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hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

「統一戦線」は、「勝つ」という結論から組み立てる--戦争法反対運動の弁証法的総括3

 醍醐聰氏がブローグで、統一戦線のすばらしい構想を提案されています(もっと現実を直視した国民主体の政権構想を(2))。

 私がとろとろと総括を書いている間に現実はどんどん進んでいきます。追いつくようにしますが、このブローグのスタイルは、ジャーナリスティックに早く情報を知らせることではなく、価値あると思う情報を共有しつつ、ゆっくりと反省的に思考することにしています。

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 統一戦線が下からの盛り上がりによって形成される、と言いましたが、そこで重要なのは、「必ず勝つ」という結論から、「統一戦線」組織の形成、その戦略・戦術が考えられなければならない、ということです。これが、統一戦線がいつも抱える「課題」です。

 戦前、ヨーロッパではファシズムというような強大な敵、あるいは中国では侵略してきた日本軍というような強大な敵を前にして、統一戦線は組まれてきました。

 そのことが含意するのは、強大な危険、敵を前にして、絶対にそれらを倒し勝利する必要があるという多くの人々の判断があり、そのために政治的意見、方針が異なる勢力や個人同士が手を組まなければならないということですが、同時にそうした勝利を前提とし、その勝利を得るためには、手を組む人々、勢力の間で妥協や忍耐等、「気に食わないこともがまんする」必要もあることです。

 このことは、中国共産党が国民党打倒をやめて国民党軍を支援するようになった「国共合作」の例によく示されています。

 この「勝つ」という課題を達成するために、「気に食わないこともがまん」しながら統一戦線が形成されていくわけです。

 前回の「日本の統一戦線前史」の最後で述べたような状況の下で、今回、共産党が提案した「戦争法廃止の国民連合政府」は、どのような性格を持つものであり、どのように評価されるべきものでしょうか。

 私はすでに、

共産党の「戦争法廃止の国民連合政府」提案--やっと、だが、素晴らしい - hajimetenoblogid’s diary

で肯定的評価を明らかにしています。

 共産党小選挙区制の下で、戦前と同様の「ぼっくい理論」的行動を強いられてきました。共産党は、「世論とともに闘う」とか「一致点での共闘」とか言ってきましたが、その基本は、選挙では常に「敗北」することを前提に、「信念」という「ぼっくい」にしがみつく行動です。

 それは、共産党のリーダーの理論水準が低いから、政治的センスがないから、というよりも、小選挙区制に集中的に示される客観的環境条件から、サバイバルのために必然的に選ばされたものと私は判断しています。

 そうした環境条件が、秘密保護法反対闘争以来、さらに根本から変わりつつあります。

 ファシズムと戦争の危機が、緊急に統一戦線を必要としていることが、広範な人々に明確になりつつあります。共産党がその必要に応えないならば、むしろ、そのサバイバルが危うくなるような状況が生まれつつあった、と思います。

 戦争反対運動では、このブローグでも触れたように、「世に倦む日々」氏の小林節氏を党首とする「立憲連合政府」提案、天城氏の連合政府提案、あるいはブローグでは触れませんでしたが、小林節氏による共産党を含む連合政府への言及(7月15日インタビュー)、等がありました。

 運動的には、SEALDsと学者達のそれが重要です。秘密保護法の時と異なり、これらの運動は非常に明確な組織化と表明がなされ、法案成立の「敗北」で消滅するものでなく、潜在的に統一戦線的な「解」を目指すものとなっていたことは明らかです。

 SEALDsは、その目的に、リベラルな勢力の糾合を掲げており、この戦争反対運動の中では、野党共闘を重視していたと思います。

 私自身は、「維新」等を含む野党共闘には違和感を持ちますが、SEALDsのような立場で運動を進めようとすれば、それが現実的、自然なものであったのだろうと今でも思っています。ここでいう「現実的」とは、まさに統一戦線的な「勝つ」ために必要な戦略という意味です。

 私自身は、「世に倦む日々」氏の「立憲連合政府」提案にすぐ賛意を示しました。そして、SEALDsと「総がかり行動実行委員会」に、この提案を検討してほしい旨のメールを送りました。

「立憲統一」のための提案の送付 - hajimetenoblogid’s diary

これが広く議論されたなら、それを明確に支持する社会勢力の存在があったなら、野党共闘案とは質的に違う統一戦線にふさわしいものとして、現実化の方向に向かった可能性が大きいでしょう。

 さらにいうと、私自身は公表しなかったものの、共産党が元自民党の大物を担ぎだす、という統一戦線運動イメージを持っていました。沖縄の翁長雄志知事のような人物ですね。SEALDsや「総がかり行動実行委員会」が具体的な動き、提案をすばやくすることが困難なこともわかっていたので、共産党が提案しても、なおかつ、共産党の党利党略ではないことが明確なやり方、そうした統一戦線をすばやく形成する方法としてイメージしました。

 しかし、陰でどのような動きがあったかはわかりませんが、表には、そうした動きは現れてきませんでした。

 結局現実は、SEALDsがとった方向が、尊重されるということなった、というふうに私は理解しています。

 もし私のこの推察が正しいなら、共産党は、SEALDsの「路線」に「影響」されたということになります。共産党の「国民連合政府」提案は、必ずしも「野党共闘」提案ではありませんが、戦争法案反対闘争の国会での行動、成立後の行動を見ていると、まずは野党共闘を念頭においていることは明らかです。

 現代史的関心からは、私のこの推察が正しいかどうか、共産党の提案がなされる具体的な経緯は重要ですが、さしあたっての実践では、その解明は不可欠な事項ではありません。

 根底において重要なのは、私達広範な市民が統一戦線を求める緊急事態が生じているということであり、早く統一戦線を形成していくことです。

 共産党の「国民連合政府」提案は、以上の意味で、戦争法反対運動の中での具体的な政治過程から生まれて来た、「勝つ」ことを前提とした40年ぶりぐらいの統一戦線の提起です。

 それは、先に述べたように野党共闘を念頭にし、現在はその方向で動いていますが、必ずしも野党共闘に限定されているものではありません。むしろ、今後生じてくる各政党内外の複雑な動き、変化を含んでいるもののように思います。

 冒頭で触れたもっと現実を直視した国民主体の政権構想を(2)等の統一戦線のあり方をめぐる議論自体も、この共産党の戦略転換によってやっと、より現実的なものとして浮上してきました。

 私もこの醍醐聡氏の提案は、野党共闘よりずっと統一戦線にふさわしく、魅力的で、勝つための現実的な提案と思います。既存政党から離れた新鮮なイメージという点が重要ですが、その点では、「世に倦む日々」氏の提案も共通性があります。

 私自身ができることは、そうした議論にネットを通じて参加することぐらいですが、是非とも、統一戦線形成を真剣に考える個人と勢力が、時間的制約とその中での現実性を探りながら、議論し、実践されていくことを願って止みません。