪失を打ち消すものとして、安倍首相と拉致被害者家族会がテレビに出てきます。*1

 安倍首相はこの件について自らの努力や拉致被害者家族とのつながりを強調し、少なくないメディアがそれを肯定的に大きく取り上げてきました。

 それは、現時点において「拉致問題の解決」という「外交政策」が説得的であるというよりも、繰り返しになりますが、それを改めて声高に「確認」することが、国民の間にある(メディア自身の間にもある)不安、自信喪失を打ち消すものとして機能するからです。

 こうした結果、世に倦む日々氏が指摘するように、安倍政権による「拉致問題の解決」が人々によって支持されるようになっているのです。

 

 以上、不安の増大とそれに基づく安倍政権支持率の増大について述べてきましたが、他方、そうした不安の増大にも関わらず、安倍政権への支持が過半数に届いていない、という事実も見逃すべきでないと思います。

 先に、「安倍内閣の外交」について「評価する44.2%」という数字を見ました。

  「評価する44.2%」は、「内閣支持44.9%」とほぼ同じ数字です。もちろん、この「評価する」の回答者との内閣支持の回答者が、そのまま重なりあっているということはできません。しかし、高い程度で重なり合っているのではないでしょうか。

 こうした数字は、国民の半分以下です。

 私が指摘してきたような不安が広がっている中で、安倍政権が実際に北朝鮮との外交を行なうという事態に対し、「交渉を行なう以上は、ともかく政府を支持しよう、ともかくその交渉(政策)は支持しなければならない」という心理を持つ者が確かに増大しています。

 しかし、そうした者は、国民の半数以下に止まっているのです。この事実は肯定的なものとして見逃してはならないでしょう。

  国民の多くが、安倍政権のテレビでのパフォーマンスをまだ冷静に見ているのです。

 

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 私は、「シンガポール共同声明」の平和への意義が積極的に理解できるようにする環境を作る必要があると思います。

 それによって、以上のべてきたような日本国民の間に広がりつつある、新しいタイプの不安の広がりをくい止めたい、と考えています。

 そのためには、「シンガポール共同声明」に対する攻撃について、理論的視点から対抗していくことが、実践的に重要性を持つと考えます。

 

 そうした作業を、次回以降に行なっていく予定です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:私は、「拉致被害者家族会」と安倍政権の具体的な関係について、断定的なことを言うことはできないので、その点は保留します。

祝 「板門店会談・宣言」――非常識で傲慢な日本のメディア2

 最近の米朝会談をめぐる報道も、非核化のみの狭窄的視点が続いています。何でこのようなことになっているのでしょうか?それによって何が見えなくなっているのでしょうか?

 問題は、<(i)北朝鮮の非核化>と<(ii)「板門店会談・宣言」>、<(iii)今年中の終戦宣言(平和協定締結)>、<(iv)米朝会談>、との関連をどのようにとらえるか、ということです。

 私が、視点の狭窄化と呼んでいるのは、(ii)(iii)(iv)のすべてを、(i)の視点のみから理解、評価しようとする視点、立場のことです。

 この狭窄化した視点、立場からは、<(ii)「板門店会談・宣言」>の「最大の課題(毎日新聞社説)」、「最大の焦点(東京新聞社説)」、「最も注目された(朝日新聞社説)」たことが、<(i)北朝鮮の非核化>とされます。

 またそこでは、<(ii)「板門店会談・宣言」>は、<(iv)米朝会談>への「橋渡し(毎日)」、「米朝首脳会談に向けた予備協議の色合い(朝日)」、「『完全な非核化』という表現で宣言文に盛り込むことを目指し・・・米朝首脳会談につなげる考えだった(東京)」という位置づけがなされます。つまり、本番、重要なのは、<(iv)米朝会談>である、というわけです。

 これらのメディアにおける<(iv)米朝会談>への主要な関心は、最近の報道紙面でも明らかですが、それは米側がいかに「完全な非核化」要求を貫徹させ、北朝鮮がそれを受け入れるか、つまり、<(i)北朝鮮の非核化>ということにあります。

 そして、これらの狭窄的視点では、「板門店宣言」で言及されている<(iii)今年中の終戦宣言(平和協定締結)>のオリジナルなイニシアチブとしての極めて重要な意義がとらえられず、言及されてもすぐその関心は、<(i)北朝鮮の非核化>や<(iv)米朝会談>に移される形でしか言及されていないのです。

