hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

「気分はもう戦前?」--三浦瑠麗氏の議論批判I

 2カ月以上の夏休みをいただきました。

 気持ちを新たにして、安倍ファシズム政権批判のためのブローグの執筆を再開します。

 共謀罪法が成立、施行された一方、森友学園、加計獣医大学新設疑惑を切っ掛けに、安倍首相に対する不信(不支持)が増大しています。

 私は、一日も早く安倍ファシズム政権を終わらせなければならないと考えます。

 と同時に、この政権が作り上げた「遺産」である秘密保護法、戦争法、共謀罪法が続く限り--つまり、安倍政権が終わったとしてもそれに続く政権が、それらの法を廃止しない限り--ファシズム体制は、継続・深化していく可能性をはらんだままであるということを考慮せざるを得ません。

 そうした立場から考えた時、私は、密接に関連した2つの軸に立脚して、今までもこのブローグで行なってきた議論を、継続・展開していこうと考えています。

 第1の軸は、日本国憲法の現代的意義です。

 第2の軸は、社会科学方法論としての、歴史の構造的理解です。

 そこで、今回はそうした立場に立って、東京新聞(2017/08/12)の三浦瑠麗氏の論の批判を行ないます。

 この記事は、3人の論者にインタビューした中野祐紀記者がまとめたもので、その3人のうちの一人が三浦瑠麗氏です。

 見出しは、「気分はもう戦前? 今の日本の空気」となっており、記者の側からは、次のように問題提起がなされています。

「伝統文化尊重のため」に 「パン屋」を 「和菓子屋」に変更した教科書、犯罪の合意を罰する「共謀罪」法、そして「教育勅語」の教材使用を否定しない政権。今の社会に、戦前のかおりがしないか。

 三浦瑠麗氏は、この問題提起にどのように応えているのでしょうか。氏は、次のように述べて、「戦前のかおり」について全面否定しています。

 まず、「戦前回帰」を心配する方々が思い描く「戦前」のイメージに不安を覚えます。

 大日本帝国が本当の意味で変調を来し、人権を極端に抑圧した総動員体制だったのは、一九四三(昭和十八)〜四五年のせいぜい二年間ほどでした。それ以前は、経済的に比較的恵まれ、今よりも世界的な広い視野を持った人を生み出せる、ある種の豊かな国家だったと考えています。それを全て否定するのは一面的で、過去を見誤っています。「今は、あの二年間に似ていますか」と聞かれたら、私は「全然似ていない」と答えます。

 「『共謀罪』法が治安維持法に似ている」というのも誤った分析。現代は当時のような共産主義アナキズム(無政府主義)の脅威がありませんし、民主政治は成熟しました。人権を守る強い制度も定着した。あの時代のような拷問や弾圧が容認されるはずがないでしょう。警察官もはるかにプロ意識のある集団に育ち、抑制が利いています。

 

 氏は、1943年から1945年の時期に限定して、それと今が「全然似ていない」としています。

 私は、まず、こうした氏の問題設定とそれに対する解答のしかた自体に、研究者としての誠実さに疑問を抱きます。

 手元にある高校時代の日本史教科書の年表を見ますと、1943年には、「ガダルカナル島敗退。徴兵適齢1年引き下げ。学徒出陣。」があり、1944年には、「 空襲はげしくなる」とあります。空襲は、1945年の敗戦まで激しさを増し、この敗戦直前にはさらに2つの原爆が落とされたことは、周知の通りです。

 つまり1943年とは、その2年前に始めた太平洋戦争の敗色が一般の人の目にも明らかになった年であり、さらに1944年には、空襲によって身の回りの人々が殺されて行くのを目の当たりにし、自分も同様の目にあう恐怖の中で生きるという状況に入っていきます。

 このような時期と現在と比べて、「全然似ていない」というのは、当たり前すぎる話です。

 言い換えれば、「戦前のかおり」という表現が、1943年から1945年という破局そのものの時期を指しているのではなく、それに至る前の段階、それに至っていく過程を指していることは、誰が見ても明白です。つまり、東京新聞記者の側の「今の社会に、戦前のかおりがしないか」という問題提起が、「今の社会が、破局期に近づいていないか」「今の社会のあり方が、破局期に至っていく前の段階、あるいは破局に至っていく過程に似ていないか」という意味であることは、誤解のしようがありません。

 ところが三浦氏は、この明白な問題提起を聞こえなかったようなふりをして、「今が破局期そのものである」と主張する「敵」--どこにも存在しない「敵」--勝手にを作り上げ、この敵を「論破」しようとしています。そのような議論の「手法」は、無責任な論者がしばしば用いるものですが、東大の先生というような影響力のある地位にある者は、慎むべきものでしょう。

 次に、氏の歴史的なセンス(のなさ)に驚かされます。

 1943年から1945年に破局に至ったとすれば、普通のセンスであれば、どのようにしてこの破局が招来されたのか、その前の時期を辿っていくということになるでしょう。実際、日本現代史研究者の多数がそうした視点から研究を行なってきており、政治的立場を超えて、その大多数の共通した見解は、1931年の満州事変を、こうした破局への第一歩を画するものとして重視しています。

 そして彼らの研究は、破局を避けようとしたならば、1930年代初めに顕著になっていく傾向--軍部の独走と人権の極端な抑圧--にその時、少しでも早くに歯止めを掛けることが必要だったというのが歴史から導かれる教訓であることを示しています。後になればなるほど、そうした傾向を食い止めることは困難になっていったからです。

 ところが三浦氏は、「大日本帝国が本当の意味で変調を来したのは」「一九四三(昭和十八)〜四五年のせいぜい二年間ほどでした」と言っています。つまり、この二年間以外では、直前まで「大日本帝国」は順調に行っていた、と主張しているのです。

 ということは、順調に行っていた「帝国」が、理由が説明されないまま、突然破局に至るということになります。

 このようなデタラメを、過去について平然と語る人物は、現在についても同じようにデタラメを主張することになるでしょう。

 つまり、氏によれば現在は「成熟した民主政治」ということになっています。氏は、誰もが「破局が来てしまった」と認めるような事態に至る時まで、現在は「成熟した民主政治」にある、と主張し続け、そうした破局が招来された後も自分の間違えを決して認めず、「成熟した民主政治」から、突然「破局」がやってきたのだから、自分の主張は正しい、と嘯(うそぶ)くに違いありません。

 次に上記の論点と重なりますが、氏がいう「成熟した民主政治」のイメージと根拠は、どのようなものなのでしょうか。

 次回に、この点について論じます。

 

 

どこまでも、天皇をバカにした政府「退位法案」--法律はポエムじゃない

 6月10日(土)14時から、「止めよう、辺野古埋め立て」「共謀罪法案、廃案」国会包囲行動が、「総がかり実行委員会」等の主催で行なわれます。

 皆で参加しましょう。

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 水島朝穂氏は、安倍首相のやり方を、時々「無知の無知の突破力」と評しています。

 言い得て妙です。

 安倍首相は大学を出ているようですが、とても勉強したことが身についているとは思えません。

 私は、学歴の高い人、教養のある人が偉い、という気はありませんが、権力を持った者に対しては、本人が教養を持つか、あるいは知に対する敬意を持つことを、要求します。

 何故なら、学問には人類の経験が凝縮されているからです。その意味では、誤解を恐れずにいえば、権力者は、芸術や宗教に対しても、敬意を抱くべきだと思います。

 欧米の政治エリートを見ていますと、少なくとも建前として、そうしたものがあるように思います。

 ですから、トランプのような人物は、エリートの中からは出てこれないのです。

 何故、日本では安倍首相のような人物--学者に敵意を抱いているような印象すら受けます--が政治エリートの中にいるのか、というのは興味深いテーマですが、今回議論したかったのはそこではありません。

