「俺様ルール」の不思議--「遅れた」日本、「進んだ」日本(1)
このブローグをきっかけに、昔の友人達が色々な形で反ファシズムの闘いに参加していることが分かってきました。
うれしいです。まだ長い闘いが続きます。
このブローグを読んでくださっているすべての方、体を大切に、ゆっくり休養を取りながら、少しずつ進んでいきましょう。
共同通信の世論調査で、内閣支持率男性42.4%、女性33.4%です。
この差はなんでしょうか。分かりません。よく言われているように、女性の方が危機に対するすぐれた感性を持っているのでしょう。
男女平均すると、37.7%ということです。まだまだ、高いです。どうしてこんなに高いのでしょうか。
振り返ってみると、大阪都構想の住民投票では、賛成 49.6%、反対 50.4%でした。あれだけ、ファシストぶり、失政が見えていた橋下市長の事実上の信任投票結果において、半数近くが、なお橋下市長を支持していました。
では、安倍支持率は、今後さらに、ずるずる引き下がっていくのか、しぶとく、30%半ばを続けるのか、どちらでしょうか。
分かりません。
しかし、いずれにせよ、この問題設定自体とても重要です。そして、先程の男女差の問題も重要だと思います。
それらは、日本社会のあり方の問題につながっているように思います。どのようにつながっているかは、私はまだ答えを出していないのですが、今日は、日本社会のあり方について、「俺様ルール」という角度から考えてみたいと思います。
山崎氏がツウィートしていました。
私のところにも「研究者は政治的な発言はするべきでない」という意見がたまに来るが、市民が政治問題や社会問題について意見を表明しないで「民主主義」の社会をどうやって維持するのか、理解に苦しむ。自分は表明しないからお前もするな、お前がすれば俺もせざるを得なくなる、と言いたいのだろうか。
職業人である以前に「民主主義社会」の市民なのか。「民主主義社会」の市民である以前に職業人なのか。人によって判断は分かれるだろうが、職業を理由に「市民としての務め」を免除されるような人はごくわずかだと思う。「民主主義社会」の維持を望む限り、普通は「市民としての務め」を免除されない。
「研究者は政治的な発言はするべきでない」や「表現者は政治的な発言はするべきでない」等、意味のわからない「俺様ルール」を他人に押し付ける人は少なくないが、結果的にその態度自体が、選挙の棄権と同様、特定の政治的状況の固定化に寄与しているという自覚がないのか。自覚した上でそうするのか。
同じことですが、東京新聞のコラムで、ケラリーノ・サンドロヴィッチ(クリエーター)氏が、次のように述べています。
このコラムで政権に触れることは避けてきたのだが、触れないのも不自然な世の中だ。たまにそうした領域の意見をツイッターで呟くやいなや、「あなたには政治的な発言はしてほしくなかった」だの「創作家は政治に言及すべきでない」だのと批判される。そうしたツイートを読むと自身の立場が相対化され、不安になるのかもしれない。しかしもう、そんなこと言ってる場合ではない。「政治的」などではない。「社会的」なだけだ。皆さんと同じである。
(2015年7月16日)
山崎氏は、「意味のわからない『俺様ルール』を他人に押し付ける人は少なくない」と指摘しています。「俺様ルール」--鋭い表現ですね。
この「俺様ルール」の正体は何でしょうか。
今日は長くなったので、明日以降に続けます。