「気分はもう戦前?」--三浦瑠麗氏の議論批判III--「どっちもどっち論」から核武装論へ
前回の「三浦瑠麗氏の議論批判II」のサブタイトルに、「--民主主義・平和運動の成果の『盗人達』」というサブタイトルを加えました。
これはどういう意味だろう、と疑問を持った方もいらっしゃるでしょう。
民主主義・平和運動の成果の「盗人達」とは、世界の人々の民主主義・平和のための努力の成果を、自分の都合の良い時には、あたかも自分の手柄・所有物のように振る舞い、実際にはそれを悪用しながら、打ち壊していく連中のことです。
三浦氏の共謀罪法をめぐる論法は、日本国憲法を根幹とする法体系・制度、民主主義・平和運動の成果としての民主主義的環境の存在を「根拠」として利用することによって、共謀罪法が治安維持法との類似性を持つということ--共謀罪法の推進者すら認める--を否定するものでした。
日本国憲法等の法体系・制度は、世界の民主主義・平和のための努力の成果を引き継ぐものです。
ですから、三浦氏の論法は、まさに「民主主義・平和運動の成果の『盗人』」と呼ぶべきものといえましょう。
共謀罪に限らず、氏の議論の基本的な論法・思想は、この「盗人」的なものと言わざるを得ません。
私が、前回のブローグをアップしたのが8月19日です。そこで私は、三浦氏に質問したいとして、
アメリカのシャーロッツヴィルにおいて、KKK等の白人至上主義の運動がそれを批判する一人の市民を殺すという事態、さらにそれをトランプ大統領が擁護するという事態が生じています。
三浦氏の基準では、アメリカは「成熟した」民主政治の社会に分類されるように思いますが、そこで、「容認されるはずがない」ことが起きているのではないですか?
と書きました。
三浦氏は、自身の8月22日のブローグで「シャーロッツビルの悲劇」という記事をアップしています。
私は、三浦氏が私のブローグを読んでいるとは思いません。
しかし、「容認されるはずがない」ことが起きているということについて、自分自身の意識の中で無視することができなかったのでしょう。
では、三浦氏はそのブローグで、シャーロッツビルの事件をどのようにとらえているのでしょうか。
この記事についての内容に則しての批判は機会を改めるとして、私は、そこでも三浦氏の論法は「盗人」的であると思います。
三浦氏は、アメリカの人民が人種差別をなくすために闘って得てきた成果を最大限に利用しながら、逆に、人々が持とうとするトランプ(政権)の危険性・有害性の認識、警戒心を最小限のものにしようとしているのです。
何故三浦氏は、このような「盗人」的な議論の仕方をするのでしょうか?
その理由を端的に言うと、氏が「ニホン、スゴイ」教の信者の一人だからだと思います。
このことは、次回に、三浦氏の議論をただ氏の議論の問題としてでなく、それを、ファシズム状況全体の中、ファシズムを支える諸勢力とそのイデオロギーという中に位置づけてとらえる作業を行なう事によって、明らかにしていく予定です。
今回は、東京新聞(2017/08/12)で示された三浦氏の議論に対する批判シリーズの続きとして、その憲法論の部分に限って、批判を加えます。
三浦氏は次のように言っています。
「戦前回帰?」の議論は元をたどれば改憲論議。現在の憲法改正を巡る議論は、護憲派、改憲派ともに不十分な点が多い。
まず護憲派。悲惨な敗戦と、あまりに大きな犠牲を払った総力戦への反省に立脚する平和主義は、一国だけのものですか、と問いたい。日本が戦争をしないことにしか関心がない考え方は、世界に向かって普遍的に説明できるものではありません。志が低い。矮小化された平和主義が、すでに国民の過半数の支持を得られなくなっている。それが今の状況でしょう。
改憲派は、一九四七年に連合国軍総司令部(GHQ)に押しつけられた憲法を否定し、少しでも変えることに固執していますが、こちらも小さい。安倍晋三首相は五月、憲法九条に三項を加える「自衛隊の明文化」を提案しました。連立相手の公明党への配慮だと思います。でも、それでは本質的な矛盾は解決しない。私は「戦力不保持」を定めた二項を削除すべきだと考えています。
改憲の議論を見ても、国家観、歴史観を持ち、理念を掲げられる日本人が育たなくなっていることが分かる。残念なことです。
台湾の李登輝・元総統を見てください。困難な状況下で骨太の政治理念を養い、民主化を主導した名指導者ですが、彼を育てたのは戦間期(第一次世界大戦と第二次大戦の間)の日本であり、戦後の日本ではないのです。(聞き手・中野祐紀)
三浦氏の憲法論の議論は、東京新聞の側で設定した「今の社会に、戦前のかおりがしないか」(「戦前回帰?」)という問題への氏による「否」回答を「補強する」という性格を持っています。
ただ、ここでも相変わらず、氏の議論の仕方は、設定された問題をまじめに議論するのではなく、勝手に設定を変えた上で、いわば言い放題をしているという体のものです。
三浦氏は、「『戦前回帰?』の議論は元をたどれば改憲論議。」というのですが、そうであるならば、安倍政権の中枢、それを支える人々の改憲論が、「戦前回帰」の性格を持っているかどうかを論ずるのが、三浦氏に課せられた仕事でしょう。
ところがそれをせずに、求められてもいない自分の改憲論を、妙に上から目線で開陳しています。
安倍首相を始めとして、その閣僚において、彼らの政治的価値観が「戦前回帰」の性格を持っていることは、彼らの圧倒的多数が、「神道政治連盟」や「日本会議」という「戦前回帰」を目指す運動体の参加者であることから明らかです。
例えば、ジャーナリストの武冨薫氏は、
神道政治連盟(神政連)は全国約8万社の神社を傘下に置く包括宗教法人「神社本庁」を母体とする団体。同連盟のウェブサイトには、〈誇りの持てる新憲法の制定〉、〈靖国の英霊に対する国家儀礼の確立〉などの取り組みが掲げられ、天皇男系維持、女性宮家創設反対、東京裁判の否定、夫婦別姓反対などの主張を展開している。思想的に安倍政権と親和性が高い。
それもそのはずで、安倍首相は若手議員時代から神政連に賛同する議員団体・神道議連の事務局長などを歴任し、現在は自ら会長を務めている。毎年、都内のホテルで開かれる総会にもほとんど出席してきた。まさに首相が手塩にかけて拡大してきた議連であり、いまや自民党を中心に301人の国会議員が参加する政界の一大勢力となっている。
と書いています。
この事実は、一般のマスメディアではきちんと報道されてこなかったために、必ずしも国民一般に認識されていない、しかし重要なことです。
政治研究者や政治評論家が、この事実を無視したり、ことさらこの事実の影響力を小さいものと言い立てるとしたら、(仮にそう言い立てる人が「権威」があったり、メディア受けしている人であっても)素朴にまゆつばものとしてとらえて、その人の議論を冷静、批判的に検討する必要があるでしょう。
三浦氏は、護憲派は「志が低く」、改憲派も(志が)「小さい」、「ともに不十分」と言います。
つまり、「どっちもどっちだ」と言っているのです。そして、「私は『戦力不保持』を定めた二項を削除すべきだと考えています」と宣言します。
三浦氏は、憲法から「戦力不保持」を削除した上で、さらに別の論文で、核攻撃能力を持つべきだと主張しています。
三浦氏は、憲法をめぐる重要な対立点について、「どっちもどっちだ」として、自分の主張(--核武装論--)を、それらを「超えた」高見に立つもののように提示します。
私は、氏の政治的主張の是非は別として、その論建てのいい加減さに、研究者としての不誠実を感じます。
ここでも、三浦氏は、「存在しない敵をつくりあげてそれを論破する」に準ずる、研究者にふさわしくない議論のやり方を採用しています。
つまり、改憲派の志を勝手に「小さい」ものとした上で、自分の「大きな志」を語ります。
しかしそれは、全く事実と異なります。改憲派の先鋭的な主張(小池百合子や稲田朋美)が核武装論であることは、政治の常識でしょう。
また自民党政府が、1960年代後半以降、佐藤栄作首相の下で核武装の潜在能力を維持する政策にこだわり実行、維持してきたことは明らかですが、さらにその前の(安倍首相の祖父である)岸信介首相も、核武装の願望を強く持っていました。
つまり、現在の安倍首相の憲法9条に、第3項を加えるという提案は、志が「小さい」からはではなく、三浦氏と同じく、9条第2項の削除や核武装を願望しているものの、ただ、それを実現するための現実的なステップとして、まずは第3項を加える道を選んだに過ぎません。
何故、三浦氏はこのように非論理的、自分勝手な議論をするのでしょうか。