 彼の周りに、歴史や学問を恐れない軽薄な人物(東大名誉教授・教授を含め)や官僚が集って、これまでに蓄積されてきた真面目な学問、仕事、その成果をあざわらっているかの如くのやり方に対し、私は強く怒りを覚えます。

 その点でも、政治的立場を超えて多くの人が一緒に抗議の声を上げていけるし、上げていかなければならないと思います。

 今回の天皇退位問題をめぐって、去年の夏以来、大量の議論が新聞などで流されてきました。

 私も、それでずいぶん勉強させてもらいました。

 ただ、傾聴すべき学者の意見は、「上品」すぎて、一般の人には届きにくいところがあります。

 そこはマスコミの記者がうまく咀嚼して、読者などに、問題の本質を届けなければならないでしょう。

 しかし、実際には非常に平面的・表面的に情報が流されていくので、大量の情報の中で、すべてが薄まり、何となく政府の言うままにものごとが流れていきつつあります。

 理解の枠組みも、ちゃんと問題を整理して理解するというものではなく、事実の後追いや政府の説明の仕方がそのまま理解の枠組みとされ、それでものごとが流されていきます。

 今回の退位法案では、それを特例法にするか通常の法(皇室典範の改正)にするかは重要な論点でした。

 そのことの本質をちゃんと言及してくれていた学者も多いのですが、ごまかされたまま進んでいます。

 今回私は、ブローグのタイトルでも示したように、改めて、特例法という欺瞞の本質を指摘、議論したいと思います。

 

 

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 上に、新聞から法案の第三条までを張り付けました。

 これから、第一条を議論します。そのため見やすくして、以下に第一条だけを、引用します。

 

第1条(趣旨)

この法律は、

天皇陛下が、昭和六十四年一月七日の御即位以来二十八年を超える長期にわたり、国事行為のほか、全国各地への御訪問、被災地のお見舞いをはじめとする象徴としての公的な御活動に精励してこられた中、

②八十三歳と御高齢になられ、今後これらの御活動を天皇として自ら続けられることが困難となることを深く案じておられること、

③これに対し、国民は、御高齢に至るまでこれらの御活動に精励されている天皇陛下を深く敬愛し、この天皇陛下お気持ちを理解し、これに共感していること、

④さらに、皇嗣である皇太子殿下は、五十七歳となられ、これまで国事行為の臨時代行等の御公務に長期にわたり精勤されておられることという現下の状況に鑑み、

皇室典範(昭和二十二年法律第三号)第四条の規定の特例として、天皇陛下の退位及び皇嗣の即位を実現するとともに、天皇陛下の退位後の地位その他の退位に伴い必要となる事項を定めるものとする。

 

 この第一条は、見るからに異様です。

 上の新聞記事の第二条以下を見ると、「天皇」という表現が使われていることがわかりますが、この第一条は、「天皇陛下」と敬称付きとなっており、この条項だけ全体に敬語が使われています。

 法律に敬語って、見たことがありません。日本国憲法の精神から言っても、「法の下の平等」という考え方一般から言っても、こんなのが許されるわけがありません。

 こんなものを法律として出してくる「法律家」の感覚が、どうしようもなくアウトですね。

 まあ、それはともかくとして、この敬語用法と年齢などが書かれていることで、「天皇陛下」が、現在の天皇を指していることがわかります。

 憲法皇室典範での「天皇」あるいはこの法案の第二条以下の「天皇」が、「天皇の地位」一般を意味していることと差異化しているのでしょう。

 こうして、この第一条は、この法律が現天皇のみに関わることだ、ということを特定、特例としている点--特例法というこの法律の基本性格--を明らかにしたものである、というわけです。

 ところが、新聞報道によると、この特例法を作るための有識者会議会議の座長をした御厨貴東大名誉教授は、「今後、今回の事例は必ず参照される」と述べ、また、衆議院の正副議長国会見解にも、「先例となり得る」と記されているとのことです。

 これで御厨氏らが言いたいのは、天皇や国民の「特例法ではなく、普通の法で」という意見に対し、「この特例法でも、普通の法とあまり変わらないよ」ということでしょう。

 

 どこまで、天皇と国民と法律というもの、法治というものをバカにしているのでしょうか。

 この特例法は、単なる特例法(単に今回に限ってこうするとした法令)以上に悪質なものといえます。

 一見、敬語を使って天皇を敬っているようですが、そして、「今後、必ず参照される」から、問題が解決されるようですが、実は全く逆で、天皇をバカにし、単なる特例法の場合以上に、問題は深刻化したとんでもない代物です。

 天皇から見れば、こういうものを「今後、必ず参照される」ということは、私が以前に言った「奴隷的天皇制」を続けるということなのです。

 「今後、必ず参照される」ということがどういうことか、具体的に考えてみましょう。

 上記の第一条の条文から、参照されることというのは、以下の点が今後の退位の参照条件となるということです。

 

②「八十三歳という高齢」「活動維持が困難」

③「国民による天皇退位への理解と共感」

④「皇太子が五十七歳」「国事行為の臨時代行等を長期勤務」

 

 どれ一つとっても、まともな法律的要件をなしていません。

 ②について言えば、「70歳は『高齢』ではないのか?」「75歳は?」「活動範囲が決まってなければ、活動維持が困難かどうかは決まりようがない」

 ③は、「理解と共感がないと退位できない?」「理解と共感があった方が早く退位できる?」「その逆?」

 ④は、代替わりするための条件というよりは、「まあ、それなら選手交代もありか」みたいな、気分の話のようなことが入っています。

 

 私は、④について「気分のような話」と書きましたが、実際にそうした場面では大まじめに、それらしく理由付け権威づけの材料として、いかようにも用いられるのでしょう--例えば、皇太子が30歳だと「まだ若すぎるから、もう少し、天皇に続けてもらおうか」等--。

 

 これら、3つの条件の組み合わせとなったら法律的要件どころか、権力者の自由自在、何とでもなる--御厨氏のように「役立つ」人物は、いくらでも擦り寄ってきてくれますから--というのが、この特例法の本質です。

 次の天皇がまた退位したいと言ったら、また「有識者会議」が作られ、ああでもない、こうでもないと上の3つの条件をもっともらしく議論して、政府のいうとおりに結論を出すのでしょう。

 

 こういう法案を作成する官僚は、国民を騙す手腕に自分で酔って「おれって頭良い」とか思っているのかもしれません。

 でも、官僚の中にも法律のプロはいるはずで--というか本来彼らは全員プロのはずですね--真面目な人は泣いているのではないでしょうか。

 共謀罪法案もそうですが、法律の文をわざと曖昧にして恣意的な運用を諮る--現政権の下では、歴史も神をも恐れない「無知と無恥による暴政の輩」が跋扈しています。 

 これを糾弾せずにいられません。

 

 私は、今の象徴天皇制を前提とするならば、天皇も生身の人間なのですから、「定年制になると権威がなくなる」とかの蒙昧な議論は無視して、例えば70歳、75歳くらいの定年制にしてそれを、皇室典範改正での恒久法措置とすべきと考えます。

 それは、政府の責任であり、国民の責任でもあります。

 

「国民の総意」の目茶苦茶解釈は許されない--天皇「退位法案」衆議院通過の怪

 私が延々と、憲法第1条の「国民の総意」を論じている間に、日本の現実はとんでもないことになりつつあります。

 退位法案が、まともな議論がないまま(2時間半の審議)衆議院通過しました。

blog.goo.ne.jp

 

 憲法に「国民の総意」とあるので、①国会で決めること、②さらに国会で激論をせずに、全会一致で決めること、③さらに正副議長の参加する権威ある議会運営委員会で審議・決定することとなったと、新聞などで「解説」されています。

