hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

日本国憲法の歴史性をより自然に理解するために--英文原文の構造的理解から

 

前の前のブローグで、憲法前文の冒頭の文を取り上げました。そして、その世界史的な意義を想像力を持ってよみがえらせよう、と述べました。

 ただ今日も大議論を展開するのではなく、憲法前文の冒頭の最初の文に限って、原文の英文の構造についての検討を行ないます。この作業は、この憲法の世界史的な普遍性とそこでの日本の経験の位置づけを明らかにする、という目的に基づくものです。少し長くなりますが、ご容赦ください。

  その作業に入る前に、述べておくことがあります。憲法の問題についても、「世に倦む日々」氏が、鋭い問題提起や共感を呼ぶ指摘をしています。私が憲法の前文や全体がコンパクトですばらしい日本語だといったのは、実はそうした「世に倦む日々」氏の指摘に共感して述べたものです。元が英語であったかどうかといったことは関係なく、元の文章(中身)がよければ、何語に訳してもよくなるのだ、とも指摘していました。

 また「世に倦む日々」氏は、憲法を我々の規範という側面と国家を縛る立憲主義の2つの側面があるとし、立憲主義について、第1に、日本の中でも、立憲主義を強調する議論はある時期まではなく、いつからか転換があったこと、第2に、国際的にその強調はあまり見られず、日本の言論界だけでそれをいうのは、ガラパゴス化することになる恐れがある、と指摘しています。

 いずれも重要な論点です。私が前の前のブローグで、日本国憲法がすばらしい、という一方で日本人の歴史的感覚の弱さの問題に触れているのは、こうした提起された問題を、別の角度から考えてみたいと思っているからでもあります。今日のブローグも、その続きです。

 日本国憲法とその英語の原文について、それらの前文の冒頭段落をそれぞれ、適宜部分に分け番号をつけて、以下に示しました。

①日本国民は、②正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、③われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、④政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、⑤ここに主権が国民に存することを宣言し、⑥この憲法を確定する。

 この文は、②から⑤までは、規範が並列されています。

 他方、英文では、それらは、並列的関係ではありません。構造的な関係を持っています。 

①We, the japanese people, ②acting through our duly elected representatives in the national diet, ③determined that we shall secure for ourselves and our posterity the fruits of peaceful cooperation with all nations and the blessings of liberty throughout this land, and ④resolved that never again shall we be visited with the horrors of war through the action of government, ⑤do proclaim that sovereign power resides with the people and ⑥do firmly establish this constitution.

  ②は、現在分詞構文で、③から⑥までにかかっています。③と④は並列、⑤と⑥は並列です。

 ④と⑤の間に、andがありません。また、③と④の間には、andがあります。これはどういう文法構造なのでしょうか。

 私は、英語でこのような文法構造を知りませんが、③と④の過去形の動詞の前に、havingを加えて理解していいと思います(英語文法に詳しい方、教えてください)。そうすると、現在完了分詞構文となります。

 以上のような英語理解に立ちますと、

  We, the japanese people, ⑤do proclaim that sovereign power resides with the people and ⑥do firmly establish this constitution.

 というのが、この文のメインをなしていることがわかります。強調の意味を持つ"do"があるわけですから、辻褄が合います。

 まず、こうやって見ると、文法的には⑤と⑥は、並列ですが、内容論理的には、⑤が⑥に対する理由、根拠を与えるという構造的関係であることも、読み取りやすくなります。

 「われら日本人民は、ここに主権が人民に存することを宣言し、従って主権を持つ人民として、この憲法を強固に確立する」

 と、意訳できます。andが、「従って主権を持つ人民として」に対応するわけです。

 他方、③と④は、何故現在完了分詞、もしくは過去(分詞)の形を持っているのでしょうか。

 動詞に着目すると、determineとresolveという、強い意志、動かしがたい決定、議論の上の決定、といったものを行なったということを述べています。つまり、③も④もthat以下のことを、十分に議論した上で断固とした決定として合意するに至った、ということです。

 つまり、③と④は、憲法を制定するために行なった議論の結果を要約したものです。この要約の表現を読んでみると、③も④も第2次世界大戦の日本の経験というものからの議論がなされた、ということが読み取れます。

 これに対し、⑤が現在形であったのは、実際には、議論した上で合意したのですが、民主主義国では、議論以前の普遍的真理としての「人民主権」を表すものだからです。

 以上の理解を踏まえると、英文における②の意味は、日本語の②のような規範的意味と全く違うことがわかります。

 まず、英語の場合の文構造を確認します。それは、①我々は、②代表を通じて、③から⑥までの行為を行なう、と言っています。つまり、②は、①と③から⑥までについての関係について説明を与えるものという構造を持っています。 

 次に②の内容の理解に入ります。③と④は、過去に関する内容を持つものですから、ここでいうrepresentativesは、一般的な代表をさしているのではなく、具体的な代表、すなわち憲法制定時のいわば「憲法制定議会議員」をさしていると理解しなければなりません。

 革命のような根本的な変化の下で新しい憲法が作られる時、憲法制定議会が作られ、そのための議員が選ばれます。彼らは、ある意味ではフィクションではあるけれども、人民の願望を根底においた新しい体制の枠組みを作り出す役割を果たします。

 日本でも、憲法制定前に、初めて女性も参加した衆議院議員選挙がありました。形式的にいえば、それが新憲法制定議会の議員にあたることになります。

 以上の理解に基づいて、英文を意訳しますと、例えばつぎのようになります。 

 われら日本人民は、正当に選挙された制憲議会における代表者を通じて、この憲法作成のために十分に議論して、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保すること、そして、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを合意し、決議した。

 われら日本人民は、正当に選挙された制憲議会における代表者を通じて、ここに主権が人民に存することを宣言し、従って主権を持つ人民として、この前記の決議内容に基づく憲法を強固に確立する

 細々と議論してきましたが、目的は、英語原文の持っている構造性を明らかにすることで、日本国憲法の持っている歴史的性格をより明確に理解しようということです。

 つまり英文の構造的理解を行なうと、第一に、原理的に新しい出発点としての歴史的時点(制憲議会)というものが想定され、憲法制定の歴史性と同時に、世界の憲法と共通性を持った枠組みが与えられます。

 第二に、この枠組みの上で、ある程度日本史の知識、センスを持った人ならば、③や④が日本の歴史的経験(戦時下の自由がなく悲惨な経験)を踏まえて作成されたことがわかりやすく伝わってきます。

 日本国憲法(日本語)では、②から⑤までが規範として並列されていました。

 日本人の歴史感覚の欠如の問題は、時間構造、空間構造、論理構造といった構造的なものを拒否する感覚にも起因しているのかもしれません。

 浮世絵に見るような平面化は、洗練の域に達しています。加藤周一Amazon.co.jp| 日本文化における時間と空間| 加藤 周一| 日本論

も、日本文化における非構造化、「いま」「ここ」に集中する様を論じていました。

  憲法も、英語を日本語に移した時に、構造的であったものを並列化したわけですが、それは、そうした作業を行なった人々の感覚がそうした日本的伝統によるものでもあったといえましょう。

 私は、日本国憲法をすばらしいものと考えていますが、そのすばらしさを理解するためにも、このような考察が役に立つと考えています。