それもまた、先に述べた「盗人」的な「作法」と同じく、氏が「ニホン、スゴイ」教の信者だからです。 言い方を換えると、三浦氏自身が「気分はもう戦前」という舞台で一翼(右翼)を担う登場人物、役者の一人だからです。
次回は、「戦前回帰」の本質が「国家主義」であることを明らかにし、「国家主義」、ファシズム、三浦氏の「ニホン、スゴイ」教の関連を論じます。
「気分はもう戦前?」--三浦瑠麗氏の議論批判II--民主主義・平和運動の成果の「盗人達」
前回の続きです。
三浦瑠麗氏の東京新聞(2017/08/12)における主張を再掲載しておきます。
まず、「戦前回帰」を心配する方々が思い描く「戦前」のイメージに不安を覚えます。
大日本帝国が本当の意味で変調を来し、人権を極端に抑圧した総動員体制だったのは、一九四三(昭和十八)〜四五年のせいぜい二年間ほどでした。それ以前は、経済的に比較的恵まれ、今よりも世界的な広い視野を持った人を生み出せる、ある種の豊かな国家だったと考えています。それを全て否定するのは一面的で、過去を見誤っています。「今は、あの二年間に似ていますか」と聞かれたら、私は「全然似ていない」と答えます。
「『共謀罪』法が治安維持法に似ている」というのも誤った分析。現代は当時のような共産主義やアナキズム(無政府主義)の脅威がありませんし、民主政治は成熟しました。人権を守る強い制度も定着した。あの時代のような拷問や弾圧が容認されるはずがないでしょう。警察官もはるかにプロ意識のある集団に育ち、抑制が利いています。
氏は、「共謀罪法と治安維持法は似ていない」として、「民主政治は成熟し」「人権を守る強い制度も定着し」「あの時代のような拷問や弾圧が容認されるはずがない」「警察官もはるかにプロ意識のある集団に育ち、抑制が利いてい」ると言います。
私は、ここでも前回と同様に、三浦瑠麗氏の研究者としての誠実さに疑問を呈さざるを得ません。
これから示すように、共謀罪法に賛成する人達すら、「共謀罪法と治安維持法は似ている」という事実は、認めざるを得ないのです。
元警察庁長官の国松孝次氏と「11年前になされた共謀罪の議論の際の責任者の一人」と自認する元自民党議員早川忠孝氏の主張を見て、このことを確認しておきましょう。
彼らは、基本的に、「共謀罪法と治安維持法は似ている」けれども、「運用の条件・環境を制限・厳しくする」「法の対象を縮小することを明記した修正をする」ことによって、反人権的要素が発現するのを防ぐべきである、と主張しています。
まず、元察庁長官の国松孝次の発言です。
共謀罪に限らず、警察による乱用の可能性ほどんな法律にもある。大切なのは社会がそれを許さないことで、警察と監視するメデイアの間に健全な緊張関係があれば防げるはずだ。戦前の例がよく引用されるが、当時とは全く状況が違う(東京新聞2017年05月13日)。
この発言を、元の東京新聞(の記者)の問題提起--「今の社会に戦前のかおりがしないか」--に沿って論理的に述べ直せば、次のようになるでしょう。
「共謀罪は、警察による乱用の可能性がある」(その場合、戦前の治安維持法と同じような弾圧法になる可能性は否定できない)。それを防ぐには、「社会がそれを許さないこと」「メディアによる警察監視」が必要である。「現在と戦前とでは、法をとりまく環境(状況)が全く違うので、現在の社会やメディアは上記の役割(警察監視)を果たしてくれるだろう。」
運用次第では関係のない人も捜査対象に含まれる今回の法案に疑問を抱く。その一つが、一般市民への適用や誤った運用で生じる冤罪の恐れだ。
警察が選挙違反をでっちあげた鹿児島の志布志事件、大阪地検特捜部の証拠改ざん事件・・・。
「捜査現場では予断や偏見、見込みで誤った捜査をされてしまう。成績主義があるので、仕組みをつくると結果を出さなきゃいけなくなる」
冤罪の遠因になりかねないのが、対象犯罪の多さ。早川氏が携わった〇七年の小委員会案より、百以上も増えている。一般の人が対象になる犯罪まで入ると、運用次第で関係ない人も捜査対象になる。「絞り込みが不十分。計画段階で処罰しなければいけない必要性がどれだけあるのか」「捜査対象を判断する裁判所のチェックは機能を果たしていない」。早川氏はこう懸念し、捜査をチェックする機関の新設や、捜査による人権侵害への補償充実などを訴える。
十年前の国会審議では、自民、公明両党からも政府に対して厳しい質問が出たが、今国会ではあまり見られない。
「よく検討すると、自分の知っている人が捜査対象になったら大変だということが分かるはず。このままではノーチェックで法案が通ってしまう。冶安の確保と基本的人権の擁護のバランスがないといけないのに、与野党共に全体の審議力が低下し、バランスを欠いている」と物足りなさを感じている(東京2017年05月07日)。
この発言も、先の問題提起に沿って論理的に言い直すと、次のようになります。
共謀罪法案は、戦前の治安維持法と同じように、一般市民を巻き込み、人権を犯し、冤罪を生む可能性がある。今の裁判所は、警察に対するチェック機能を果たしていない。そうした人権侵害、冤罪の発現を防ぐには、(1)法の対象犯罪の縮小、(2)捜査をチェックする機関の新設、(3)捜査による人権侵害への補償充実、が必要である。
早川氏の発言の中で、ちょっと分かりにくいが非常に重要な部分があります。「よく検討すると、自分の知っている人が捜査対象になったら大変だということが分かるはず。」という部分です。
これは、自分が「実質的」な関わりがなくても、あるいは「自分は関係ない」と考えていても、例えば、たまたま「話したことがある」「大勢で写真を一緒にとった」とかいう程度で「自分の知っている人」「自分が関わった人」でも、もし、その人が捜査対象になると、自分も捜査対象になって、「大変」なことになる(一般市民を巻き込む)、ということです。
これは、共謀罪法でなくとも生じることのように見えますが、共謀罪法のように思想や考えのレベルでも罰するということになると、極めて強い意味、効果を持つことになります。
つまり、警察の側からは、共謀罪法の下では、容易に(捜査対象者を知っているというだけで、その捜査対象者を知っている人にまで)捜査対象を拡大し得ることとなります。
他方、その結果として、人々はこの「大変なこと」を避けるために--つまり少しでも「危なそうな」人と「関わりになること」を避けるために--多様で広いコミュニケーションを行なうことを止めるという行動選択する傾向を促進し、仮にそうした人を知ることになった(関わりを持ってしまった)場合は、「危なそうな」人を警察に密告するという行動を選択する傾向を促進するでしょう。
これは、実際治安維持法の下で生じたことですが、早川氏は共謀罪法が同様にそうした危険を孕むことを率直に述べているのです。
国松氏と早川氏は、共謀罪法賛成の立場ですが、共に、法の性質自体としては、共謀罪法と戦前の治安維持法とが共通性を持っていることを認めているのです。
私なりに議論をまとめます。
共謀罪法は、以下のような特徴を持ち、それは、戦前の治安維持法と極めて「似た」性質のものだと言えます。
①捜査対象、予備的な捜査対象(犯罪とされ得るもの)の範囲を2つの次元で拡大しました。第1の次元は、思想やその表現自体を罰することを可能としたことです。第2の次元は、「共謀」という概念で、犯罪構成(捜査対象たり得る範囲)の要件のハードルを低くしたことです。
この第2の次元については、しばしば、共謀罪法を擁護する立場からは、共謀という条件は、そこに組織的要素、実行準備的要素が含まれるが故に、犯罪構成(捜査対象たり得る範囲)の要件のハードルを高くしたもののように説明されます。
しかしそれはまやかしです。実質的に見るならば、この法における共謀概念は、フェイスブックで「いいね」を押した場合も共謀として扱われかねないまでに、犯罪構成(捜査対象たり得る範囲)の要件を広げたものです--少し関係を持っただけでも、十把一絡げ、一網打尽の対象となり得ます。
以上の第1の次元と第2の次元の拡大の相乗作用によって、捜査対象、予備的な捜査対象(犯罪とされ得るもの)の範囲は、飛躍的に拡大していく可能性があります。
②そして、この①に重なって重大なのは、警察が巨大な権限を手にすることです。つまり、こうした捜査実施の決定、捜査内容の決定の実質について、権限を持つのは、警察当局となってしまっていることです。
③以上の①②が重大、深刻な社会的影響が及ぼしていく可能性の存在は、戦前の日本社会やかつてのソ連や東欧社会主義諸国、現在の社会主義国を見れば明らかです。