 ①は、国民投票等、決定手続きに関する制度的な変更の可能性を考慮すると、必ずしも当然とはいえません。しかし、現制度の下ではまっとうなものといえます。

 ところが、②③となると、奇怪至極、「国民の総意」についてのこんな憲法解釈を定着させられてはたまりません。

 上記の「解説」を新聞などで何回か目にしていますが、これは基本的に、与党による説明をそのまま伝えているものであると考えて良いでしょう。

 私は、2013年の秘密保護法強行採決以来、安倍ファシズム政権が成立--政権の「自己クーデター」によって、実質的な憲法秩序の破壊と独裁が開始*1--したと考えています。

 私は改めて、与党のこうした「国民の総意」解釈、それに基づくやり方が、まともな憲法解釈といえるような代物ではないことを指摘して、強く批判します。

 他方、共産党社民党の態度についても批判したいと思います。 

 「国民の総意」を決めるためにこそ、十分な議論が必要であり、それが結果として激論になるのであれば、むしろ好ましいことです。

 また全会一致というやり方は、少数会派の意見も汲むという形を通じて、全会派が一致するということのはずです。したがって、その場合は当初より各会派の意見が反映された法案ができた上で、全会派の一致がなければなりません。

 ところが、今回は、共産党は与党案に基本的に反対で重要な点での修正案を提出し、否決されています。社民党も特例法という形をとることに反対していました。

 また、退位法案の審議が本来の内容の管轄範囲から見て、議会運営委員会においてなされるのが適切であるとは考えられません。

 決定の権威付けのために、不適切な委員会が選定されるのも、「国民の総意」のでっちあげというべきものです。

 にも関わらず、最終的には両党とも、政府案に「賛成」するという態度をとっている--つまり、②③を認めている--のです。

 両党とも、少数会派で土俵設定を行なう力がないため、与えられた土俵で選択を迫られるという不本意で、判断の難しい場面に直面することが多く、今回もそうした一つといえるでしょう。

 おそらく、両党の態度には、民進党が与党と一致していること、共謀罪法案反対などで民進党との共闘を進めているといった政治的事情が、先に述べた与えられた土俵選択の問題に絡まっているに違いありません。

 私は、安倍ファシズム政権を倒すための統一戦線の立場に立っており、何が何でも原理原則を曲げずに維持しろ、というような考えを持っているわけではありません。

 また政治的な具体的なことがらに詳しいわけでもないので、具体的な戦術等についての提案があるわけではありません。

 しかし、天皇の退位問題は、それ自体はまともな問題提起だったわけで、それを真面目に議論しようということは、それも普通のまともな態度だったと思います。

 民進党でも当初はそういう声がありました。

 「国民的議論が始まったら、下手をすると、ファナティックな天皇崇拝が広がってますますやっかいなことになる」「少しでも象徴天皇制天皇批判をすると、議席獲得にマイナスだ」というのもリアルなとらえ方かもしれません。

 しかし、少し感覚的な言い方になりますが、退位問題は議会内に止まらない、国民的議論になり得る、国民的関心を持たれたテーマであると思います。

 にも関わらず、それを目の前の議席のためにまともに議論しようとしないこと、そうした態度自体が、国民--私は主に無党派層の人々を想定します--から見透かされているように思えてなりません。

 野党としてそれぐらいの挑戦をする気がないなら、今のままで良いよ、面倒くさい、というのが無党派層--選挙で重要な鍵を握る--のかなりの人の気分なのではないでしょうか。

 

 

 

*1:「自己クーデター」については、過去のブローグで何回か説明してきました。その要点は、政権中枢とそれを支える議会与党が、後者が完全に前者に従属するものとして一体化し、議会運営や憲法秩序を無視・破壊する形で政権中枢の独裁体制を作り、運営することです。

<私の憲法論> 無血革命としての象徴天皇制 XI (歴史を通じた人権の徹底を--象徴天皇制廃止の展望(13))

 先回、ルソーの理論が、アメリカの独立革命への思想的影響を持たなかったと思われることに触れました。

 他方、通常、アメリカの独立戦争の際に、フランス王がイギリスを叩くという国際政治の立場--今風にいうところのレアル・ポリティークですね--から、独立派を支援したこと、それがさらにフランスの財政悪化をもたらし、フランス革命の原因の一つになった、というようなことが言われます(例えば、高校の世界の教科書)。

 しかし、アメリカの独立という実践は、フランスの革命家達にとっては、もっと直接的な意味を持っていました。それは、ルソーの理論の正しさを実証するものとして、理論のレベルでも影響を与え、そしてもちろん実践のレベルでも見習うべき手本として、大きな影響をもたらしたに違いありません。

 そして当時の革命国家の国民達の精神が、互いに強く共鳴し合ったのだろうと想像します。

 ニューヨークの「自由の女神像」が、アメリカ独立100年を記念して、フランスで寄付が募られ、アメリカに送られたものであることは、よく知られています。それは、そうした当時の両国民の強い結びつきの歴史を証するものとして理解できるしょう。

 思想史などの研究は、思想を細かく研究することが多いです。しかし、思想が社会(実践)に与えた影響を含めて思想というものを考えると、私がここで触れてきたようなテーマ--フランス革命アメリカ独立革命における思想と実践の関わり合い--になってきます。

 残念ながら、そういうことに焦点を当てた文献、研究はあまり知られていないようです。あるいは単に私の勉強不足で、探せばあるのかもしれませんが。

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 さて、ルソーの「一般意志」です。

 ルソーは、権利を持った個人が集まって、全員でその権利も放棄して、すべてをそこに捧げるような共同体を作ろう、と契約することを「社会契約」と呼び、そうしてできた共同体を「共和国」と呼んでいます。

 そして、この社会契約によって共同体が誕生すると同時に、「共同体の制度や行動を指導する集団的な意志」の存在が想定されます。

 この「共同体の制度や行動を指導する集団的な意志」が「一般意志」です。

  ここまでで、色んな疑問が出てくるだろうと思います。

 しかしまず、先回書いたルソーの問題意識--「絶対的な君主(主権を持つ君主)の代わりに、人民が主権を持つ国家が成立し得るのか?」という問題に、Yesという回答をどのように理論的に構築するか--という角度から考えてみると、大筋で、彼のやろうとしたことが見えてきます。

 と、ここまで書いて、この問題を少し広げて、予定より詳しく--「近代国家固有統合体」という考え方を用いて--議論することにしました。

 その方が、中途半端な書き方より、結局のところわかりやすいのではないかと考えたからです。

 これまでに、憲法解釈に関わって、歴史構造主義的アプローチに拠なりがら、「近代国家固有統合体」という考え方を述べてきましたが、それがどれほど役立つものか、わかっていただけると思います。

 ルソーの議論の主要な前提として、①主権と呼ばれる絶対的な強制力を持った国家の必要性を認める、②契約という考え方を採用する、③人民の人権を維持・徹底する、の3つがあります。

  実は、①と②は、ホッブズの『リヴァイアサン』という本の議論の枠組みそのままです。

 リヴァイアサン』は、①すべての人が自らの権利のすべてを、主権者(国家)に譲り渡してこそ、そのような絶対的な主権を持つ国家があってこそ、人々の命と安全、平和が成り立つ、②そのために、人々の間で契約が行なわれる、という主張がなされています。

 またまた、話がわからなくなってくるかもしれません。

 ホッブズは何を言いたいんだろうか?何で、こんな議論をしているのだろうか?

 これって、ルソーと同じじゃん。

 いや、100年前にホッブズが書いたことを、ルソーがパクッた?