 これに対し、私は前回、会談・宣言に関して、そのあるべき評価基準とは、

まずそれが現在の危機回避にどう貢献したか、ということであり、また今後の平和構築にいかに貢献し得るものか、ということにあります。

 と書きました。

 この私の視点、立場からは、「板門店宣言」で述べられている<(iii)今年中の終戦宣言(平和協定締結)>は、根本的重要性を持つものであり、韓国と北朝鮮が合意して目指す非核化は、その<(iii)今年中の終戦宣言(平和協定締結)>の支えがあって、安定的に実現し、完全化していくもの、つまり彼らの合意においては、<(i)北朝鮮の非核化>と<(iii)今年中の終戦宣言(平和協定締結)>を一体化させようとする意志が存在する――(iii)を基礎にしないと(i)のプロセスは結局不安定化、不調化してしまうという了解が存在する――と考えます。*1

 「宣言」の該当部分を読んでみましょう。 

南と北は停戦協定締結から65年になる今年に、終戦を宣⾔し、停戦協定を平和協定に転換し、恒久的で強固な平和体制の構築のための南北⽶3者、南北⽶中4者会談の開催を積極的に推進していくことにした。

 ここで重要なのは、「今年」という時限を与えていることです。これは、明らかに<(i)北朝鮮の非核化>のプロセスを、<(iii)今年中の終戦宣言(平和協定締結)>と関連づけることを意味しています。

 そしてそれは明らかに、<(i)北朝鮮の非核化>を無条件の絶対的な基準とする一方的制裁的な態度・アプローチではなく、対話・交渉のアプローチの中で、終戦・平和体制を構築し、その中で<(i)北朝鮮の非核化>を安定的に持続、完全化させる形で実現していくことを意味します。

 つまり、終戦・平和体制構築とは、そこで米国が不可欠でかつ極めて重要な役割を果たすことは当然ですが、同時に米国がこの対話・交渉のアプローチの枠組みの中に組み込まれること、米国が一度このアプローチに乗った後は、勝手、一方的に、制裁的・軍事的アプローチに切り換えたりすることを困難にすることを意味しています。

 つまりそれは、<(i)北朝鮮の非核化>のみを意味するもの、あるいは、それのみによって事態の進展が行なわれ、そのすべての評価がなされるようなものではなく(一方的な制裁的なアプローチではなく)、米国も何らかの譲歩を行ない(対話的アプローチをとり)、そうしたアプローチを長期的に安定化することが、北朝鮮に対しても保証されるということです。

 こうした視点からいうと、<(iv)米朝会談>はむしろ、<(iii)今年中の終戦宣言(平和協定締結)>への橋渡しという性格を持つとすら言えるのです。

 もちろん、<(iv)米朝会談>は、実現するにしてもしないにしても、決定的な重要性を持つことはいうまでもありません。

 万一、<(iv)米朝会談>が実現しない、あるいは実現しても合意に失敗して決裂ということになれば、それは、確実に米国による戦争断行の可能性を非常に高めるものとなるでしょう。

 しかし、ここで日本の多くのメディアの論調を見ていますと、<(iv)米朝会談>が実現しないことを望むかの如くです。<(i)北朝鮮の非核化>だけを絶対確実に実現することを求め、<(iv)米朝会談>が実現するとしても、なんら譲るべきでなく、見返りを与えるべきでないかに主張し、まるで本心ではそれが決裂してほしいかの調子です。だがそれは、米国による戦争への道であり、それを正当化するものであり、朝鮮半島のすべての人々だけでなく、日本にとっても極めて危険な道です。

 実は、こうした強硬的な態度は、強い意志や決断力の表れではなく、逆に、私が前回指摘した「主体性の欠如」の表れでもあります。自分の頭で、日本のおかれている危険な状況をとらえ、それからどのように抜け出すのか、という判断を下すことが、全くできなくなっているのです。

 そうした判断はすべて米国にまかせて米国の言うままに「判断」し、後は、自分達は米国を親分とするシステムにおいて、第1番の子分を自認して――自認というより、自分勝手にそう思い込んで――欧米諸国以外の他国にはえばりちらす、という姿勢を、日本のメディアもまたとってきたのです。

 こうした態度は、安倍ファシズム政権の特徴ですが、実は同時に、ほとんどの日本のメディアにも特徴的なもので、それはさらに日本全体を覆う主体性の欠如現象の因となり果となっています。

 この米国に従属することによる<米国にとっての第1の子分>意識の醸成は、かなり古くからなされてきたものですが、安倍ファシズム政権の成立や日本の様々なパワーの凋落という事実によって、今日、この意識はさらに強化されています(白井聡『国体論 菊と星条旗』参照)。

 この<米国にとっての第1の子分>的意識は、韓国の保守・支配勢力の中でも、別の形であるように思えます。朝鮮戦争以来の米国への特殊な依存関係、その下での経済成長、といった条件は日本の場合と類似するものであり、支配層を中心として、そうした意識を醸成するものとなってきたのではないでしょうか。