国松氏と小川氏は、基本的にこれらの点を法自体が持っている性質から来るものとして、その理論的可能性としては認めた上で、それを防ぐ方策を語っていました。
ところが、三浦氏は、「『共謀罪』法が治安維持法に似ているというのも誤った分析。」と言い切ります。そして、この言い切りの主張の根拠を示すことのないまま、「民主政治は成熟し」「人権を守る強い制度も定着し」「あの時代のような拷問や弾圧が容認されるはずがない」「警察官もはるかにプロ意識のある集団に育ち、抑制が利いてい」ると、法をめぐる環境の問題、その環境の戦前との違いに論点を逸らせます。
これは、「AとBが似ているかどうか」という議論を「AとBの環境が似ているかどうか」という論点にすり替えるという欺瞞です。
さらに、国松氏と小川氏の二人の主張と三浦氏の主張を並べてみると、前者二人の率直さと対照的に、三浦氏の表現の中に、もってまわったような、すっきりしない気持ちにさせる「何か」があることが気にかかります。その正体が何なのかを分析してみましょう。
国松氏と小川氏は、共謀罪法の治安維持法と共通する危険性を認めた上で、その発現を阻止するための条件をそれぞれ、「社会やメディアによる監視」あるいは「(1)法の対象犯罪の縮小、(2)捜査をチェックする機関の新設、(3)捜査による人権侵害への補償充実」と述べていました。
ところが、三浦氏は、「民主政治は成熟し」「人権を守る強い制度も定着し」「あの時代のような拷問や弾圧が容認されるはずがない」「警察官もはるかにプロ意識のある集団に育ち、抑制が利いてい」るといい、要するに、共謀罪が戦前の治安維持法と同じようことになるのを防ぐために「何もしなくてもいい」ということを主張しているように聞こえます。
ただ、氏がはっきりと「私(三浦)は共謀罪に関して、このままでいい、何もしなくてもいい、と考える」と発言したならば、私(米村)がすっきりしない気持ちになることは、なかったと思います。
私(米村)の気持ちをすっきりさせないものの正体は、三浦氏の表現が、重要なところで歴史や社会発展における主体を消してしまっていることです。
そして、同時に三浦氏自身の民主主義の歴史への主体的関わり(責任)の問題も消してしまっているのです。
「民主政治は成熟し」の主語は、「民主政治」です。そして、「成熟し」というのは自動詞です。「民主政治」が自然と成熟するみたいですね。
続けて、「人権を守る強い制度も定着し」も、主語は「人権を守る強い制度」が主語で、「定着し」が自動詞です。
いずれも、誰が、どのように、民主政治や人権尊重の制度を作り上げてきたのかが全く視角に入ってこないような表現となっています。
「あの時代のような拷問や弾圧が容認されるはずがない」というのも、主語が「あの時代のような拷問や弾圧」なので、誰が容認しないのか、という主体の問題を表現することが避けられ、あいまいのものとされています。
また、ここで「容認されるはずがない」という表現も気になり、すっきりしない気持ちになります。例えば、私も、アメリカがテロとの闘いという口実で、グアンタナモに収容したイスラム系の捕虜に対して行なってきた拷問は「容認されるはずがない」と思いますが、現実には実行されてきました。
あるいは、戦前の特高が拷問によって小林多喜二を虐殺しています。これは、当時の基準では「容認されていた」のでしょうか。当時の多くの人も少し前までは、「容認されるはずがない」(そんなことがいくら何でもおきるわけがない)と思っていたのではないでしょうか。
あるいは、三浦氏に質問したいのですが、共謀罪の国会審議において、国民に奉仕すべき公務員である佐川理財局長が、国会議員の質問に対し安倍首相を擁護するために情報の隠蔽とウソの答弁を繰り返すということがありました。「成熟した」はずの民主政治において、このようなことが「容認されるはずがない」と思っていませんでしたか?今はどうですか?
「容認されるはずがない」と思っていることが、実現してしまうことが過去だけでなく、今、目の前で起きているのではないでしょうか。
アメリカのシャーロッツヴィルにおいて、KKK等の白人至上主義の運動がそれを批判する一人の市民を殺すという事態、さらにそれをトランプ大統領が擁護するという事態が生じています。
三浦氏の基準では、アメリカは「成熟した」民主政治の社会に分類されるように思いますが、そこで、「容認されるはずがない」ことが起きているのではないですか?
つまり、「容認されるはずがない」という表現には、まずは語り手の倫理的、規範的な基準や語り手の想定する多数者の倫理的、規範的な基準を表現しているだけであって、「容認されるはずがない」けれども、「現実化する」可能性をも含むようなあいまいところがあるように思います。
三浦氏は、肝心なところで、このようなあいまいな表現を用いているように思います。
「警察官もはるかにプロ意識のある集団に育ち、抑制が利いてい」る、という、この表現も、警察官が主語で、「育つ」という自動詞が用いられています。何か、自然とプロ意識のある集団が出来上がり、抑制の利いているものになったような感じです。
また、「警察官もはるかにプロ意識のある集団に育ち」という表現は、警察官の警察組織の構成メンバーとしての個人的な性質に注意を向けさせるものですが、治安維持法との類似性を議論する上で本質的なのは、警察権力のあり方です。このようなことは、政治学からの接近にとっての常識ではないでしょうか。
三浦氏の議論の仕方は、共謀罪法の施行によって警察が実質的に巨大な権限を手にすることになることの意味、効果から目を逸らすようになっていると指摘せざるを得ません。
国松氏や小川氏の方が、権力と人民の人権をめぐる緊張関係をはっきりと把握し、それを真っ当に表現しています。
民主主義や人権、さらに平和のための制度や現実は、それを求めて闘ってきた人々の800年にも遡る努力がありました。
日本国憲法は、そうした歴史を継承した最先端のものといえるでしょう。私達には、そうしたすばらしいものを歴史によってプレゼントされた者としての責務があります。
次回は、そうした視点から、三浦氏の憲法論を批判します。
「気分はもう戦前?」--三浦瑠麗氏の議論批判I
2カ月以上の夏休みをいただきました。
気持ちを新たにして、安倍ファシズム政権批判のためのブローグの執筆を再開します。
共謀罪法が成立、施行された一方、森友学園、加計獣医大学新設疑惑を切っ掛けに、安倍首相に対する不信(不支持)が増大しています。
私は、一日も早く安倍ファシズム政権を終わらせなければならないと考えます。
と同時に、この政権が作り上げた「遺産」である秘密保護法、戦争法、共謀罪法が続く限り--つまり、安倍政権が終わったとしてもそれに続く政権が、それらの法を廃止しない限り--ファシズム体制は、継続・深化していく可能性をはらんだままであるということを考慮せざるを得ません。
そうした立場から考えた時、私は、密接に関連した2つの軸に立脚して、今までもこのブローグで行なってきた議論を、継続・展開していこうと考えています。
第1の軸は、日本国憲法の現代的意義です。
第2の軸は、社会科学方法論としての、歴史の構造的理解です。
そこで、今回はそうした立場に立って、東京新聞(2017/08/12)の三浦瑠麗氏の論の批判を行ないます。
この記事は、3人の論者にインタビューした中野祐紀記者がまとめたもので、その3人のうちの一人が三浦瑠麗氏です。
見出しは、「気分はもう戦前? 今の日本の空気」となっており、記者の側からは、次のように問題提起がなされています。
「伝統文化尊重のため」に 「パン屋」を 「和菓子屋」に変更した教科書、犯罪の合意を罰する「共謀罪」法、そして「教育勅語」の教材使用を否定しない政権。今の社会に、戦前のかおりがしないか。
三浦瑠麗氏は、この問題提起にどのように応えているのでしょうか。氏は、次のように述べて、「戦前のかおり」について全面否定しています。
まず、「戦前回帰」を心配する方々が思い描く「戦前」のイメージに不安を覚えます。
大日本帝国が本当の意味で変調を来し、人権を極端に抑圧した総動員体制だったのは、一九四三(昭和十八)〜四五年のせいぜい二年間ほどでした。それ以前は、経済的に比較的恵まれ、今よりも世界的な広い視野を持った人を生み出せる、ある種の豊かな国家だったと考えています。それを全て否定するのは一面的で、過去を見誤っています。「今は、あの二年間に似ていますか」と聞かれたら、私は「全然似ていない」と答えます。
「『共謀罪』法が治安維持法に似ている」というのも誤った分析。現代は当時のような共産主義やアナキズム(無政府主義)の脅威がありませんし、民主政治は成熟しました。人権を守る強い制度も定着した。あの時代のような拷問や弾圧が容認されるはずがないでしょう。警察官もはるかにプロ意識のある集団に育ち、抑制が利いています。