 歴年的に整理してみましょう。

 ホッブズが『リヴァイアサン』を出版したのが1651年で、これは、イギリス市民革命の真っ最中です。1642年にピューリタン革命が始まり、1648年に絶対王政が倒れて、翌年からクロムウェル独裁が1658年まで続きます。

 さて、話がここまで逸れた(遡った)ので、当然ロックのことにも触れなければならないでしょう。

 1660年-王政復古、1688年-名誉革命で、1690年に、ロックが『国政二論』を出版しました。

 では、ホッブズ、ロック、ルソーの3人の主張を並べてみましょう。

 高校で教わる世界史の教科書や思想史の本では、だいたい、次のような説明になっています。 

 A. ホッブズは、人間は、自然状態では争い合うので、主権者による絶対的な支配(主権)が必要で、それによってによる平和と安全がもたらされると主張し、新しいタイプの絶対君主擁護論を唱えた。

 B. ロックは、人間は自然状態で自由平等な権利を持っているが、より福利を高めるために、必要なすべての個人の権利、力を譲り渡すという同意(compact)を通じて、共同社会common-wealth国家)を形成し、その下での法による統治がなされるべきと考えた。専制とは、このような共同社会のあり方とは逆に、その統治者が自らの利益のみを考え、他の臣民の命をも絶対的に支配する体制である。人民は、それに抵抗する権利を持つ、と主張した。

 C. ルソーは、人間は自然状態で自由平等な権利を持っているが、より福利を高めるために、すべての個人の権利をを譲り渡すという同意(社会契約)を通じて、メンバーが完全に平等化し一体化した集団--共和国--を形成すべきだと考えた。この集団形成によって、一方で共和国の主権が生まれるが、同時にその集団としての意志--一般意志--が生ずる。一般意志は、メンバーの共通利害を基にしたものであり、共和国の持つ主権を指導するもの、とした。 

  こうやって並べると、入試問題で、「彼らの主張をそれぞれ400字以内で簡潔に書け」とか「400字以内で、その違いを述べよ」とかを連想します。

 確かに、歴史的な事実を知っておくことは重要ですが、それらの事実をより大きな歴史的な枠組みにおいて関連づけながら、位置づけながら理解することがさらに重要です。

 「近代国家固有統合体」という考え方は、そうした歴史理解のための枠組みです。

 この考え方から言って、イギリス市民革命期の思想を見ていく際に、絶対に欠かすことのできないのは、1648年のウェストフェリア条約です。

 この条約は、ヨーロッパ大陸での30年宗教戦争の長い戦乱に終始を打つべく、ドイツのウェストフェリア州で開かれた講和会議の結果として結ばれたものです。

 イギリスは、革命の内乱状況で、この会議に参加しなかったとされています。 

  歴史の事実をただ羅列するような理解の仕方だと、参加しなかった会議の結果(ウェストフェリア条約)は、イギリスと関係ないよね、ということになりかねません。

 結論を先に言うと、「近代国家固有統合体」と「近代国家固有統合体国際システム」は、相互に他の一方の存在を前提としながら、発展していきます。

 そうした発展の最初の国際的レベルでの動きのはっきりとした一歩目が、ウェストフェリア条約の締結です。

 イギリスは、この時講和会議には参加していませんが、それは、イギリスが「近代国家固有統合体国際システム」という枠組みから離れていることを意味しません。

 「近代国家固有統合体国際システム」は、ウェストフェリア条約の締結国(者)だけによって構成されているものではありません。

 それは、「近代国家固有統合体」同士が、相互の主権の存在を認め、尊重することを基本として関係を持っていく体制です。

 ウェストフェリア条約は、そうした「近代国家固有統合体」間のあり方を、明確化し、強化していったということができるでしょう。

 もっとも、当時のウェストフェリア条約締結者達は、私がいう「近代国家固有統合体国際システム」を作り出していっているという自覚は全くなかったでしょう。

 むしろ、ウェストフェリア講和会議の参加者(君主)にとっては、自分達の「所有」する権利=主権を確認、確立するということが目的であり、そして彼らにとって主権とは、古くからある自分達の財産の主要なもの、特別な財産、というような意識であったでしょう。

 したがってまた、イギリスの名誉革命は、彼らの財産としての主権というその原理に対する挑戦のようにとらえられていたのであって、ヨーロッパ大陸での戦乱がなければ、革命に対する彼らによる干渉戦争は必至であったと言うべきです。

 にも関わらず、私はさっきからお経のように--「近代国家固有統合体」と「近代国家固有統合体国際システム」は、相互に他の一方の存在を前提としながら、発展していく--というようなことを唱えています。

 少し詳しく、ウェストフェリア条約から見ていきましょう。

 まず、講和会議の参加者は「国」ではなく、君主や都市(それらの使節)です。そして、この会議で決定されたことの内、主要なことは、それぞれ一定の地理的空間に対するこれらの参加者それぞれの主権の認定(相互尊重の約束)でした。

 今、話を単純化するために都市を除いて議論します。

 この主権の認定は、君主達の主観的意識としては、自分達の所有する財産を相互に認定した、と言うことでしょう。その限りで、従来と異なる新しい要素は無い様に見えます。

 また、その主権の確立によって、対外的に外からの干渉(ローマ教会)を排除する権限、対内的に様々な勢力に対する完全な支配権が認定されました。

 このことは、客観的にいっても、主権概念の確立、認定は、主権というものが絶対君主の所有する財産の様な権利(自由に取り扱うことができるもの)として、むしろ純化された、と見ることすらできそうです。

 ところが、「固有統合体」という観点からは、全く違うものが見えてきます。

 まず、主権sovereignty、あるいは主権者sovereignという言葉に注目しましょう。

 やっぱり、日本語の翻訳はすばらしくよくできていると思いますが、こういうことを考える時に、ヨーロッパ語ネイティブの人は圧倒的に有利ですね。 

 soveというのは、superということで、reignというのは、王reyとして統治するという意味です。ですから、sovereigntyというのは、最高の統治権、絶対的な統治権ということです。

 他方、国家stateというのは、stateが土地を意味していて、そこから土地(土地と土地に「付属する」人民)に対する支配権を意味する様になったと言われています。

 日本国憲法では、英訳日本国憲法のstateに「国」が対応しています。これも、おそらく日本の中世において「国」が土地(土地と土地に「付属する」人民)に対する支配権であったこと意識した使い方ではないかと思います。

 私がこの語源的なことから言いたいのは、「主権」が所有権的なものというよりもいわば経営権的なものだということです。

 「近代国家固有統合体」成立以前のこのような土地に対する支配権は、分割したり、条件をつけて他人に譲渡する(例えば「封土」として家臣に与える)ことが可能でした。

 ところが、主権sovereigntyは、性格が違います。それは統治の権利なのですが、まず統治の対象が、すでに一定のまとまりを持ったもの--一定の地理空間において固有に統合された人民(地理経済)--であり、任意に分割して譲り渡したりすることはできないものであることが特徴です。

 そして、このような固有な地理経済空間が作り出されていく過程--資本主義的発展の始まり--自体に、絶対君主の主権(絶対的な統治)が欠かすことのできない重要な要因として貢献しています。

 つまりその固有な地理経済空間とそれを形成した統治者たる絶対君主は固有の結びつきを持って繋がっています--これが「近代国家固有統合体」です。

 「近代国家固有統合体」は、外部に対しては、 外部からの干渉--他の「近代国家固有統合体」やローマ教会からの干渉--を完全に排除することを求めます。

 このような「近代国家固有統合体」が複数存在するようになると、戦争状態を避けるためには、明確な国境を定めながら、建前上は恒常性を持ったものとしての主権を、相互に承認し合う必要が出てきます。

