祝 「板門店会談・宣言」「シンガボール共同声明」--<憲法9条・国連理念主義>の現実化から見る
現在、6月12日になされた米朝会談、そしてその成果として発表された「シンガポール共同声明」の意義については、マスメディアにおいて、非常に冷淡に扱われています。
水島朝穂氏は、1989年のベルリンの壁が崩壊した時の学生の興奮と対照的に、6月13日のゼミにおいて、学生が一人も話題にもしていなかったことを記しています。
米朝会談、「シンガポール共同声明」を明確に歓迎する態度の人々はとても少ない印象を受けます。
政党で見ても、歓迎の態度を明確にしているのは共産党だけです。
共産党は、「板門店宣言」「シンガポール共同声明」ともに、志位委員長談話で「心から歓迎する」と述べています。
社民党の場合は、「板門店宣言」については、吉川幹事長はその談話で、「 世界史的な変化に向けた新たな歴史の出発点となったことを歓迎する。」と述べていました。
ところが、「シンガポール共同声明」については、次のように調子が変わっています。
「 対⽴し、緊張関係にあった両国の⾸脳同⼠が、直接の対話と交渉によって懸案事項の平和的解決を図ろうとしていることを歓迎し、⽶朝両国の関係改善が進むことを期待する。」
「シンガポール共同声明」については、世界史的な位置づけがなくなり、米朝両国間の問題になってしまいました。また「板門店宣言」との関連については触れられていません--「声明」と「宣言」の2つは明らかに連動しているというのに。
要するに、社民党の吉川幹事長においては、「板門店宣言」に比べて「シンガポール共同声明」への評価は明らかに低いのです。
立憲民主党はどうでしょうか?
党の公式サイトで、「シンガポール共同声明」「米朝会談」で検索しても、党の立場を示したようなものは、何もヒットしません。
そこで、ネットでそれらしいものを探すと、福山哲郎氏が、その公式サイトで、次のように述べています。
また、今週は、米朝首脳会談が開催されました。
朝鮮半島の平和にむけての第一歩が記されたことは、率直に評価をしたいと思います。しかし、安倍総理ならびに我が国が、会談結果に求めてきた状況とは、少しかけ離れたものになりました。
北朝鮮は体制保証を得ることができ、米韓の軍事演習の回避も言及され、国際的な好感度を上げることにも一定成功し、またもや北朝鮮が時間稼ぎをできるような状況になったのではないかと危惧しています。CVIDについても明記されていません。
「率直に評価」と言っていますが、「 またもや北朝鮮が時間稼ぎをできるような状況になったのではないかと危惧しています」というのですから、むしろ、米朝会談(「シンガポール共同声明」)に対して、否定的な評価をしていると言った方が良いように思います。
私は、「板門店宣言」「シンガポール共同声明」と続いて示されてきた平和への道が、さらに実現していくように、それらを積極的に支持する声を上げていく必要があると考えているのですが、ともかく、メディアやほとんどの政党の状況は正反対で、相変わらず「完全非核化CVID」一本槍のごとくです。
何故、こんなことになっているのでしょうか。
それは、トランプが嘘つきであり、金正恩が兄を暗殺するような独裁者である、ということが一番の理由でしょう。
「彼らが平和への道の先導者であるということはあり得ない」「彼らの言うことは信用できない」という判断は良識的で真っ当なものであり、まずは否定しがたいものです。世界中の多くの人々の間にこうした判断(明確に自覚されたものから漠然とした不信感までを含め)があります。
そうした状況の中で、さらに、日本では大多数のメディアによって、「シンガポール共同声明」をめぐる報道場面で、ほぼ全面的ともいうべきほどに不信をあおる印象操作が加えられています。
従って、「シンガポール共同声明」が示す方向を積極的に支持し、その実現のための環境を作っていくには、次の2つのレベルの作業が望まれます。
第1は、「シンガポール共同声明」やそれらの外交政策や外交行動を、事実やそこで使われている言葉・文脈に即して理解し直す作業です。それは、関連報道における歪んだ印象操作を取り除いていく作業と言えます。
第2は、理論的な作業です。嘘つきと非道な独裁者が平和のためのリーダーたり得るのか?(正確に言うならば、彼らの「シンガポール共同声明」での約束、それが示す今後の政策・行動を信頼すべきか?)という疑問に対して、説得的な肯定的解答を与えることです。
以上の2つのレベルでの作業はどちらも重要ですが、特に後者は、極めて重要だと思います。何故なら、現在の「板門店宣言」に始まり、「シンガポール共同声明」によって現実化しつつある平和への道を声高く支持する者が少数派なのは、後者の理論的な支えが欠けていることが根本原因だからです。
日本ほどメディアによる印象操作がかかっていない欧米においても、「シンガポール共同声明」への不信感は広く、深いもののように思えます。
であるならば、この理論的問題を考えることは極めて重要であることは明らかでしょう。