氏は、1943年から1945年の時期に限定して、それと今が「全然似ていない」としています。
私は、まず、こうした氏の問題設定とそれに対する解答のしかた自体に、研究者としての誠実さに疑問を抱きます。
手元にある高校時代の日本史教科書の年表を見ますと、1943年には、「ガダルカナル島敗退。徴兵適齢1年引き下げ。学徒出陣。」があり、1944年には、「 空襲はげしくなる」とあります。空襲は、1945年の敗戦まで激しさを増し、この敗戦直前にはさらに2つの原爆が落とされたことは、周知の通りです。
つまり1943年とは、その2年前に始めた太平洋戦争の敗色が一般の人の目にも明らかになった年であり、さらに1944年には、空襲によって身の回りの人々が殺されて行くのを目の当たりにし、自分も同様の目にあう恐怖の中で生きるという状況に入っていきます。
このような時期と現在と比べて、「全然似ていない」というのは、当たり前すぎる話です。
言い換えれば、「戦前のかおり」という表現が、1943年から1945年という破局そのものの時期を指しているのではなく、それに至る前の段階、それに至っていく過程を指していることは、誰が見ても明白です。つまり、東京新聞記者の側の「今の社会に、戦前のかおりがしないか」という問題提起が、「今の社会が、破局期に近づいていないか」「今の社会のあり方が、破局期に至っていく前の段階、あるいは破局に至っていく過程に似ていないか」という意味であることは、誤解のしようがありません。
ところが三浦氏は、この明白な問題提起を聞こえなかったようなふりをして、「今が破局期そのものである」と主張する「敵」--どこにも存在しない「敵」--勝手にを作り上げ、この敵を「論破」しようとしています。そのような議論の「手法」は、無責任な論者がしばしば用いるものですが、東大の先生というような影響力のある地位にある者は、慎むべきものでしょう。
次に、氏の歴史的なセンス(のなさ)に驚かされます。
1943年から1945年に破局に至ったとすれば、普通のセンスであれば、どのようにしてこの破局が招来されたのか、その前の時期を辿っていくということになるでしょう。実際、日本現代史研究者の多数がそうした視点から研究を行なってきており、政治的立場を超えて、その大多数の共通した見解は、1931年の満州事変を、こうした破局への第一歩を画するものとして重視しています。
そして彼らの研究は、破局を避けようとしたならば、1930年代初めに顕著になっていく傾向--軍部の独走と人権の極端な抑圧--にその時、少しでも早くに歯止めを掛けることが必要だったというのが歴史から導かれる教訓であることを示しています。後になればなるほど、そうした傾向を食い止めることは困難になっていったからです。
ところが三浦氏は、「大日本帝国が本当の意味で変調を来したのは」「一九四三(昭和十八)〜四五年のせいぜい二年間ほどでした」と言っています。つまり、この二年間以外では、直前まで「大日本帝国」は順調に行っていた、と主張しているのです。
ということは、順調に行っていた「帝国」が、理由が説明されないまま、突然破局に至るということになります。
このようなデタラメを、過去について平然と語る人物は、現在についても同じようにデタラメを主張することになるでしょう。
つまり、氏によれば現在は「成熟した民主政治」ということになっています。氏は、誰もが「破局が来てしまった」と認めるような事態に至る時まで、現在は「成熟した民主政治」にある、と主張し続け、そうした破局が招来された後も自分の間違えを決して認めず、「成熟した民主政治」から、突然「破局」がやってきたのだから、自分の主張は正しい、と嘯(うそぶ)くに違いありません。
次に上記の論点と重なりますが、氏がいう「成熟した民主政治」のイメージと根拠は、どのようなものなのでしょうか。
次回に、この点について論じます。
どこまでも、天皇をバカにした政府「退位法案」--法律はポエムじゃない
6月10日(土)14時から、「止めよう、辺野古埋め立て」「共謀罪法案、廃案」国会包囲行動が、「総がかり実行委員会」等の主催で行なわれます。
皆で参加しましょう。
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水島朝穂氏は、安倍首相のやり方を、時々「無知の無知の突破力」と評しています。
言い得て妙です。
安倍首相は大学を出ているようですが、とても勉強したことが身についているとは思えません。
私は、学歴の高い人、教養のある人が偉い、という気はありませんが、権力を持った者に対しては、本人が教養を持つか、あるいは知に対する敬意を持つことを、要求します。
何故なら、学問には人類の経験が凝縮されているからです。その意味では、誤解を恐れずにいえば、権力者は、芸術や宗教に対しても、敬意を抱くべきだと思います。
欧米の政治エリートを見ていますと、少なくとも建前として、そうしたものがあるように思います。
ですから、トランプのような人物は、エリートの中からは出てこれないのです。
何故、日本では安倍首相のような人物--学者に敵意を抱いているような印象すら受けます--が政治エリートの中にいるのか、というのは興味深いテーマですが、今回議論したかったのはそこではありません。
彼の周りに、歴史や学問を恐れない軽薄な人物(東大名誉教授・教授を含め)や官僚が集って、これまでに蓄積されてきた真面目な学問、仕事、その成果をあざわらっているかの如くのやり方に対し、私は強く怒りを覚えます。
その点でも、政治的立場を超えて多くの人が一緒に抗議の声を上げていけるし、上げていかなければならないと思います。
今回の天皇退位問題をめぐって、去年の夏以来、大量の議論が新聞などで流されてきました。
私も、それでずいぶん勉強させてもらいました。
ただ、傾聴すべき学者の意見は、「上品」すぎて、一般の人には届きにくいところがあります。
そこはマスコミの記者がうまく咀嚼して、読者などに、問題の本質を届けなければならないでしょう。
しかし、実際には非常に平面的・表面的に情報が流されていくので、大量の情報の中で、すべてが薄まり、何となく政府の言うままにものごとが流れていきつつあります。
理解の枠組みも、ちゃんと問題を整理して理解するというものではなく、事実の後追いや政府の説明の仕方がそのまま理解の枠組みとされ、それでものごとが流されていきます。
今回の退位法案では、それを特例法にするか通常の法(皇室典範の改正)にするかは重要な論点でした。
そのことの本質をちゃんと言及してくれていた学者も多いのですが、ごまかされたまま進んでいます。
今回私は、ブローグのタイトルでも示したように、改めて、特例法という欺瞞の本質を指摘、議論したいと思います。
上に、新聞から法案の第三条までを張り付けました。
これから、第一条を議論します。そのため見やすくして、以下に第一条だけを、引用します。
第1条(趣旨)
この法律は、
①天皇陛下が、昭和六十四年一月七日の御即位以来二十八年を超える長期にわたり、国事行為のほか、全国各地への御訪問、被災地のお見舞いをはじめとする象徴としての公的な御活動に精励してこられた中、
②八十三歳と御高齢になられ、今後これらの御活動を天皇として自ら続けられることが困難となることを深く案じておられること、
③これに対し、国民は、御高齢に至るまでこれらの御活動に精励されている天皇陛下を深く敬愛し、この天皇陛下のお気持ちを理解し、これに共感していること、
④さらに、皇嗣である皇太子殿下は、五十七歳となられ、これまで国事行為の臨時代行等の御公務に長期にわたり精勤されておられることという現下の状況に鑑み、
⑤皇室典範(昭和二十二年法律第三号)第四条の規定の特例として、天皇陛下の退位及び皇嗣の即位を実現するとともに、天皇陛下の退位後の地位その他の退位に伴い必要となる事項を定めるものとする。
この第一条は、見るからに異様です。
上の新聞記事の第二条以下を見ると、「天皇」という表現が使われていることがわかりますが、この第一条は、「天皇陛下」と敬称付きとなっており、この条項だけ全体に敬語が使われています。
法律に敬語って、見たことがありません。日本国憲法の精神から言っても、「法の下の平等」という考え方一般から言っても、こんなのが許されるわけがありません。
こんなものを法律として出してくる「法律家」の感覚が、どうしようもなくアウトですね。
