グローカルな実践と理論--実践編
前々回(http://hajimetenoblogid.hatenablog.com/archive/2017/01/17)の記事「2017年の始めに思う(2)--反戦運動、労働運動、市民運動の国際的な連帯の表明を--その1」に、touitusensenwoさんから、2つのコメントをいただきました。
「現在の労働者は本当に分業の中で働いている、日々の生活を送る中では、世界の労働者との連帯を思うのは難しいのではないか?」
「国際的な連帯も必要と思いますが、その前に労働運動の立て直しが必要ではないでしょうか」
というものです。
その時のブローグでは、理論的な考察を行なうと予告しましたが、先にいただいたコメントに沿って、実践的なことについて議論しておきます。
私は、現在労働運動の指導者でも積極的な参加者でもありませんが、ともかく、私の考えを述べます。
私は流行語を安易に使うのが好きでないのですが、「グローカル」という言葉には大事なこと--より深めていく価値のあること--が詰め込まれていると思います。
社会運動の大きな流れとして、一方で身近なことに目を向けよう、というものがあり、他方で国家が作る境界を超えて連帯しよう、というものがあり、両者を統一したものが、グローカルな運動と呼べるでしょう。
私は、グローバルな資本の動きを完全にストップさせるべきである、という立場には立ちませんが、それを規制すべきである、という立場に立ちます。
その規制の最重要の原則は、「世界的な最低限の労働条件の遵守と向上」です。
このような原則、スローガンは、実践的な魅力に欠けるでしょうか?
そんなことはないと思います。例を挙げましょう。
各国の最低賃金のアップを求める労働運動同士が、お互いに運動を支持し合うこと、それを表明すること、は、可能で効果的で魅力的ではないでしょうか。
例えば、デモの先頭の車の屋根に大きなスクリーンをセットします。最低賃金アップを求める日本のデモでは、韓国、アメリカ、ヨーロッパなど、世界中の可能な国の労働組織と連絡をとって、そのデモの時間帯に、リアルタイムで支持の発言・画像を送ってもらいます。
" I'm Ree, Mac worker in Korea. I support the Japanese workers' demand for the minimum wage up. We never loose! (私は、韓国のマックで働いているリーです。日本の労働者の最低賃金upを支持します。我々は絶対負けない!)"
" I'm ....................... "
" I'm ....................... "
...............
逆に、海外の運動に対しては、同じように日本の労働者が、リアルタイムで、支持の表明を行うようにします。
「私は佐藤です。日本の松屋でバイトをしています。一緒に、最低賃金のアップをめざそう」
「私は〇〇です・・・」
「私は〇〇です・・・」
・・・・・
分業によって分断されている労働者、国境によって「敵対」させられる国民、疲労と御用化したメディアによって思考力と感性を奪われている労働者・市民のお互いに、単純明快、ビビッドな連帯のメッセージが伝わるのではないでしょうか。
そうした連帯の実際的な感覚を常識化、日常化していくことが、ファシズムに抗していく、グローカルな実践です。