そこで、私の議論は、理論的な点を重点に行なうことにするつもりです。前もって、この理論的問題についての私の解答の要点を述べておきます。
まず、金正恩とトランプの動機に焦点を当てて述べると、彼らが平和主義者でなく、彼らの動機が平和主義にはないことは言うまでもありません。
逆に彼らは現実主義者であり、その現実主義的な動機こそが、この「シンガポール共同声明」の支えになっているのです。
そして、そうした両者の現実主義的な動機によって成立しているものであるからこそ、「シンガポール共同声明」は我々も「信用」していいものであり、両国による今後の行動を示す「約束」と理解して良いものです。
次に、彼らの動機であるところのそれぞれの現実主義について、それがどのようなものであるか、理論的にはどうとらえられるでしょうか。
金正恩にとっての現実主義は、私が<19世紀までの国家・国際観>と呼ぶものに基づくものですが、実は、これが国際政治学者達の多数派、主流が依拠している国家・国際観です。
他方、トランプの現実主義は、アメリカにおいて生じてきた<19世紀までの国家・国際観の矛盾>の中での<現実主義>です。この<19世紀までの国家・国際観の矛盾>は、アメリカにおける<巨大な産軍複合体の発展>によって不可避的に生じてきたものです。
この矛盾は今や極に達していてます。
そこで、ある地域では戦争を、別の地域では平和を選択する(中東では引き続き米軍が戦闘を続ける一方、極東では平和体制構築の兆しが差してくる)というような矛盾的な態度・政策が、<現実主義>的な選択として生ずるということが、あり得るようになっています。
つまり、トランプの今の態度は、この<19世紀までの国家・国際観の矛盾>を体現するものとなっているのです。
私は、トランプに見られるこのような<現実主義>は、私が<憲法9条・国連理念主義>と呼ぶもの--しばしば理想主義的で、非現実的なもの観念されがちであったもの--が、近年ますます現実的なものになってきたこと、そうした理念に基づく国際的な平和運動の主張と影響力が現実化してきたことの反映・結果と考えます。--もちろん、トランプはそうは意識してないでしょうが。
私の以上のような理解の下では、トランプや米国の反平和的政策、核戦略を批判し、金正恩の非道な行ない、反人権的な政策を批判することと、「シンガポール共同声明」を積極的に支持することとは、当然のこととして両立することです。
以上の理論的な議論を展開するのは、次回以降にして、今回は、私が行なってきた議論の中に、米朝会談(「シンガポール共同声明」)の意味を位置づけ、確認する、ということを簡単に行なって、終りにしておきたいと思います。
私は前々回、
問題は、<(i)北朝鮮の非核化>と<(ii)「板門店会談・宣言」>、<(iii)今年中の終戦宣言(平和協定締結)>、<(iv)米朝会談>、との関連をどのようにとらえるか、ということです。
と問題設定し、「板門店宣言」について次のように位置づけを行ないました。
この私の視点、立場からは、「板門店宣言」で述べられている<(iii)今年中の終戦宣言(平和協定締結)>は、根本的重要性を持つものであり、韓国と北朝鮮が合意して目指す非核化は、その<(iii)今年中の終戦宣言(平和協定締結)>の支えがあって、安定的に実現し、完全化していくもの、つまり彼らの合意においては、<(i)北朝鮮の非核化>と<(iii)今年中の終戦宣言(平和協定締結)>を一体化させようとする意志が存在する――(iii)を基礎にしないと(i)のプロセスは結局不安定化、不調化してしまうという了解が存在する――と考えます。
そして、
こうした視点からいうと、<(iv)米朝会談>はむしろ、<(iii)今年中の終戦宣言(平和協定締結)>への橋渡しという性格を持つとすら言えるのです。
と書きました。
私は、こうした基本構図は現在も有効であり、事態の今後の発展は、この基本構図にしたがって評価されるべきもの考えます。
ところが、先程、立憲民主党の福山氏の主張で見たような、未だに <(i)北朝鮮の非核化>のみからものを見ようとする態度は、メディアにおいても非常に強固です。
そうした視点からは、<(iii)今年中の終戦宣言(平和協定締結)>の問題は完全に欠落してしまいます。
私は、「平和協定締結」にまですぐ至らないとしても、<(iii)今年中の終戦宣言>は、必ず関係国の重要事として、近い将来、提起されていくと考えています。
何故なら、それは、「板門店宣言」に書かれていることであり、かつ、「シンガポール共同声明」においても確認されていることだからです。
しつこいようですが、それらの該当部分を見ておきましょう。
まず、「板門店宣言」です。
3.南と北は朝鮮半島の恒久的で強固な平和体制構築のために積極的に協力していく。
朝鮮半島での非正常的な現在の停戦状態を終息させ、確固とした平和体制を樹立することは、これ以上、先延ばしすることができない歴史的な課題だ。
(1)南と北はいかなる形態の武力も互いに使わないという不可侵合意を再確認し、これを厳格に遵守する。
(2)南と北は軍事的な緊張が解消し、互いの軍事的な信頼が実質的に構築されることにより、段階的に軍縮を実現していくことにした。