まあ、それはともかくとして、この敬語用法と年齢などが書かれていることで、「天皇陛下」が、現在の天皇を指していることがわかります。
憲法や皇室典範での「天皇」あるいはこの法案の第二条以下の「天皇」が、「天皇の地位」一般を意味していることと差異化しているのでしょう。
こうして、この第一条は、この法律が現天皇のみに関わることだ、ということを特定、特例としている点--特例法というこの法律の基本性格--を明らかにしたものである、というわけです。
ところが、新聞報道によると、この特例法を作るための有識者会議会議の座長をした御厨貴東大名誉教授は、「今後、今回の事例は必ず参照される」と述べ、また、衆議院の正副議長国会見解にも、「先例となり得る」と記されているとのことです。
これで御厨氏らが言いたいのは、天皇や国民の「特例法ではなく、普通の法で」という意見に対し、「この特例法でも、普通の法とあまり変わらないよ」ということでしょう。
どこまで、天皇と国民と法律というもの、法治というものをバカにしているのでしょうか。
この特例法は、単なる特例法(単に今回に限ってこうするとした法令)以上に悪質なものといえます。
一見、敬語を使って天皇を敬っているようですが、そして、「今後、必ず参照される」から、問題が解決されるようですが、実は全く逆で、天皇をバカにし、単なる特例法の場合以上に、問題は深刻化したとんでもない代物です。
天皇から見れば、こういうものを「今後、必ず参照される」ということは、私が以前に言った「奴隷的天皇制」を続けるということなのです。
「今後、必ず参照される」ということがどういうことか、具体的に考えてみましょう。
上記の第一条の条文から、参照されることというのは、以下の点が今後の退位の参照条件となるということです。
②「八十三歳という高齢」「活動維持が困難」
③「国民による天皇退位への理解と共感」
④「皇太子が五十七歳」「国事行為の臨時代行等を長期勤務」
どれ一つとっても、まともな法律的要件をなしていません。
②について言えば、「70歳は『高齢』ではないのか?」「75歳は?」「活動範囲が決まってなければ、活動維持が困難かどうかは決まりようがない」
③は、「理解と共感がないと退位できない?」「理解と共感があった方が早く退位できる?」「その逆?」
④は、代替わりするための条件というよりは、「まあ、それなら選手交代もありか」みたいな、気分の話のようなことが入っています。
私は、④について「気分のような話」と書きましたが、実際にそうした場面では大まじめに、それらしく理由付け権威づけの材料として、いかようにも用いられるのでしょう--例えば、皇太子が30歳だと「まだ若すぎるから、もう少し、天皇に続けてもらおうか」等--。
これら、3つの条件の組み合わせとなったら法律的要件どころか、権力者の自由自在、何とでもなる--御厨氏のように「役立つ」人物は、いくらでも擦り寄ってきてくれますから--というのが、この特例法の本質です。
次の天皇がまた退位したいと言ったら、また「有識者会議」が作られ、ああでもない、こうでもないと上の3つの条件をもっともらしく議論して、政府のいうとおりに結論を出すのでしょう。
こういう法案を作成する官僚は、国民を騙す手腕に自分で酔って「おれって頭良い」とか思っているのかもしれません。
でも、官僚の中にも法律のプロはいるはずで--というか本来彼らは全員プロのはずですね--真面目な人は泣いているのではないでしょうか。
共謀罪法案もそうですが、法律の文をわざと曖昧にして恣意的な運用を諮る--現政権の下では、歴史も神をも恐れない「無知と無恥による暴政の輩」が跋扈しています。
これを糾弾せずにいられません。
私は、今の象徴天皇制を前提とするならば、天皇も生身の人間なのですから、「定年制になると権威がなくなる」とかの蒙昧な議論は無視して、例えば70歳、75歳くらいの定年制にしてそれを、皇室典範改正での恒久法措置とすべきと考えます。
それは、政府の責任であり、国民の責任でもあります。
「国民の総意」の目茶苦茶解釈は許されない--天皇「退位法案」衆議院通過の怪
私が延々と、憲法第1条の「国民の総意」を論じている間に、日本の現実はとんでもないことになりつつあります。
退位法案が、まともな議論がないまま(2時間半の審議)衆議院通過しました。
憲法に「国民の総意」とあるので、①国会で決めること、②さらに国会で激論をせずに、全会一致で決めること、③さらに正副議長の参加する権威ある議会運営委員会で審議・決定することとなったと、新聞などで「解説」されています。
①は、国民投票等、決定手続きに関する制度的な変更の可能性を考慮すると、必ずしも当然とはいえません。しかし、現制度の下ではまっとうなものといえます。
ところが、②③となると、奇怪至極、「国民の総意」についてのこんな憲法解釈を定着させられてはたまりません。
上記の「解説」を新聞などで何回か目にしていますが、これは基本的に、与党による説明をそのまま伝えているものであると考えて良いでしょう。
私は、2013年の秘密保護法強行採決以来、安倍ファシズム政権が成立--政権の「自己クーデター」によって、実質的な憲法秩序の破壊と独裁が開始*1--したと考えています。
私は改めて、与党のこうした「国民の総意」解釈、それに基づくやり方が、まともな憲法解釈といえるような代物ではないことを指摘して、強く批判します。
「国民の総意」を決めるためにこそ、十分な議論が必要であり、それが結果として激論になるのであれば、むしろ好ましいことです。
また全会一致というやり方は、少数会派の意見も汲むという形を通じて、全会派が一致するということのはずです。したがって、その場合は当初より各会派の意見が反映された法案ができた上で、全会派の一致がなければなりません。
ところが、今回は、共産党は与党案に基本的に反対で重要な点での修正案を提出し、否決されています。社民党も特例法という形をとることに反対していました。
また、退位法案の審議が本来の内容の管轄範囲から見て、議会運営委員会においてなされるのが適切であるとは考えられません。
決定の権威付けのために、不適切な委員会が選定されるのも、「国民の総意」のでっちあげというべきものです。
にも関わらず、最終的には両党とも、政府案に「賛成」するという態度をとっている--つまり、②③を認めている--のです。
両党とも、少数会派で土俵設定を行なう力がないため、与えられた土俵で選択を迫られるという不本意で、判断の難しい場面に直面することが多く、今回もそうした一つといえるでしょう。
おそらく、両党の態度には、民進党が与党と一致していること、共謀罪法案反対などで民進党との共闘を進めているといった政治的事情が、先に述べた与えられた土俵選択の問題に絡まっているに違いありません。
私は、安倍ファシズム政権を倒すための統一戦線の立場に立っており、何が何でも原理原則を曲げずに維持しろ、というような考えを持っているわけではありません。
また政治的な具体的なことがらに詳しいわけでもないので、具体的な戦術等についての提案があるわけではありません。
しかし、天皇の退位問題は、それ自体はまともな問題提起だったわけで、それを真面目に議論しようということは、それも普通のまともな態度だったと思います。
民進党でも当初はそういう声がありました。
「国民的議論が始まったら、下手をすると、ファナティックな天皇崇拝が広がってますますやっかいなことになる」「少しでも象徴天皇制や天皇批判をすると、議席獲得にマイナスだ」というのもリアルなとらえ方かもしれません。
しかし、少し感覚的な言い方になりますが、退位問題は議会内に止まらない、国民的議論になり得る、国民的関心を持たれたテーマであると思います。
にも関わらず、それを目の前の議席のためにまともに議論しようとしないこと、そうした態度自体が、国民--私は主に無党派層の人々を想定します--から見透かされているように思えてなりません。
野党としてそれぐらいの挑戦をする気がないなら、今のままで良いよ、面倒くさい、というのが無党派層--選挙で重要な鍵を握る--のかなりの人の気分なのではないでしょうか。
<私の憲法論> 無血革命としての象徴天皇制 XI (歴史を通じた人権の徹底を--象徴天皇制廃止の展望(13))
先回、ルソーの理論が、アメリカの独立革命への思想的影響を持たなかったと思われることに触れました。
他方、通常、アメリカの独立戦争の際に、フランス王がイギリスを叩くという国際政治の立場--今風にいうところのレアル・ポリティークですね--から、独立派を支援したこと、それがさらにフランスの財政悪化をもたらし、フランス革命の原因の一つになった、というようなことが言われます(例えば、高校の世界の教科書)。