 このような「主権」は、自由に処分できる家財の所有権--古代的な国家の支配者や封建制度における君主達が土地や人民に対して持ったそれ--と、客観的には大きく異なってきます。

 ウェストフェリア条約は、そのような相互承認を明示化し、明示的な国際的体制--「近代国家固有統合体国際システム」--の形成へと進んだものですが、早くから「近代国家固有統合体」を作り出していたイギリスは、もとより、「近代国家固有統合体国際システム」の潜在的メンバーでした。

 ロックは、その『国政二論』の序文の中で、彼の著書の目的が名誉革命の弁護にあることを明確にしており、その目的を次のように述べています。

 1.現在のウィリアム王の王位を確立すること。つまり、ウィリアム王の権限が、他のキリスト教国の君主達よりも、十分で明確であることを確保しておくこと--何故そうしたことが確言できるかといえば、それは、法に従う統治者たり得る者達の中での唯一の者として、人民の同意による(よって選ばれた)ものであるから。 

 2.(名誉革命を遂行した)イギリス人民を世界に向かって正当化すること--何故正当化できるかといえば、それは、イギリス人民は、正義と自然権への愛とそれらを護るという決意によって、奴隷化と滅亡の危機にあった国(the Nation)を救い出したのであるから。

 私の上の訳は、原文の構文を維持しながら、意訳を混ぜたような感じになっています。

 意訳的にしたのは、もちろんわかりやすさのためですが、原文の構文を維持したのも、それによって、原文の構造(の柱)を維持し、原著者が言いたかったことを見やすくするためです。

 名誉革命によって、イギリスは立憲君主制を確立したと言われます。

 ロックは、その革命、そうした誕生した体制を擁護しているわけです。

 上記の1は、ウィリアム王の権限が正当性を持つことを、国内的な意味で確認しているだけでなく、ウィリアム王の権限が「近代国家固有統合体国際システム」において承認されるべき主権であること--他のキリスト教国の君主達よりも、十分で明確である主権の存在--を宣言していることに注目すべきでしょう。

 「近代国家固有統合体」は、他の「近代国家固有統合体」との競争を勝ち抜くために、内部的には主権(絶対的・集権的な統治権)の強化・徹底化を求めます。また、国際間の約束が貫徹されるために、自分だけでなく、他の「近代国家固有統合体」の主権(絶対的・集権的な統治権)の強化・徹底化をも求めることになります。

 イギリスは、国際的システムの一員であったことはもちろん、このような状態にある「近代国家固有統合体」の最先端にいました。

 そのことを次回に議論します。 

<私の憲法論> 無血革命としての象徴天皇制 X (歴史を通じた人権の徹底を--象徴天皇制廃止の展望(12))

  touitusensenwo様、

 コメント、ありがとうございます。

 どこらへんが、分かりにくいですか。できる限り、工夫します。

 天皇の怒りの件、私の議論は、そうした件にすごく関わるのですが、延々と外堀を埋めるような作業で、そこに届いていないですね。

 ただ、私はずいぶん前に、象徴天皇制は、奴隷制天皇制ではない、退位は「雇用条件」を守ることを前提に、権利である、という意味のことを言っています。

 国民あるいはその代弁者(専門家?)は、天皇の希望とは無関係に(関係させることもできる)、対天皇という関係では、一方的に、雇用内容、雇用条件を決定することができます。

 天皇は、国民によって雇用されている特別な公務員なのですが、雇用条件についての交渉権を持たないのです。

 しかし国民の側においては、その雇用条件が、例えば、天皇がロボット(=奴隷)のようであれ、という、右翼と左翼の共通の主張(憲法解釈)が正しいのか、という議論が必要でしょう。

 私は、逆説的ですが、天皇自身--「当事者」ではあるが、交渉権を持たない--による憲法解釈は、あるべき憲法解釈をめぐって、我々が参考にすべきところが多くあると考えています。

 なるべく早く、そこに行き着くようにします。  

*********************************************

 前回、「国民の総意」とは何か、と言うことについて、私の結論を次のように示しました。

 

<私の結論> 

  A.基本的人権を有する個人(至高の価値としての平和・自由・幸福の追求)

         ⇩

       (国民)の総意      

Aという目的のための手段として、かつ、その目的に必要な限りで、統治に関する集団決定の必要性を認め、その決定に自発的・全面的にしたがう意志。あるいは、そうした意志を持って行なう決定のこと。

               

  B.憲法に規定される限りで、その基本的人権を制限も含めた統治権力形成に与ると同時に、統治権力に服する「国民」。

       ・主権の存する国民

       ・憲法にしたがう限りで、統治権力の行使が可能な国家

       ・国民の総意による象徴天皇制の存在 

 

 

 この問題は、憲法第1条の「象徴天皇がんじがらめ構造論」の重要な部分なので、ちゃんと議論しようと思っていましたが、つい私にとって面白い関連話が多くてそっちに逸れたりしながら、まだちゃんと議論ができていません。

 ただ私自身も、これまでの精査したり、あるいは、あっちこっちへ寄り道しながらの議論によって、憲法第1条は、非常に重要で、特別な含意(構造)を持っていることが、わかってきました。

 例えば、前回、憲法において様々な権利・権力の根源を扱っているのは、「前文」だけだと言いましたが、それは、少し不正確かもしれません。

 仮に、「前文」がなかったとすると、この第1条に現れている「主権の存する国民の総意」という表現が、様々な権利・権力の根源を扱ったものというべきだろうと思います。

 ところで本題に戻って、では、この「国民の総意」とは何でしょうか?

 これは、ルソーの『社会契約論』に出てくる「一般意志」のことです。

 いわゆる民主主義国の憲法原理は、基本的にルソーの「一般意志」の理論に則ったものといって良いでしょう。

 となると、またしても壮大な回り道になりかねませんが、このルソーの本の言っていることをどのように理解するか、という議論が必要ということになります。

 ルソーの『社会契約論』を読むと、かなり社会科学的な知識を持っている人でも、わかったようなわからないような気分になります。

 手元にあるのは、桑原武夫・前川貞次郎訳の岩波文庫で、訳者の一人とされる河野健二の解説を読んでも、なかなか難しいですね。

 ネットで色々探しても、「そうか、わかった」という感じのは見つかりません。

 しかし、一度ルソーの問題設定を理解できると、あの本自体を読めば、それがとても理論的体系的に書かれていて、何が言いたいのか、「一般意志」とは何か、はっきりと理解できると思います。

 少なくとも私自身は、「はっきりと理解できた」気分です。

 ルソーの設定した問題というのは、「絶対的な君主(主権を持つ君主)の代わりに、人民が主権を持つ国家が成立し得るのか?」ということです。

 彼の答えは、Yesで、そのことを綿密に論証したのが、社会契約論です。

 人民主権の国家が存在しないところで、そんなことを言えば、権力者たちから政治的迫害に逢うのは当然で、河野健二の解説では、不遇な晩年であったことが記されています。

 今の民主主義が当たり前、というような環境では、何でそんな議論が必要か、ということになるかもしれませんが、ともかく、日本国憲法第1条理解には、この議論は必要です。

 しかしそれだけでなく、ルソーやフランス人権宣言、日本国憲法における一般意志の問題は、安倍ファシズム政権だけではなく、今日の世界各国におけるファシズム的政権の成立を批判的にとらえるためにも、議論する価値のある問題です。

 「絶対的な君主(主権を持つ君主)の代わりに、人民が主権を持つ国家が成立し得るのか?」という問題に対する答えとして、Yesが当たり前かどうか、当時の人々の立場に立って考えてみましょう。

 国王が支配する環境で、人民は、様々な権利を勝ち取っていきます。その延長線で、人民自身による支配することを構想するのは「当たり前」でしょうか?