(3)南と北は停戦協定締結から65年になる今年に、終戦を宣言し、停戦協定を平和協定に転換し、恒久的で強固な平和体制の構築のための南北米3者、南北米中4者会談の開催を積極的に推進していくことにした。
(4)南と北は、完全な非核化を通じ、核のない朝鮮半島を実現するという共通の目標を確認した。
南と北は、北側が行っている主動的な措置が朝鮮半島の非核化のために大きな意義を持ち、重大な措置だという認識を共にし、今後、各々が自己の責任と役割を果たすことにした。
南と北は朝鮮半島の非核化のため、国際社会の支持と協力のために積極的に努力することにした。
ここで、(1)(2)(3)があって、(4)がある、ということが重要です。
次に「シンガポール共同声明」では、次のように述べられています。
ここで再確認されているのは、「板門店宣言」全体であって、「完全非核化」に関する部分だけではありません。
以上を合わせてみれば、「板門店宣言」は起点であると同時に、ストーリーの基本コースを与えるものとなっていることは明らかです。
ですから、近い将来に、<(iii)今年中の終戦宣言>のための話し合いがもたれるようになっていくでしょう。
事態は、「板門店宣言」の基本路線に従って、「シンガポール共同声明」へと進んで来ました。
これは、確かな平和への道が築かれつつあることを意味しており、たいへん喜ばしいことです。
これからもこの基本路線に従って、朝鮮半島の政治は展開するでしょうし、また、そうした視点から事態の進展を評価することが、事態を正しく把握、理解する基本です。
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今回を終える前に、「終戦宣言」に関わって、ある記事のことを、少し付け加えておきます。
メディアにおける歪んだ印象操作の最重要の柱となっているのは、「完全な非核化(CVID)」ですが、続いて用いられている柱は、「中国の存在」です。
日本の安全保障上の「敵」を効果的に演じていてくれた北朝鮮の悪役ぶりが減じつつある現在、巨大な「敵」としての「中国」へのシフトが行なわれつつあります(シフトというか、リターンというか)。
「板門店宣言」「シンガポール共同声明」が示す平和への道に、この「中国の存在」「中国の陰」を強調することで、妙な難癖をつけるような記事がしばしば見られます。
最近でいうと、東京新聞の6月25日の一面トップ記事がそれです。一見、何事が起きたのかびっくりしました。
その見出しを拾いますと、「終戦宣言、中国が見送り促す」「米朝会談前、正恩氏に」「影響力低下を懸念か」「米との主導権争い鮮明」となっています。
米朝会談で「終戦宣言」が出されなかったのは、中国の(不当な?)駆け引きや圧力の結果の如くの印象を与える記事です。
しかし、「板門店宣言」では、上記で見たように、「終戦宣言」に至る方法を、
終戦を宣言し、停戦協定を平和協定に転換し、恒久的で強固な平和体制の構築のための南北米3者、南北米中4者会談の開催を積極的に推進していく
と規定しているのです。
これは、韓国、北朝鮮の合意であるばかりでなく、さらに、日本、中国、韓国よって、「日中韓会談の共同宣言(5月9日)」という形で裏書されていることも見逃せません。
ですから、「シンガポール共同声明」で「終戦宣言」が出されなかったのは、まずは、ただ「板門店宣言」に従っただけのことということができるでしょう。
私は、中国が北朝鮮や近隣国への影響力を高めようとし、また、米国との主導権争いを行なっていることは自明のことだと思います。
「板門店宣言」は、もともと、そうした国際環境の現実と朝鮮戦争の歴史を踏まえて作られているものです。
中国が「終戦宣言を見送るよう促していた」というのは、「終戦宣言」については、中国は「板門店宣言」のとおりにすべきだと表明した、ということでしょう。
ですから、私から見ると、中国が「終戦宣言を見送るよう促していた」という情報は「新しいもの」という意味でのニュースとしての価値はないもので、むしろ、「板門店宣言」の有効性、深さを示すものとして評価すべきものということになります。
詳論は避けますが、「終戦宣言」という言葉は、朝鮮戦争が今だ終わっていない(単に「休戦」状態にあるだけ)という歴史的な経緯を含んだ上で使われる言葉です。
ですから、「終戦宣言」に至る過程で中国が一つの参加主体になることは自然かつ必要なことです。
それと別に、プラグマティックな意味で北朝鮮が少しでも早く求めていたのは、米国による北朝鮮への「不可侵の約束」です。
それは、「シンガポール共同声明」において、「トランプ大統領は北朝鮮に安全の保証を与えることを・・約束した」という形で実現しました。
北朝鮮としては、「約束」からさらに「条約」にまで持って行きたいところです。
しかしその前に、ともかく、中国も参加した「終戦宣言」が国際的な課題となってくるでしょう。
日本では、その時になって、またもっともらしい評論や「外交政策」が出てくるのでしょうが、今のところ誰もそのことを指摘していず、全く準備がないように見えます。