 彼らやその意見を反映する韓国のメディアの一部もまた、「板門店会談・宣言」に懐疑を示し、反対するような言論を広めようとし、展望もないまま、北朝鮮との妥協を排し、徹底的な即時の<(i)北朝鮮の非核化>を唱えているかに見えます――米朝の対話が実現しない場合、一番の多大、深刻な被害が及ぶのは、韓国と北朝鮮の人々である可能性が非常に濃厚であるにもかかわらず。

 幸いなことに、ろうそく革命で生まれた韓国の新政権は、前回述べたように、破局を回避し、さらに、平和構築を目指す現実的な道へのイニシアチブを発揮しています。

 私は、今回の「板門店会談・宣言」実現に関して、文大統領のイニシアチブは大きいと思いますし、また、文大統領のイニシアチブが、米大統領トランプとのおおまかな了解の感触を得ながら進められたであろうと想像します。

 ただ、だからといって実際に、文大統領や「板門店宣言」が予定、希望した通りに、<(iv)米朝会談>が実現し、<(iii)今年中の終戦宣言(平和協定締結)>が予定、希望した通りに実現する、というほど国際政治は甘いものではない可能性があります。米国の力は極めて大きく、関係国との合意やこれまでの経緯を無視して、いきなり何を起こしても不思議ではありません。

 特に、トランプが大統領に就任して以来、彼と米国の既存の支配勢力・ネオコンとの関係は、どのようなものであったのか、それが今後どのようなものになっていくのかは、推測しがたいことです。そのことが、当然、この平和体制構築の問題に即影響を与えるのは確かです。

 しかし、現時点において、この「板門店会談・宣言」という両国の合意、イニシアチブ(<(iii)今年中の終戦宣言(平和協定締結)>を根本においた<(i)北朝鮮の非核化>、対話的アプローチ)はとてもすばらしいものであり、私達もこれを支持し、大切にしよう、と訴えたいと思います。そして、それが国際的常識です。

 ところがすでに述べたように、日本のメディアは、非常識な狭窄的視点を今も持ち続けながら報道を流しており、自らの主体性の欠如について全く自覚がないようです。

 そして恥ずかしいことに、「板門店会談・宣言」を素直に受け止め、歓迎することができず、そのオリジナルなイニシアチブの価値を認め、評価することができず、無内容に偉ぶった態度をとっています。

 メディアの自覚を促すために、もう一度、毎日、朝日、東京の4月28日付けの新聞社説を引いて、具体的に議論しておきます。

 各社説とも、「板門店宣言」の中に明記された<(iii)今年中の終戦宣言(平和協定締結)>の重要性を無視することはできずに、それを取り上げているのですが、「宣言」に明白に見てとれる両国の平和構築のためのイニシアチブを正当に評価しようとしません。

 朝日新聞社説では、前回も指摘したように、

「宣言の他の中身は、07年の前回に出た南北共同宣言から大きな進展はなかった」「非核化も平和構築の問題も、南北だけでは解決できないという限界も浮き彫りにした」

と、半ば否定的な断言がなされています。

 では、この「限界」をどのようにとりはらうべきだというのでしょう?それは、一応、「南北当事者と国際社会の協力が欠かせない」と述べているのですが、読み進めていくと、具体的には、次のように米国頼みなことが分かります。

「段階的に非核化をめざした過去の合意を生かせなかった失敗を繰り返さず、なおかつ、芽生え始めた和平の動きを摘んでしまわない。[トランプ氏に]そんな巧みな配慮と外交戦術が求められる。

 ・・・文氏は5月に訪米する。トランプ氏は謙虚に耳を傾け、本格的に朝鮮半島の将来像を考えた政策を打ち立ててほしい。

 韓国や北朝鮮の主体性、その主体性の表れである両国の交渉成果を正当に評価できないこの社説の姿勢は、次の文にも表れています。

今回の南北会談に続き、米朝会談の結果次第では、北東アジアの枠組みや構造が大きく変わる契機となる可能性がある。

 この文では、「大きく変わる契機となる」に関わる主語が何か不明ですが、実質的に米朝会談――つまり米国の政策――に決定的な意味が与えられています。そのような重大な契機を作り出したイニシアチブが南北会談にあることを、極力避ける表現がなされているのです。明らかに、南北会談・宣言こそ、そうした「大きく変わる契機」を作り出したイニシアチブであったにも関わらず、です。