 後で触れますが、ロックはこの延長線の一つの「解」である抵抗権という考えを提出します。しかし、抵抗権思想は、人民自身による支配の国家構想の「理論」とはいえないのです。

 マグナカルタが作られたのが13世紀です。それを国王に対する人民の権利の獲得の最初の例と考えますと、ずっとそのパターンが続き、アメリカ独立やフランス革命等の、人民自身による支配の国が出てきたのは、500年以上も後のことです。

 革命思想家が、人民自身による支配の国家の建設を訴えても、「そりゃ無理だよ。人民って言うけど、色んな意見や利害があるでしょ。国家としてまとまらないと、外から攻撃されるかもしれないし、人民の中も言うこと聞かないやつが出てくるでしょ。どうやってまとまるの?無秩序になっちゃうよ」という体制派による「反論」は、説得力があったのではないでしょうか。

 私が言いたいのは、上のパラグラフで言ったようなことが、知識人の間で直接に表現され、議論された、ということではありません。

 私自身はそういうことを研究している人間ではないので、それにあたるようなことが、どのような文書にどのような形で現れている、というようなことは全く知りません。

 しかし、当時の知識人達の議論の中に、そうした問題意識、問題の設定の仕方が実質的なものとして潜伏していたと考えるのは、自然なことのように思いますし、そう考えると、ルソーの議論がよくわかるのです。

 まだ現実に存在しない、人民自身による支配の国家が可能であることを論証する、という作業は、とてもたいへんなことです。

 そのルソーのYesの解答の鍵が、「一般意志」です。

 そしてその解答は、当時の革命家や知識人にとって、とっても説得力があって、なるほど、こうすれば(このように考えれば)、人民自身による支配の国家が可能なのか、と急速に広がり、採用、実践されていったわけです。

 ところで、ルソーの『社会契約論』は、1762年に出版されました。アメリカの独立宣言は、1776年、アメリカ憲法草案は1787年にできあがったとされています。

 ですから、ルソーの議論がアメリカの独立思想や憲法に影響を与えてもおかしくないように思いますが、通常は、そのような指摘はなく、ロックの人権思想の影響が語られています。

 フランス革命がフランス人思想家に大きな影響を受け、イギリス植民地の独立がイギリス人思想家の影響を大きく受けることは、当然と言えます。

 ただそれだけでなく、フランスでは、大陸合理主義の理論志向の伝統を体現している知識人達が重要性を持っていて、政治的現実においても、理屈っぽい議論が必要でした。だから、ルソーが出現し広がったのです。

 他方、アメリカの独立をどのような思想が支えたのか、という問題にはアングロサクソンのあまり理屈っぽいことを言わず、実践で解決すれば良い、という知的伝統--大陸合理主義と異なる--を感じます。

 先に触れたように、ロックの国王に対する抵抗権という考えは、人民が国王から権利を獲得していくというパターンの延長線上の極にあるものと言えます。

 ただそれは、通常の秩序における国王の存在を前提とするものであって、形式的なものを含め一切の国王的なものを排除する可能性を追求したルソーの革命的な理論とは異なります。

 しかし実際には、アメリカの独立は、フランス革命に先立つ共和国の出現という革命的な事態だったわけです。

 アメリカにおいてその革命を合理化しようとする思想が、ルソーの影響をあまり受けなかったとすれば、それは何故でしょうか。

 それは、今まで指摘してきたような国(言語)、知的風土の違いに加え、アメリカの現実がルソーのような思想を必要と感じなかったからだと思います。

 つまり、彼らの思想的課題として意識されたのは、独立戦争を合理化することであって、植民地おける国家形成の理論的合理化の必要性はあまり感じていなかったのではないでしょうか。ロックの抵抗権思想は、そうした状況に十分対応するものだったように思われます。

 当時の思想的影響は、以上のように言えると思います。

 しかし、ルソーの理論は、理論のレベルでは、アメリカの場合を含めた今日の民主主義的な憲法理解全般において、君主の存在しない共和国の存在を支える基本的なものとして認められている、と考えていいでしょう。

 また前置きが長くなってしまいました。

 「一般意志」の説明は次回にします。

 

<私の憲法論> 無血革命としての象徴天皇制 IX (歴史を通じた人権の徹底を--象徴天皇制廃止の展望(11))

 5月19日(金)に、共謀罪法案が衆議院法務委員会で強行採決されました。

 こういうことがあると、私の頭の中は、グジャグジャになります。

 すぐれた運動のリーダーは、自分や周りの人々の怒りの感情を、運動の継続や次の運動のための戦略や戦術をたてていくエネルギーに変えていくのでしょう。そこには、直感的な形にせよ、理論的な感覚も強く働いてるに違いありません。

 私の場合、実践的・理論的な問題に関する感覚が、言語化される前の段階で、鋭敏になります。文章にして書き留める以前の状態のまま、ただ頭が冴えて、いろんな概念らしきものが右往左往する、という感じ--つまり、頭の中がグジャグジャ、と言うわけです。

 このグジャグジャを整理します(グジャグジャの要素を羅列的に書き出します)。

 ①国会前の集会参加と「国民の総意」の関係。

 ②統一戦線とは何か。定刻に帰宅はありか。斉藤美奈子氏、村上春樹氏のこと。

 ③国際連帯のこと。フランス人権宣言と日本国憲法

 これだけでは、何のことだかわからないですよね。

 もともとこのブローグは、戦争法の成立を阻止したい、という目的に向かって、少しでも多くの人との連帯を作りたい、という思いから始めたものです。

 ですから、自分の考えを理論的に整理しようと言うことと、安倍ファシズム政権を一日も早く倒そうという政治目標は、最初から一つのことでした。

 事態が深刻になるほど、自分が国会前の集会に参加してくることと、理論的な問題がどのように関係しているのか、ということについて、考えざるを得なくなるのは当然のことです。

 しかし、こんなに頭の中がグジャグジャになってくるとは、予想しなかったことです。

 ①は、集会参加やデモの意味を、ちょうどこのブローグの現在のシリーズで扱っている、憲法第1条の「(天皇の)地位は、主権の存する国民の総意に基づく」にある「国民の総意」との関係で、どのように整理できるか、という問題です。

 ②は、このブローグで以前、私が主張してきた「統一戦線」の問題を、やはりこのシリーズで扱ったばかりのフランス革命などのunity(統一)の問題と関わらせて、整理したいと言うことです。

 「定刻に帰宅はありか」と言うのは、ちょっとわからないと思います。私は、強行採決の夜に抗議の国会前集会に参加してきました。18時半から20時半くらいまでだったでしょうか。

 翌日のツウィートで、あれっ、という感じのものがありました。すぐに削除されたので、書いた人も、やはりどうか、と思ったのだろうと察します。

 内容の大意は次のようなものでした。

 「通常の組合の賃上げ交渉とは違って、定刻出社、定刻退社は、どうかと思う。夜を徹しての座り込みこそが本物だ。そうして、重大事態を訴える心が、国民に伝わる」

 国会前の集会は、主催団体が後半から学生達が中心の元SEALDsの「新しい公共」が主催と切り替わりました。

 このツウィートは、主催団体が切り替わったところで帰った人達に対する批判となっています(と感じてあれっ、と思ったわけです)。

 運動というのは、具体的レベルになると必ずと言っていいほど、こういったことがネックとなって妙な言い合いとなり、しばしば、大きくエネルギーを割かれる事になります。

 結論を言えば、やはり、このツウィートは、最初の一文は全くいらないことを書いています。

 連帯、統一、団結と言うのは、自発的なもので、他の人を批判するためのものではありません。

 そもそも最初の2人だけは、連帯の「最初の2人」と言えますが、それ以外の人は「必ず遅れてやってくる」のですから、たまたま自分が相対的に先だからといって、大きな顔をしてはいけません。

