hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

「気分はもう戦前?」--三浦瑠麗氏の議論批判I

 2カ月以上の夏休みをいただきました。

 気持ちを新たにして、安倍ファシズム政権批判のためのブローグの執筆を再開します。

 共謀罪法が成立、施行された一方、森友学園、加計獣医大学新設疑惑を切っ掛けに、安倍首相に対する不信(不支持)が増大しています。

 私は、一日も早く安倍ファシズム政権を終わらせなければならないと考えます。

 と同時に、この政権が作り上げた「遺産」である秘密保護法、戦争法、共謀罪法が続く限り--つまり、安倍政権が終わったとしてもそれに続く政権が、それらの法を廃止しない限り--ファシズム体制は、継続・深化していく可能性をはらんだままであるということを考慮せざるを得ません。

 そうした立場から考えた時、私は、密接に関連した2つの軸に立脚して、今までもこのブローグで行なってきた議論を、継続・展開していこうと考えています。

 第1の軸は、日本国憲法の現代的意義です。

 第2の軸は、社会科学方法論としての、歴史の構造的理解です。

 そこで、今回はそうした立場に立って、東京新聞(2017/08/12)の三浦瑠麗氏の論の批判を行ないます。

 この記事は、3人の論者にインタビューした中野祐紀記者がまとめたもので、その3人のうちの一人が三浦瑠麗氏です。

 見出しは、「気分はもう戦前? 今の日本の空気」となっており、記者の側からは、次のように問題提起がなされています。

「伝統文化尊重のため」に 「パン屋」を 「和菓子屋」に変更した教科書、犯罪の合意を罰する「共謀罪」法、そして「教育勅語」の教材使用を否定しない政権。今の社会に、戦前のかおりがしないか。

 三浦瑠麗氏は、この問題提起にどのように応えているのでしょうか。氏は、次のように述べて、「戦前のかおり」について全面否定しています。

 まず、「戦前回帰」を心配する方々が思い描く「戦前」のイメージに不安を覚えます。

 大日本帝国が本当の意味で変調を来し、人権を極端に抑圧した総動員体制だったのは、一九四三(昭和十八)〜四五年のせいぜい二年間ほどでした。それ以前は、経済的に比較的恵まれ、今よりも世界的な広い視野を持った人を生み出せる、ある種の豊かな国家だったと考えています。それを全て否定するのは一面的で、過去を見誤っています。「今は、あの二年間に似ていますか」と聞かれたら、私は「全然似ていない」と答えます。

 「『共謀罪』法が治安維持法に似ている」というのも誤った分析。現代は当時のような共産主義アナキズム(無政府主義)の脅威がありませんし、民主政治は成熟しました。人権を守る強い制度も定着した。あの時代のような拷問や弾圧が容認されるはずがないでしょう。警察官もはるかにプロ意識のある集団に育ち、抑制が利いています。

 

 氏は、1943年から1945年の時期に限定して、それと今が「全然似ていない」としています。

 私は、まず、こうした氏の問題設定とそれに対する解答のしかた自体に、研究者としての誠実さに疑問を抱きます。

 手元にある高校時代の日本史教科書の年表を見ますと、1943年には、「ガダルカナル島敗退。徴兵適齢1年引き下げ。学徒出陣。」があり、1944年には、「 空襲はげしくなる」とあります。空襲は、1945年の敗戦まで激しさを増し、この敗戦直前にはさらに2つの原爆が落とされたことは、周知の通りです。

 つまり1943年とは、その2年前に始めた太平洋戦争の敗色が一般の人の目にも明らかになった年であり、さらに1944年には、空襲によって身の回りの人々が殺されて行くのを目の当たりにし、自分も同様の目にあう恐怖の中で生きるという状況に入っていきます。

 このような時期と現在と比べて、「全然似ていない」というのは、当たり前すぎる話です。

 言い換えれば、「戦前のかおり」という表現が、1943年から1945年という破局そのものの時期を指しているのではなく、それに至る前の段階、それに至っていく過程を指していることは、誰が見ても明白です。つまり、東京新聞記者の側の「今の社会に、戦前のかおりがしないか」という問題提起が、「今の社会が、破局期に近づいていないか」「今の社会のあり方が、破局期に至っていく前の段階、あるいは破局に至っていく過程に似ていないか」という意味であることは、誤解のしようがありません。

 ところが三浦氏は、この明白な問題提起を聞こえなかったようなふりをして、「今が破局期そのものである」と主張する「敵」--どこにも存在しない「敵」--勝手にを作り上げ、この敵を「論破」しようとしています。そのような議論の「手法」は、無責任な論者がしばしば用いるものですが、東大の先生というような影響力のある地位にある者は、慎むべきものでしょう。

 次に、氏の歴史的なセンス(のなさ)に驚かされます。

 1943年から1945年に破局に至ったとすれば、普通のセンスであれば、どのようにしてこの破局が招来されたのか、その前の時期を辿っていくということになるでしょう。実際、日本現代史研究者の多数がそうした視点から研究を行なってきており、政治的立場を超えて、その大多数の共通した見解は、1931年の満州事変を、こうした破局への第一歩を画するものとして重視しています。

 そして彼らの研究は、破局を避けようとしたならば、1930年代初めに顕著になっていく傾向--軍部の独走と人権の極端な抑圧--にその時、少しでも早くに歯止めを掛けることが必要だったというのが歴史から導かれる教訓であることを示しています。後になればなるほど、そうした傾向を食い止めることは困難になっていったからです。

 ところが三浦氏は、「大日本帝国が本当の意味で変調を来したのは」「一九四三(昭和十八)〜四五年のせいぜい二年間ほどでした」と言っています。つまり、この二年間以外では、直前まで「大日本帝国」は順調に行っていた、と主張しているのです。

 ということは、順調に行っていた「帝国」が、理由が説明されないまま、突然破局に至るということになります。

 このようなデタラメを、過去について平然と語る人物は、現在についても同じようにデタラメを主張することになるでしょう。

 つまり、氏によれば現在は「成熟した民主政治」ということになっています。氏は、誰もが「破局が来てしまった」と認めるような事態に至る時まで、現在は「成熟した民主政治」にある、と主張し続け、そうした破局が招来された後も自分の間違えを決して認めず、「成熟した民主政治」から、突然「破局」がやってきたのだから、自分の主張は正しい、と嘯(うそぶ)くに違いありません。

 次に上記の論点と重なりますが、氏がいう「成熟した民主政治」のイメージと根拠は、どのようなものなのでしょうか。

 次回に、この点について論じます。