hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

人間的公務員「天皇」制のために(1)

 このブローグでは、「天皇の政治的行為、発言をめぐって」のシリーズ等、天皇制について何回も書いてきました。

 8日に、生前退位に関わって、天皇のビデオ放送があるということで、安倍首相のコメントやその他で百家争鳴となる前に、私の基本的考えを明確化しておこうと思います。

 昔、高校生の時くらいに、樋口陽一氏かどなたか記憶がはっきりしないのですが、天皇を「シンボルマーク」のようなものとして理解すればいい、という議論を読み、何と単純明快、すばらしい主張だろうと思ったことがあります。

 ただ問題は、天皇は、物や人形ではなく、生きた人間だということです。

 例えば、澤藤統一氏のブローグを拝見していると、徹底して政治的発言はだめ、という意見です。上記のシンボルマーク論に近いと思います。

 澤藤氏は、2004年の園遊会で、当時東京都教育委員の米長邦雄氏が「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話しかけたのに対し、天皇が、「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と返したことについて、これを天皇の政治的発言として厳しく批判しています。

 私は、その後、天皇制については深くは考えてきませんでしたが、この数年来シンボルマーク論はだめだ、と感じてきていていました。

 特に、安倍ファシズム政権が成立して以来の天皇や皇后の発言・行動を見て、改めて考え直す必要を感じました。そこで、ある程度調べながら、書いたのが冒頭で触れたこのブローグでの発言です。

 それらで言いたかったこと(およびわかったこと)は、第1に、天皇が意志を持った人間であるために、善きにつけ悪しきにつけ、政治的な発言を制止することは、制度的・物理的に不可能だ、ということです。

 制度的・物理的不可能性をどうにか超えようとして、完全に政治的発言の制止を行なおうとすれば、それは、天皇に対して、非人道的なものとなるでしょう。

 上記の園遊会の例でいえば、澤藤氏は、「2004年10月29日(金)米長邦雄を糾弾する」において、次のようにコメントしています。

天皇は黙っておればよい。誰とも口を利かぬがよい。それが、人畜無害を貫く唯一のあり方なのだ。彼の場合、何を言っても「物言えばくちびる寒し秋の風」なのだから。

  ここまで来ると、やはり澤藤氏の議論は、天皇に対してかわいそうではないでしょうか。

 第2は、今の天皇が生きているうちに、象徴天皇制について、憲法の平和主義・国民主権基本的人権尊重に、沿った新しい解釈と実践を定着させることが、政治的に好ましい、ということです。

 何故なら、現在の天皇は、憲法の基本精神やおそらくほぼすべての条項に賛意、敬意を抱いていると思われます。このような理想的な状況は、今をおいてはまずあり得ないからです。

 私の考える新しい解釈と実践とは、基本的に、天皇が公務員のようなものとして、憲法平和主義・国民主権基本的人権尊重の生きた広告塔・宣伝マン(憲法的象徴=憲法によって理想が示された日本の象徴)であるとすることです。 

 私は、現天皇が生きているうちに、と書きました。しかしそこで書かれたことは、まず実現し得ない、単なる私の願望にすぎないものでした。

 ところが、全く思ってもみなかったことに、今、天皇の側からの新しい提起がなされようとしています。

 それは、我田引水でなければ、私が願っていたような方向と重なるように思われます。

 上で、「全く思ってもみなかったことに」と言いました。しかし、考えてみれば、私のいう象徴天皇制についての新しい解釈と実践というのは、私がオリジナルに創造したものではなく、実際のところは、現天皇の実践を「理論化」「憲法解釈論として顕在化」したようなものと考えていただければよいと思います。

 例えば、上記の園遊会での米長氏に対する天皇の反応は、憲法国民主権の宣伝マンとしての実践を示すものです。

 従って、今回の生前退位の提起が、私の議論と重なる方向を持つのは、当然のことともいえるかもしれません。

 ところで、以上のような憲法解釈は、前にも書きましたが、全く素人のそれで、緻密な法学論からは相手にされるようなものでないことはわかっています。

 しかし、私の素人としての知識によれば、法理論(解釈)の革新は、すぐれた実践を理論化することで得られる、とのことです。

 素人と玄人の違いは、この理論化のところにあって、まあ、私の議論が「理論化」というようなものではないということもわかっています。

 そこは、玄人に任せるとして、私の問題提起の重要性(現在的な政治的必然性)は、理解していただきたいと思います。

 次回に続けます。