 また早い、遅いというのも、あるいは定刻出勤、定刻退社というのも、それぞれ事情があるのですから、表面だけでものを言っていたら、連帯なんか成立するわけがありません。

 私は、統一戦線と言うのは、勝つと言うところから、逆に考えていくものである、というようなことを書いた事があります。

 下手をすると、勝てばいいから手段を選ぶな、ということにとられるかもしれません。

 そうではありません。問題の深刻さを共有する者が広がると、当然その共有者達の中での意見の相違が増えるし、場合によってはそうした中での対立が大きくなってしまいます。

 その時に、問題の深刻さの克服を第一に考える、そのために連帯する、と言う事が、「統一戦線は勝つということろから考えていく」と言う事です。

 そこにはさらに、最近斉藤美奈子氏が東京新聞に書いていたコラムのことが、一つの切っ掛けとしてあります(そのコラムでは、村上春樹氏も登場します)。 

 それについては機会を改めます。

 ③は、5月3日の憲法集会やその後のやはり国会議員会館前の集会だった思いますが、韓国でのろうそく運動で、新大統領を生み出したリーダーの挨拶がありました。

 すばらしいですね。こういうのを、もっとやるといいですね。

 私達の日本国憲法は、一番最初の価値に関わる部分は、「諸国民との協和」というものです。

 このことの意味を、憲法の構造の問題と関わらせて考えたい--これも、機会を改めてやります。

*******************************

 そこで、今回は、①の問題を、憲法の構造を意識しながら、議論します。

 憲法第1条で、「(天皇の)地位は、主権の存する国民の総意に基づく」にある「国民の総意」とは何でしょうか?

 この問題一つでも、私の頭はグジャグジャになりそうです。

 フランス革命、ルソー、フランス人権宣言、メキシコ憲法、五日市憲法植木枝盛憲法案、立憲主義、・・・

 

 私の答えを先に書いておきます。

 

<私の結論> 

  A.基本的人権を有する個人(至高の価値としての平和・自由・幸福の追求)

         ⇩

       (国民)の総意      

Aという目的のための手段として、かつ、その目的に必要な限りで、統治に関する集団決定の必要性を認め、その決定に自発的・全面的にしたがう意志。あるいは、そうした意志を持って行なう決定のこと。

               

  B.憲法に規定される限りで、その基本的人権を制限も含めた統治権力形成に与ると同時に、統治権力に服する「国民」。

       ・主権の存する国民

       ・憲法にしたがう限りで、統治権力の行使が可能な国家

       ・国民の総意による象徴天皇制の存在 

 

   おそらく、こんな風に結論をメモしても、よくわからないでしょうし、あるいはかなり説明しても、なかなかわかっていただけないかもしれません。

 それは、日本の教育、あるいはさらに日本の文化の問題に関わってくるような気がします。

 私の受けた憲法教育は、昔のことであまりよく覚えていませんが、一言でいって平面的、あるいは羅列的なものだった思います。

 つまり、憲法の3原則(平和主義・人権尊重・主権在民)を羅列的にどれもが大切なものであることを説明し、戦前の大日本帝国憲法と比較して、これらの原則は全部なかったか、逆転的に大きく変わったということでした。

 しかし、本当は高校生くらいからは、立体的、構造的に憲法を教える必要があります。

 特に2015年の戦争法の時に、立憲主義という言葉が出てきました。

 私自身は、学校では習っていませんでしたが、2015年よりかなり前に、組合の仕事をやったり、メキシコの憲法およびそれに関わる問題を読んだりしながら、憲法が他の法律と全く異なる性質を持っていて、憲法の役割は、他の法律を成立させ得る範囲を規定するものだ(したがって、当然政府の行為も憲法の規定する範囲以上のことはできない)、憲法に明示的に記されていないことについての立法は許されない、といういわゆる立憲主義の理解に到達して、なるほど、と思ったことがあります。

 立憲主義的理解は、私が構造的にとらえる、ということの一つです。

 私は、構造的理解があった方がいいと思います。その理由は、ここまで議論してきたような象徴天皇制を議論するためには、それはあった方がいいどころか、必須だからです。

 しかし、それはさらに、「集会やデモで政治が決まったら困る。選挙でやってくれ」というホリエモンの攻撃にどう答えるか、といった非常に重要な実践的問題にも関わってくることです。

 普通、私達は直感的に私達の権利の大切さ、それを行使することの大切さを知っています。

 攻撃に対しては、攻撃する側が、私達の行動に脅威を感じているからだということを、やはり直感的に見抜きます。

 そういう意味では、あまり理屈を言わなくても、困ることはありません。

 とは言っても、何で国会前で集会をするのか、もっと人の多いところでやったらいいのか、これをどのように選挙の問題(野党共闘とか統一戦線)とかと結びつけるのか、といったことを考えることは意味のあることです。

 私達の行動の意味を、私達自身がより深く理解することは、有意義であることは言うまでもないでしょう。

 そういうわけで、「国民の総意」とは何かについて、私なりの構造的な理解を、上記に示した結論に沿って説明します。

 と言いつつ、その説明に直接入る前に、恐縮ですが、まだ構造的な理解の「能書き」のようなこと、というか、そうした観点から興味深いエピソードのような話を続けさせてください。

 日本国憲法の民主主義的な源流として、明治期の植木枝盛憲法案や五日市憲法案が知られています。

 これらをざっと見ただけでも、今から100年も前にこうしたことを熟考し、記し、著した人がいること、それらを生み出す何らかの背景がしっかりと存在したことには、感動を覚えます。

 ところが、私が不思議に思うことの一つは、これらの憲法案には、人民の権利の根源がどこにあるか、ということがどこにも書かれていない、と言うことです。

 それらは、いずれも天皇が、歴史的な権威を根拠を持つ者として、国帝あるいは皇帝として君臨することを認めていました。

 では他方、それらの憲法案において、人民の権利は従属的で弱々しいものかと言うと、そうではありません。

 例えば、五日市憲法案の第71条では、「政治犯を死刑にすることの禁止」を規定していますし、植木枝盛憲法第72条に至っては、「人民の自由権利を破壊するような政府に代えて新政府を樹立する権利」まで謳っています。

 このような意識、考えは、当時の自由民権運動の意識、思想、理論と当然関係あるでしょうし、例えば、有名な福沢諭吉の『学問のすすめ』の「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」といったものが浮かんできます。

 ところが、ともかく憲法案自体の中では、そうしたもの--人民の権利の根拠、原理--は出てこないのです。

 そこで考えてみますと、実は、日本国憲法にも、様々な権利の根拠、根源というものを探そうとすると、直接的には、前文にしかないことに気付きます。

 ですから、日本国憲法の前文は、この憲法を構造的に理解する上で、決定的に重要なものです。

 他方、大日本帝国憲法は、前文がありません。

 しかし、その第1条と第3条で、天皇の歴史的権威とその不可侵性--つまり天皇の権利の根拠、とその権利の原理性--を規定しています。

 形式的にみますと、日本国憲法は、その大日本帝国憲法の改正であって、実際にも非常に似た章立てとなっています。

 ですから、日本国憲法も、形式的には、前文がない方が対応します。

 日本政府側は、新憲法の革命性を少しでも見えないものとしたかったので、GHQ原案にあった前文を削除しようとしたのですが、それに気づいたGHQ側に拒否されました。 

 GHQ日本国憲法の草案を作成した人々は、もちろん、この前文の重要性を強く意識して、それを作成、加えたに違いありません。

 「もし、あの前文がなかったらどんなことになっていただろうか?」と思うと同時に、「いやそんなことはあり得ないだろう、あの憲法にとっては心臓であり、魂でもあるような部分なんだから」と、歴史の偶然と必然に想いが至ります。 