しかし、アメリカの独立という実践は、フランスの革命家達にとっては、もっと直接的な意味を持っていました。それは、ルソーの理論の正しさを実証するものとして、理論のレベルでも影響を与え、そしてもちろん実践のレベルでも見習うべき手本として、大きな影響をもたらしたに違いありません。
そして当時の革命国家の国民達の精神が、互いに強く共鳴し合ったのだろうと想像します。
ニューヨークの「自由の女神像」が、アメリカ独立100年を記念して、フランスで寄付が募られ、アメリカに送られたものであることは、よく知られています。それは、そうした当時の両国民の強い結びつきの歴史を証するものとして理解できるしょう。
思想史などの研究は、思想を細かく研究することが多いです。しかし、思想が社会(実践)に与えた影響を含めて思想というものを考えると、私がここで触れてきたようなテーマ--フランス革命とアメリカ独立革命における思想と実践の関わり合い--になってきます。
残念ながら、そういうことに焦点を当てた文献、研究はあまり知られていないようです。あるいは単に私の勉強不足で、探せばあるのかもしれませんが。
****************
さて、ルソーの「一般意志」です。
ルソーは、権利を持った個人が集まって、全員でその権利も放棄して、すべてをそこに捧げるような共同体を作ろう、と契約することを「社会契約」と呼び、そうしてできた共同体を「共和国」と呼んでいます。
そして、この社会契約によって共同体が誕生すると同時に、「共同体の制度や行動を指導する集団的な意志」の存在が想定されます。
この「共同体の制度や行動を指導する集団的な意志」が「一般意志」です。
ここまでで、色んな疑問が出てくるだろうと思います。
しかしまず、先回書いたルソーの問題意識--「絶対的な君主(主権を持つ君主)の代わりに、人民が主権を持つ国家が成立し得るのか?」という問題に、Yesという回答をどのように理論的に構築するか--という角度から考えてみると、大筋で、彼のやろうとしたことが見えてきます。
と、ここまで書いて、この問題を少し広げて、予定より詳しく--「近代国家固有統合体」という考え方を用いて--議論することにしました。
その方が、中途半端な書き方より、結局のところわかりやすいのではないかと考えたからです。
これまでに、憲法解釈に関わって、歴史構造主義的アプローチに拠なりがら、「近代国家固有統合体」という考え方を述べてきましたが、それがどれほど役立つものか、わかっていただけると思います。
ルソーの議論の主要な前提として、①主権と呼ばれる絶対的な強制力を持った国家の必要性を認める、②契約という考え方を採用する、③人民の人権を維持・徹底する、の3つがあります。
実は、①と②は、ホッブズの『リヴァイアサン』という本の議論の枠組みそのままです。
『リヴァイアサン』は、①すべての人が自らの権利のすべてを、主権者(国家)に譲り渡してこそ、そのような絶対的な主権を持つ国家があってこそ、人々の命と安全、平和が成り立つ、②そのために、人々の間で契約が行なわれる、という主張がなされています。
またまた、話がわからなくなってくるかもしれません。
ホッブズは何を言いたいんだろうか?何で、こんな議論をしているのだろうか?
これって、ルソーと同じじゃん。
いや、100年前にホッブズが書いたことを、ルソーがパクッた?
歴年的に整理してみましょう。
ホッブズが『リヴァイアサン』を出版したのが1651年で、これは、イギリス市民革命の真っ最中です。1642年にピューリタン革命が始まり、1648年に絶対王政が倒れて、翌年からクロムウェル独裁が1658年まで続きます。
さて、話がここまで逸れた(遡った)ので、当然ロックのことにも触れなければならないでしょう。
1660年-王政復古、1688年-名誉革命で、1690年に、ロックが『国政二論』を出版しました。
では、ホッブズ、ロック、ルソーの3人の主張を並べてみましょう。
高校で教わる世界史の教科書や思想史の本では、だいたい、次のような説明になっています。
A. ホッブズは、人間は、自然状態では争い合うので、主権者による絶対的な支配(主権)が必要で、それによってによる平和と安全がもたらされると主張し、新しいタイプの絶対君主擁護論を唱えた。
B. ロックは、人間は自然状態で自由平等な権利を持っているが、より福利を高めるために、必要なすべての個人の権利、力を譲り渡すという同意(compact)を通じて、共同社会common-wealth(国家)を形成し、その下での法による統治がなされるべきと考えた。専制とは、このような共同社会のあり方とは逆に、その統治者が自らの利益のみを考え、他の臣民の命をも絶対的に支配する体制である。人民は、それに抵抗する権利を持つ、と主張した。
C. ルソーは、人間は自然状態で自由平等な権利を持っているが、より福利を高めるために、すべての個人の権利をを譲り渡すという同意(社会契約)を通じて、メンバーが完全に平等化し一体化した集団--共和国--を形成すべきだと考えた。この集団形成によって、一方で共和国の主権が生まれるが、同時にその集団としての意志--一般意志--が生ずる。一般意志は、メンバーの共通利害を基にしたものであり、共和国の持つ主権を指導するもの、とした。
こうやって並べると、入試問題で、「彼らの主張をそれぞれ400字以内で簡潔に書け」とか「400字以内で、その違いを述べよ」とかを連想します。
確かに、歴史的な事実を知っておくことは重要ですが、それらの事実をより大きな歴史的な枠組みにおいて関連づけながら、位置づけながら理解することがさらに重要です。
「近代国家固有統合体」という考え方は、そうした歴史理解のための枠組みです。
この考え方から言って、イギリス市民革命期の思想を見ていく際に、絶対に欠かすことのできないのは、1648年のウェストフェリア条約です。
この条約は、ヨーロッパ大陸での30年宗教戦争の長い戦乱に終始を打つべく、ドイツのウェストフェリア州で開かれた講和会議の結果として結ばれたものです。
イギリスは、革命の内乱状況で、この会議に参加しなかったとされています。
歴史の事実をただ羅列するような理解の仕方だと、参加しなかった会議の結果(ウェストフェリア条約)は、イギリスと関係ないよね、ということになりかねません。
結論を先に言うと、「近代国家固有統合体」と「近代国家固有統合体国際システム」は、相互に他の一方の存在を前提としながら、発展していきます。
そうした発展の最初の国際的レベルでの動きのはっきりとした一歩目が、ウェストフェリア条約の締結です。
イギリスは、この時講和会議には参加していませんが、それは、イギリスが「近代国家固有統合体国際システム」という枠組みから離れていることを意味しません。
「近代国家固有統合体国際システム」は、ウェストフェリア条約の締結国(者)だけによって構成されているものではありません。
それは、「近代国家固有統合体」同士が、相互の主権の存在を認め、尊重することを基本として関係を持っていく体制です。
ウェストフェリア条約は、そうした「近代国家固有統合体」間のあり方を、明確化し、強化していったということができるでしょう。
もっとも、当時のウェストフェリア条約締結者達は、私がいう「近代国家固有統合体国際システム」を作り出していっているという自覚は全くなかったでしょう。
むしろ、ウェストフェリア講和会議の参加者(君主)にとっては、自分達の「所有」する権利=主権を確認、確立するということが目的であり、そして彼らにとって主権とは、古くからある自分達の財産の主要なもの、特別な財産、というような意識であったでしょう。
したがってまた、イギリスの名誉革命は、彼らの財産としての主権というその原理に対する挑戦のようにとらえられていたのであって、ヨーロッパ大陸での戦乱がなければ、革命に対する彼らによる干渉戦争は必至であったと言うべきです。
にも関わらず、私はさっきからお経のように--「近代国家固有統合体」と「近代国家固有統合体国際システム」は、相互に他の一方の存在を前提としながら、発展していく--というようなことを唱えています。
少し詳しく、ウェストフェリア条約から見ていきましょう。
まず、講和会議の参加者は「国」ではなく、君主や都市(それらの使節)です。そして、この会議で決定されたことの内、主要なことは、それぞれ一定の地理的空間に対するこれらの参加者それぞれの主権の認定(相互尊重の約束)でした。
今、話を単純化するために都市を除いて議論します。
