hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

歴史のすばらしい贈り物--日本国憲法(VII)--ベアテのこと

 明日(6月19日、日曜)国会前で、怒りと悲しみの沖縄の県民大会と連帯する集会があります。私も参加するつもりです。どうぞ、皆さんも。

 午前には、参院選のための野党支援の集会が有楽町であります。こちらは、私も支援していますが、都合で参加できません。

 (コンピューターの具合が悪くて、お知らせが遅れました。)

 

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 「歴史のすばらしい贈り物」とういタイトルで話を続けていますが、ここで、少しこのタイトルのことについて話をしたいと思います。

 当時20歳代前半であったベアテ・シロタという女性が、GHQの民政局で、GHQ憲法草案の作成の委員に任命され、世界の憲法資料の収集等の準備やこの草案の女性の権利の部分の作成に尽力したことは、よく知られています。

 ネットでググるとすぐ出てきた、ベアテ氏とのすてきなインタビューのサイトがあります。ぜひ読んでいただきたいと思います。

 

www.shinyawatanabe.net

 

 

 彼女についての映画もあり、そのタイトルが、「ベアテからの贈り物」です。

 この映画タイトルは、いいところを的確に掴み、うまく表現したすばらしいものですね。

 もちろん、ここでの「贈り物」は、女性の権利です。

 これを、占領軍の「押しつけ」だから、勝者の「押しつけ」だから「女性の権利は廃棄して、日本を取り戻そう」という人がいるでしょうか。

 本心は、自民党ファシスト達の多くが、そうなのかもしれませんが、表立ってはそうは言わないでしょう。

 ベアテ氏は、日本国憲法の中に入った女性の権利の条項が、当時の世界の憲法の中でも、最も進歩的なものであったということを、指摘しています。

 同時に、日本社会が非常に封建的であったことも述べています。

 「進歩的」とか「封建的」とかいうと、それだけで、身を引く人がいるかもしれませんが、まあ、とにかく建前だけでも今日あたりまえと思われている、「男女平等」ということが憲法にあるのは、ベアテ氏のおかげだ、ということを忘れない方がいいでしょう。

 ベアテ氏は、インタビューで、一方で自分のことを「コスモポリタン」と言いながら、他方で、自分が日本で育って日本人の価値観(女性は出産の時に泣いたり、わめいたりしてはいけない)を身につけた女性だったといっています(実際に出産した時は、泣いてしまったそうですが)。

 日本の封建的な女性蔑視の経験を通じて、世界的に最先端の人権思想に強く共鳴する人物としてのベアテ

 前に、歴史の偶然と必然というようなことを書きました。彼女のような人が、GHQで活躍できたのは偶然でしょうか?それとも必然でしょうか?

 1947年3月にアメリカのトルーマン大統領が、議会でソ連を中心とする社会主義圏に対して、軍事的な対抗を念頭に置いた政策、いわゆる冷戦体制の構築を宣言しました。 

 これによって、アメリカ自身を含め、アメリカの支配するところで、冷戦体制に反対し、平和を唱える者は、社会主義に味方するものとして、弾圧されるようになっていきます。

 このインタビューの中で、ベアテ氏も述べていますが、GHQ憲法草案は、もし冷戦下でそれがつくられていたら、異なった性格のものとなっていたでしょう。

 まさに、日本国憲法は、まだベアテ氏のような人々がGHQ内で活躍できた歴史的瞬間の贈り物だったのです。

 私は、この映画タイトルにあやかって、それを少し一般化して、このブローグのシリーズのタイトルを「歴史のすばらしい贈り物」としました。