 次回に、「国民の総意」の本論を論じます。

 

 

 

 

 

「連想」「共鳴」「豊穰」--フランス革命と私達

 前回、英訳日本国憲法にある the unity of the peopleの話をして、それがフランス革命と繋がるということに触れました。

 後でこれがあった方がいいと、気づいて、次のポスターを入れて修正しておきました。

 

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 これは、フランス革命時(1793年)のポスターで、「分割不可能な共和国の統一unity・自由・平等・博愛よ、永遠なれ!」と呼びかけています。

 憲法、社会科学的な分析、歴史構造主義とかいう話は、それだけでは面白くないかもしれないですね。

 しかし、このポスターを見ると、フランス革命のこの時期に、何故冒頭に「共和国の統一性unityおよび分割不可能性indivisibility」と掲げられているのか、といった問題意識を持つことができますし、私がやってきた議論が、憲法そのものや憲法の理解とぴったりと繋がっているのがわかりますね。

 また、ポスターだけ見ても、それはそれで面白いでしょうが、歴史や社会科学の知識があると、なるほど、と感慨深いところがあるのではないでしょうか。

 理想的な憲法教育として、こういうポスターも合わせて行なわれれば、その時代で憲法に関わるような様々なことがらの持った意味が、理屈っぽい話ばかりより実感的に伝わってくるでしょう。

 しかしさらに豊かな教育は、こうしたことが、現在の社会の中でどのような意味を持つのかを実感していくようにすることです。

 デモや集会への参加は、それ自体が政治的な意味を持つのはもちろんですが、憲法や社会科学理解を実感的な支えを持って、促進してくれます。

 フランス革命やこのポスターから、憲法教育のことだけでなく、いろんな事が、頭に浮かんできました。

 今回、フランス革命のことを少し考えたり、文献を読んだりしながら、日本国憲法や世界の憲法がそれぞれ、社会における、そして世界における互いの「共鳴音」のような広がり、つながりを持っていると感じました。

 私は、メキシコの教育を勉強しているので、メキシコの憲法を読む機会があります。

 日本ではあまり知られていませんが、その1917年憲法は、世界で一番早くに、労働者の権利を規定し、社会権を規定してものとされていて、現在もそれが基本となったままの憲法です。

 その現在の第2条は、次のように規定しています。

La Nación Mexicana es única e indivisible.

メキシコ国民は、統一されていて、分割不可能である。

 これって、議論してきたフランス革命そのままじゃないですか。

 もう一つ、行きましょう。

 

1.(Mex) National sovereignty resides essentially and originally in the people

2.(Frn) The principle of all sovereignty lies essentially in the Nation.

3.(Jpn) sovereign power resides with the people

  

 1は、メキシコ憲法第39条、2は、フランス人権宣言第3条、3は、日本国憲法前文でした。

 これらの条文の作成過程で、直接的な影響関係があったかは疑問ですが、憲法や国家といったものが共通の枠組みの中におかれていることは明らかで、そうした枠組みがお互いに何らかの形での影響のし合いから形成されていることも疑いないでしょう。

 私の昔の音楽の先生は「デジタルより、アナログ録音の方がはるかに豊かな音だ」とおっしゃっていました。

 何故でしょうか。当時はあまり意識していませんでしたが、今は、こんな風に理解しています。

 --それは、デジタル録音は、雑音だけでなく、共鳴音をカットしてしまうからだ。

 共鳴音というのは、2つの弦があると、一つを鳴らすともう一つも鳴り出す、と言うやつです。

 まずは、同じ音の高さで共鳴しやすいのですが、互いに倍音(振動数が倍の音)同士でも共鳴現象が起きます。

 今、共鳴盤と呼ぶ、どのような音に対しても共鳴出来る装置を用意します。そうすると、一つの弦を鳴らしますと、共鳴盤は共鳴して、その弦の出した同じ高さの音だけでなく、すべての上下の倍音を出すことになります。

 もちろん、共鳴盤の出す音は、弦が鳴らした音を一番強く出すように共鳴し、最初の倍音は弱くなり、次の倍音はもっと弱くなり・・・、という風に共鳴していきますから、弦があるメロディを奏でれば、そのメロディがちゃんと聞こえます。

 ピアノやバイオリンには、共鳴板や共鳴箱(バイオリンの胴体)がついていますが、それは、弾かれたメロディの音を拡大するだけではなく、このような無限の共鳴音をも一緒に作り出しています。

 隣接する倍音同士は、基本的に親和的なハーモニーを作りますが、2つの音が離れてくると、非親和的な不協和な音となって来ます。

 しかし、この共鳴音全体が、ピアノやバイオリンの豊かな音を作り出しています。

 他方、例えば、電子ピアノは共鳴板がなく、純粋にメロディ音だけが電気的に拡大される仕組みとなっています。

 音に深さがなくて、特に低い音は、体を揺さぶるような共鳴板の振動感が得られませんので、もの足りない感じとなります。

  というようなことと同時に、フランス革命で思い出したのが、ディドロという哲学者のことです。

 彼は、『ダランベールの夢』という著書の中で、「どのようにして、人間の思考が、あることがらを念じて、今度はそれを対象とすることが可能になるのか?」という問題を立てています。

 そして、その答えを、唯物論的な立場から、人間の思考が、この共鳴現象のような仕組みでなされている、と論じています。

 つまり、一つのことを考えるとそれだけに留まらずに、関連する様々なことが同時に浮かんでくるようにできているのだ、と言うのです。

 今風に--つまりデジタルに--言うと、コンピューターのメモリのようなものですね。これがないと、計算(あるものに対する操作)が不可能で、一歩も前に進めなくなります。

 人間の記憶力が減退しますと、経験の深さがなくなっていきます。

 極端になってきますと、昨日のことも今朝のことも忘れるようになって、経験は非常に浅い、薄いものとなり、そうなってくると、次の一歩も踏み出せないようなことになります。

 歳をとって、立ち上がって隣の部屋まで行ったけど、あれっ、何をしにきたんだっけ、とわからなくなってしまうというのがありますね。それがメモリーが機能しなくなってきている、そういう状態です。

 しかし人間の記憶、思考で言うと、メモリーというよりも、やはりディドロのいう共鳴の方がぴったり来ますね。

 そこで、「共鳴力」というものを考えたらどうでしょうか。 

 「記憶力」と言うと、ただあることがらを覚えているかどうかに焦点をあてることになって、試験のことを思い浮かべたりします。

 しかし、ここではそういうものではなく、記憶力や思考力として、私達の経験に深さや幅を与えて豊かにしてくれるもの、したがってそういう形で生活を豊かにしてくれるもの、そういう能力を考えたいですね。

 単に記憶が持続するだけでなく、主要なことがらを強めて留めながら、さらにそれを基にして、関連する色んなことに関心が向いたり、それを考えたりする能力です。

 似たようなものとして、「共感」と言うのがあります。ただ「共感力」というと、感情のレベルのことで、論理とか何らかの感情の中身についての構造のようなものがないですね。それから、へたすると何でも共感しなくてはいけないかのような、倫理的な語感があります。

 これに対して、「共鳴力」は、外からやってきた思考や記憶を、「倍音」の単位のような役割を果たす多様な論理によって整理すると同時に、それらによって元の思考や記憶を大きく豊かなものにして返していく主体をイメージさせます。

 私達の運動、教育、生活、思想がそういうもの--共鳴体--になっていくといいですね。

 そうすると、先に見てきたような、世界の憲法にあるうれしい「共鳴音」を「共鳴音」として見つけることができて、お互いにもっと豊かにしながら、世界中に鳴り響かせていくことができるようになるでしょう。