この主権の認定は、君主達の主観的意識としては、自分達の所有する財産を相互に認定した、と言うことでしょう。その限りで、従来と異なる新しい要素は無い様に見えます。
また、その主権の確立によって、対外的に外からの干渉(ローマ教会)を排除する権限、対内的に様々な勢力に対する完全な支配権が認定されました。
このことは、客観的にいっても、主権概念の確立、認定は、主権というものが絶対君主の所有する財産の様な権利(自由に取り扱うことができるもの)として、むしろ純化された、と見ることすらできそうです。
ところが、「固有統合体」という観点からは、全く違うものが見えてきます。
まず、主権sovereignty、あるいは主権者sovereignという言葉に注目しましょう。
やっぱり、日本語の翻訳はすばらしくよくできていると思いますが、こういうことを考える時に、ヨーロッパ語ネイティブの人は圧倒的に有利ですね。
soveというのは、superということで、reignというのは、王reyとして統治するという意味です。ですから、sovereigntyというのは、最高の統治権、絶対的な統治権ということです。
他方、国家stateというのは、stateが土地を意味していて、そこから土地(土地と土地に「付属する」人民)に対する支配権を意味する様になったと言われています。
日本国憲法では、英訳日本国憲法のstateに「国」が対応しています。これも、おそらく日本の中世において「国」が土地(土地と土地に「付属する」人民)に対する支配権であったこと意識した使い方ではないかと思います。
私がこの語源的なことから言いたいのは、「主権」が所有権的なものというよりもいわば経営権的なものだということです。
「近代国家固有統合体」成立以前のこのような土地に対する支配権は、分割したり、条件をつけて他人に譲渡する(例えば「封土」として家臣に与える)ことが可能でした。
ところが、主権sovereigntyは、性格が違います。それは統治の権利なのですが、まず統治の対象が、すでに一定のまとまりを持ったもの--一定の地理空間において固有に統合された人民(地理経済)--であり、任意に分割して譲り渡したりすることはできないものであることが特徴です。
そして、このような固有な地理経済空間が作り出されていく過程--資本主義的発展の始まり--自体に、絶対君主の主権(絶対的な統治)が欠かすことのできない重要な要因として貢献しています。
つまりその固有な地理経済空間とそれを形成した統治者たる絶対君主は固有の結びつきを持って繋がっています--これが「近代国家固有統合体」です。
「近代国家固有統合体」は、外部に対しては、 外部からの干渉--他の「近代国家固有統合体」やローマ教会からの干渉--を完全に排除することを求めます。
このような「近代国家固有統合体」が複数存在するようになると、戦争状態を避けるためには、明確な国境を定めながら、建前上は恒常性を持ったものとしての主権を、相互に承認し合う必要が出てきます。
このような「主権」は、自由に処分できる家財の所有権--古代的な国家の支配者や封建制度における君主達が土地や人民に対して持ったそれ--と、客観的には大きく異なってきます。
ウェストフェリア条約は、そのような相互承認を明示化し、明示的な国際的体制--「近代国家固有統合体国際システム」--の形成へと進んだものですが、早くから「近代国家固有統合体」を作り出していたイギリスは、もとより、「近代国家固有統合体国際システム」の潜在的メンバーでした。
ロックは、その『国政二論』の序文の中で、彼の著書の目的が名誉革命の弁護にあることを明確にしており、その目的を次のように述べています。
1.現在のウィリアム王の王位を確立すること。つまり、ウィリアム王の権限が、他のキリスト教国の君主達よりも、十分で明確であることを確保しておくこと--何故そうしたことが確言できるかといえば、それは、法に従う統治者たり得る者達の中での唯一の者として、人民の同意による(よって選ばれた)ものであるから。
2.(名誉革命を遂行した)イギリス人民を世界に向かって正当化すること--何故正当化できるかといえば、それは、イギリス人民は、正義と自然権への愛とそれらを護るという決意によって、奴隷化と滅亡の危機にあった国(the Nation)を救い出したのであるから。
私の上の訳は、原文の構文を維持しながら、意訳を混ぜたような感じになっています。
意訳的にしたのは、もちろんわかりやすさのためですが、原文の構文を維持したのも、それによって、原文の構造(の柱)を維持し、原著者が言いたかったことを見やすくするためです。
名誉革命によって、イギリスは立憲君主制を確立したと言われます。
ロックは、その革命、そうした誕生した体制を擁護しているわけです。
上記の1は、ウィリアム王の権限が正当性を持つことを、国内的な意味で確認しているだけでなく、ウィリアム王の権限が「近代国家固有統合体国際システム」において承認されるべき主権であること--他のキリスト教国の君主達よりも、十分で明確である主権の存在--を宣言していることに注目すべきでしょう。
「近代国家固有統合体」は、他の「近代国家固有統合体」との競争を勝ち抜くために、内部的には主権(絶対的・集権的な統治権)の強化・徹底化を求めます。また、国際間の約束が貫徹されるために、自分だけでなく、他の「近代国家固有統合体」の主権(絶対的・集権的な統治権)の強化・徹底化をも求めることになります。
イギリスは、国際的システムの一員であったことはもちろん、このような状態にある「近代国家固有統合体」の最先端にいました。
そのことを次回に議論します。
<私の憲法論> 無血革命としての象徴天皇制 X (歴史を通じた人権の徹底を--象徴天皇制廃止の展望(12))
コメント、ありがとうございます。
どこらへんが、分かりにくいですか。できる限り、工夫します。
天皇の怒りの件、私の議論は、そうした件にすごく関わるのですが、延々と外堀を埋めるような作業で、そこに届いていないですね。
ただ、私はずいぶん前に、象徴天皇制は、奴隷制天皇制ではない、退位は「雇用条件」を守ることを前提に、権利である、という意味のことを言っています。
国民あるいはその代弁者(専門家?)は、天皇の希望とは無関係に(関係させることもできる)、対天皇という関係では、一方的に、雇用内容、雇用条件を決定することができます。
天皇は、国民によって雇用されている特別な公務員なのですが、雇用条件についての交渉権を持たないのです。
しかし国民の側においては、その雇用条件が、例えば、天皇がロボット(=奴隷)のようであれ、という、右翼と左翼の共通の主張(憲法解釈)が正しいのか、という議論が必要でしょう。
私は、逆説的ですが、天皇自身--「当事者」ではあるが、交渉権を持たない--による憲法解釈は、あるべき憲法解釈をめぐって、我々が参考にすべきところが多くあると考えています。
なるべく早く、そこに行き着くようにします。
*********************************************
前回、「国民の総意」とは何か、と言うことについて、私の結論を次のように示しました。
<私の結論>
A.基本的人権を有する個人(至高の価値としての平和・自由・幸福の追求)
⇩
(国民)の総意
Aという目的のための手段として、かつ、その目的に必要な限りで、統治に関する集団決定の必要性を認め、その決定に自発的・全面的にしたがう意志。あるいは、そうした意志を持って行なう決定のこと。
⇩
B.憲法に規定される限りで、その基本的人権を制限も含めた統治権力形成に与ると同時に、統治権力に服する「国民」。
・主権の存する国民
・国民の総意による象徴天皇制の存在
この問題は、憲法第1条の「象徴天皇がんじがらめ構造論」の重要な部分なので、ちゃんと議論しようと思っていましたが、つい私にとって面白い関連話が多くてそっちに逸れたりしながら、まだちゃんと議論ができていません。
ただ私自身も、これまでの精査したり、あるいは、あっちこっちへ寄り道しながらの議論によって、憲法第1条は、非常に重要で、特別な含意(構造)を持っていることが、わかってきました。
例えば、前回、憲法において様々な権利・権力の根源を扱っているのは、「前文」だけだと言いましたが、それは、少し不正確かもしれません。
仮に、「前文」がなかったとすると、この第1条に現れている「主権の存する国民の総意」という表現が、様々な権利・権力の根源を扱ったものというべきだろうと思います。
ところで本題に戻って、では、この「国民の総意」とは何でしょうか?