 毎日新聞では、「きのうの会談では終始、南北融和ムードが演出された」と、会談の意義をムード、演出と斜めから見ます。

 ただ、「宣言」の中に、終戦宣言、平和協定締結の項目があることは、次のような形で触れています。

休戦状態が完全な終戦に向かえば、日本をはじめとする北東アジアの安定化に大きく寄与する。年内と区切ったのは、北朝鮮の非核化を同時に進める狙いがあるのだろう。

  この「北朝鮮の非核化を同時に進める狙いがあるのだろう」といった書き方は、「宣言」において極めて重要なこの部分が、韓国と北朝鮮の合意を表すものというよりも、まるで、韓国の「狙い」をより強く反映している、というような毎日新聞の社説の著者の歪んだ認識を示すものです。

 しかし、それにしても、これは<(iii)今年中の終戦宣言(平和協定締結)>と<(i)北朝鮮の非核化>を一体化してとらえる、私が提示した視点に近いようにも見えます。

 ところが上記の文章には、次の文が続いています。

そうであればこそ、日本やロシアも加わる枠組みが必要だ。・・・韓国政府は、地域の平和構築に向けた協議の重要性を改めて検討すべきだ。

 つまり、「板門店宣言」にダメだしをして、日本やロシアを加えろ、そういう案に作り直せというのです。何と言う傲慢!

 また、毎日新聞も、今回の「板門店会談・宣言」が「大きく変わる契機」となり得るとした朝日新聞と同様、「好機」というとらえ方を次のように示しています。

 北朝鮮は核保有国としての立場に変化はなく、米国と軍縮交渉に臨むに過ぎないとの否定的な見方と、場合によっては核放棄を含めた大胆な決断もありうるとの観測が交錯している。

とはいえ、北朝鮮核問題解決に向けた好機との見方は関係国の一致するところだ。合意履行が不十分な状況での行き過ぎた融和政策は禁物だが、信頼関係構築に向けて努力すべき時でもある。

 ここでは、平和体制の構築という表現ではなく、「北朝鮮核問題解決」という表現(つまり、<(i)北朝鮮の非核化>の視点による表現)が用いられています。しかし、「信頼関係構築」という表現が現れていることから見て、これは実質的に、平和体制の構築、そのための対話的アプローチを意味していると見て良いでしょう。

 このような重要性を持つ「好機」が、「板門店会談・宣言」によってもたらされた、ということを絶対に述べようとしないことも、既に見たように朝日新聞の場合と同様です。

 「板門店宣言」が、<(iii)今年中の終戦宣言(平和協定締結)>を提起していること自体のオリジナリティ、イニシアチブに言及することなく、そうした努力を評価することもなく、無視し、その合意提案の中に対話的アプローチが含意されていることについても、言及していません。

 東京新聞の社説についても見ておきましょう。

  関連部分を下記にコピーします。

[E]

 (dec1)さらに発表文には、朝鮮戦争(一九五〇~五三年)について、区切りをつける「終戦宣言」が盛り込まれた。

 (com1)朝鮮戦争は休戦中であり、法的には戦争が継続している。

 (dec2)南北は「いかなる武力もお互いに使わない」とし、平和的な共存を宣言した。(com2)北朝鮮は体制の存続に安心感を抱き、核放棄へ踏みだしやすくなるだろう。

 (com3)朝鮮半島の緊張状態を根本的に解消するには、朝鮮戦争の正式な終結が欠かせない。

 (com4)今後、南北朝鮮、米中の関係国首脳が集まり、この宣言を再確認したうえで、休戦協定を平和協定へと早急に切り替えるべきだ。

 (dec1)等と表記された文は、宣言を紹介した部分、(com1)等と表記された文は、「社説」による解説・コメントです。

 この[E]の(com4)までの部分は重要ですが、不正確でわかりにくい書きぶりになっています。何回読んでもよくわかりません。しかし、ここでの核心は、「終戦宣言」「停戦協定」「平和協定」のあたりだ、ということは直感的に見当がつきます。

 そこで、こういう時は、アカデミックな研究と同じように、オリジナル――ここでは、「板門店宣言」――に戻って該当部分がどうなっているのかを調べ、そこでいっていることを理解するのが早道です。

 その該当部分は、既に、今回のこのブローグの比較的最初の方に、記した通りですが、もう一度ここにコピーしておきます。

南と北は停戦協定締結から65年になる今年に、終戦を宣⾔し、停戦協定を平和協定に転換し、恒久的で強固な平和体制の構築のための南北⽶3者、南北⽶中4者会談の開催を積極的に推進していくことにした。