これは、ルソーの『社会契約論』に出てくる「一般意志」のことです。
いわゆる民主主義国の憲法原理は、基本的にルソーの「一般意志」の理論に則ったものといって良いでしょう。
となると、またしても壮大な回り道になりかねませんが、このルソーの本の言っていることをどのように理解するか、という議論が必要ということになります。
ルソーの『社会契約論』を読むと、かなり社会科学的な知識を持っている人でも、わかったようなわからないような気分になります。
手元にあるのは、桑原武夫・前川貞次郎訳の岩波文庫で、訳者の一人とされる河野健二の解説を読んでも、なかなか難しいですね。
ネットで色々探しても、「そうか、わかった」という感じのは見つかりません。
しかし、一度ルソーの問題設定を理解できると、あの本自体を読めば、それがとても理論的体系的に書かれていて、何が言いたいのか、「一般意志」とは何か、はっきりと理解できると思います。
少なくとも私自身は、「はっきりと理解できた」気分です。
ルソーの設定した問題というのは、「絶対的な君主(主権を持つ君主)の代わりに、人民が主権を持つ国家が成立し得るのか?」ということです。
彼の答えは、Yesで、そのことを綿密に論証したのが、社会契約論です。
人民主権の国家が存在しないところで、そんなことを言えば、権力者たちから政治的迫害に逢うのは当然で、河野健二の解説では、不遇な晩年であったことが記されています。
今の民主主義が当たり前、というような環境では、何でそんな議論が必要か、ということになるかもしれませんが、ともかく、日本国憲法第1条理解には、この議論は必要です。
しかしそれだけでなく、ルソーやフランス人権宣言、日本国憲法における一般意志の問題は、安倍ファシズム政権だけではなく、今日の世界各国におけるファシズム的政権の成立を批判的にとらえるためにも、議論する価値のある問題です。
「絶対的な君主(主権を持つ君主)の代わりに、人民が主権を持つ国家が成立し得るのか?」という問題に対する答えとして、Yesが当たり前かどうか、当時の人々の立場に立って考えてみましょう。
国王が支配する環境で、人民は、様々な権利を勝ち取っていきます。その延長線で、人民自身による支配することを構想するのは「当たり前」でしょうか?
後で触れますが、ロックはこの延長線の一つの「解」である抵抗権という考えを提出します。しかし、抵抗権思想は、人民自身による支配の国家構想の「理論」とはいえないのです。
マグナカルタが作られたのが13世紀です。それを国王に対する人民の権利の獲得の最初の例と考えますと、ずっとそのパターンが続き、アメリカ独立やフランス革命等の、人民自身による支配の国が出てきたのは、500年以上も後のことです。
革命思想家が、人民自身による支配の国家の建設を訴えても、「そりゃ無理だよ。人民って言うけど、色んな意見や利害があるでしょ。国家としてまとまらないと、外から攻撃されるかもしれないし、人民の中も言うこと聞かないやつが出てくるでしょ。どうやってまとまるの?無秩序になっちゃうよ」という体制派による「反論」は、説得力があったのではないでしょうか。
私が言いたいのは、上のパラグラフで言ったようなことが、知識人の間で直接に表現され、議論された、ということではありません。
私自身はそういうことを研究している人間ではないので、それにあたるようなことが、どのような文書にどのような形で現れている、というようなことは全く知りません。
しかし、当時の知識人達の議論の中に、そうした問題意識、問題の設定の仕方が実質的なものとして潜伏していたと考えるのは、自然なことのように思いますし、そう考えると、ルソーの議論がよくわかるのです。
まだ現実に存在しない、人民自身による支配の国家が可能であることを論証する、という作業は、とてもたいへんなことです。
そのルソーのYesの解答の鍵が、「一般意志」です。
そしてその解答は、当時の革命家や知識人にとって、とっても説得力があって、なるほど、こうすれば(このように考えれば)、人民自身による支配の国家が可能なのか、と急速に広がり、採用、実践されていったわけです。
ところで、ルソーの『社会契約論』は、1762年に出版されました。アメリカの独立宣言は、1776年、アメリカ憲法草案は1787年にできあがったとされています。
ですから、ルソーの議論がアメリカの独立思想や憲法に影響を与えてもおかしくないように思いますが、通常は、そのような指摘はなく、ロックの人権思想の影響が語られています。
フランス革命がフランス人思想家に大きな影響を受け、イギリス植民地の独立がイギリス人思想家の影響を大きく受けることは、当然と言えます。
ただそれだけでなく、フランスでは、大陸合理主義の理論志向の伝統を体現している知識人達が重要性を持っていて、政治的現実においても、理屈っぽい議論が必要でした。だから、ルソーが出現し広がったのです。
他方、アメリカの独立をどのような思想が支えたのか、という問題にはアングロサクソンのあまり理屈っぽいことを言わず、実践で解決すれば良い、という知的伝統--大陸合理主義と異なる--を感じます。
先に触れたように、ロックの国王に対する抵抗権という考えは、人民が国王から権利を獲得していくというパターンの延長線上の極にあるものと言えます。
ただそれは、通常の秩序における国王の存在を前提とするものであって、形式的なものを含め一切の国王的なものを排除する可能性を追求したルソーの革命的な理論とは異なります。
しかし実際には、アメリカの独立は、フランス革命に先立つ共和国の出現という革命的な事態だったわけです。
アメリカにおいてその革命を合理化しようとする思想が、ルソーの影響をあまり受けなかったとすれば、それは何故でしょうか。
それは、今まで指摘してきたような国(言語)、知的風土の違いに加え、アメリカの現実がルソーのような思想を必要と感じなかったからだと思います。
つまり、彼らの思想的課題として意識されたのは、独立戦争を合理化することであって、植民地おける国家形成の理論的合理化の必要性はあまり感じていなかったのではないでしょうか。ロックの抵抗権思想は、そうした状況に十分対応するものだったように思われます。
当時の思想的影響は、以上のように言えると思います。
しかし、ルソーの理論は、理論のレベルでは、アメリカの場合を含めた今日の民主主義的な憲法理解全般において、君主の存在しない共和国の存在を支える基本的なものとして認められている、と考えていいでしょう。
また前置きが長くなってしまいました。
「一般意志」の説明は次回にします。