 これと比較しますと、「東京新聞社説」は、まず「宣言」の中身をうまく紹介できていないことが分かります。

 以下は、私が「宣言」の各条項の順番に従って、内容も「宣言」に忠実に書き直し、コメントも分かりやすいように少し書き直したものです。 

(dec2)’南北は「いかなる武力もお互いに使わない」とし、「相互不可侵合意を再確認し、厳守する」ことに合意した。

(com1)’しかしなお、法的には、朝鮮戦争は休戦中であって、戦争が終わったわけではない。

 (dec1)’そこで、その完全な終結を目指して、次の合意が盛り込まれた。「南と北は停戦協定締結から65年になる今年に、終戦を宣言し、停戦協定を平和協定に転換し、恒久的で強固な平和体制の構築のための南北米3者、南北米中4者会談の開催を積極的に推進していくことにした。」

 こうすると、「終戦宣言」「停戦協定」「平和協定」の意味、それらが「板門店宣言」のどこに出てくるのか、正確かつ明快に理解できるでしょう。

 そしてまた、「板門店宣言」の重要な意義が──平和構築のための重要な意義が──ここにあることがわかってきます。

 朝日新聞の社説が、「板門店宣言」を2007年の共同宣言と変わらないと評していたことを紹介しました。しかし、「板門店宣言」は2007年の共同宣言と異なり、「平和協定」締結について、既に指摘したように「今年」という期限を明示していることが重要です。

 それは、<(ii)「板門店会談・宣言」>、6月予定の<(iv)米朝会談>、さらに<(iii)今年中の終戦宣言(平和協定締結)>が一体的なもの、一定の方向を持つようにするイニシアチブ(提案)です。

 巷において、ノーベル平和賞が語られているのは、それらが一体的なものとして理解されていて、また、それが成功した場合の多大な平和への貢献が理解され、あるいは感じられているからでしょう。

 ところがどうでしょう!――東京新聞の「社説」では、このすばらしいイニシアチブがあたかも「社説」の著者による提案というものであるかの書き方にになっています――「社説」の著者が書いたはずの(com4)を読むと、それは、今言及した「宣言」のイニシアチブ(提案)とほぼ同じものです。

 「社説」がこれを自らの提案の如く提示するのは、「社説」の著者による「宣言」からのパクリというべきものであるばかりではなく、このパクリによって、「宣言」のオリジナルな重要な意義もまた隠してしまうことになっているという点で、強く批判されるべきものです。*2

 せっかく、「(com3)朝鮮半島の緊張状態を根本的に解消するには、朝鮮戦争の正式な終結が欠かせない。」という適切なコメントをしているのに、何でこんなことになってしまっているのでしょうか?

 私は、ここにも、「板門店宣言」のオリジナリティ、イニシアチブをすなおに認めようとしない心理が働いていることを感じざるを得ません。

 私は、日本が和平体制構築に積極的に関わっていくべきだと考えますが、それには、「板門店会談・宣言」の意義を受け止め、歓迎する態度、そこに協力的に参加していく態度を明確にすることが不可欠な前提だと思います。

 実は、この不可欠な前提は、すでに5月9日に開かれた日中韓会談の共同宣言に日本政府も署名したことによって満たされているはずです。それは、次のように述べています。

・日本及び中華人民共和国の首脳は,2018年4月27日の・・・「朝鮮半島の平和と繁栄,統一のための板門店宣言文」を特に評価し,歓迎する。

・我々,日本,中華人民共和国及び大韓民国の首脳は,南北首脳会談の結果を踏まえ,特に,来る米朝首脳会談を通じ,関係国による更なる努力が,地域の平和及び安定に向けた関係国の懸念の包括的な解決に貢献することを強く希望する。

・我々は,朝鮮半島及び北東アジアの平和と安定の維持は,我々の共通の利益,かつ,責任であることを再確認する。我々は,この目標に向かい,共同の努力を強化していく。

 

 これはまた、私が以上で述べてきた私の視点からの「板門店宣言」理解と基本的に同じものといえるでしょう。

 ところが、5月19日現在なお、日本政府も、この公的に採用したはずの態度を真摯に実践しているようには見えませんし、日本のメディアも態度を改めているようには見えません。

 主体性を喪失しつつ、傲慢さにしがみつく病状は、やはり重くて、そう簡単に治らないもののようです。

*1:私の立場は、基本的に世に倦む日々氏がツウィートやブローグでこの件に関して書かれているものに依拠、参照したものです。

*2: (com4)には、「この宣言を再確認したうえで」という文言があります。これは、パクリを行なう学生や質の悪い研究者が、パクリの指摘を受けた時に「これが『宣言』からの引用を意味している」と言い訳に使うためのものかもしれません。もちろん、そのような言い訳は通用しませんが。