代替策を湧出し、豊富化する憲法の平和主義--南シナ海への自衛隊派兵に抗して(2)--「護憲の海」の話
一昨日のブローグの続きです。このタイトルは、上記の通り、大上段に振りかぶったものです。
しかし、私達が代替策(オールターナティブ)という時、おおげさなことをいう必要はありません。武力対決、軍事予算の増加ではなく、話し合いの外交、相互に軍事予算の減少、というのも立派な代替策です。
オールタナティブというのは、異なる方向性を示すということを意味するのであって、細かい具体策よりむしろ、上記のような大きな方向性をはっきりと示すことが大切です。
あるいは、オールタナティブという時重要なのは、大きな方向性を示すその主体、その意志、意図がしっかりしていることです。
そういう意味で、私が「代替策を湧出し、豊富化する憲法の平和主義」というタイトルで言いたかったことは、私達が、憲法を生き生きとしたものとして捉え、その生き生きとした姿を世界に持っていこう、ということです。
そこで、今日はまず身近な話をします。
1960年代のベトナム戦争の頃、東京で、通勤の時に「ベトナム侵略戦争をやめろ」というゼッケンをつけていた人がいました(名前は、金子好徳あるいは徳好という方だったように思います)。
私もそれのまねをして、すいている電車で、集会の時のプラカードを電車の中でカバンにぶら下げたりします。
昨日は、SEALDsの集会の帰りで、「自民党は、違憲・クーデター党だ」というプラカードを、すわってぶら下げていました。
すると、ある男性がそれを指しながら、「おれはそうは思わない」「考え方は色々だから」といって、電車を降りていきました。
私は半分居眠りしていましたし、彼としても議論をしたかったわけではなく、それでも黙っているのはいやだったので、降り際に声をかけてきたのでしょう。
その場の雰囲気はごく普通のままで、殺気だつわけでも無く、まわりの人もほとんど気に留める様子もありませんでした。
私は少し、プラカードに反応があったことにいい気分になりました。
話はそれだけです。あとは、私の勝手な解釈や思いを述べることとします。
最近の時事通信社の世論調査で、護憲派は60%を超えています。やっぱり憲法はたんなる文章ではなく「生き物」です。危機には、その生命力が甦るのです。
前に、1960年代の日本にベトナム反戦の「人民の海」があった、という話を書きましたが、現在は、「護憲の海」があると考えるべきだと思います。
みんな外見は無関心のように見えて、そこには、「護憲の海」があります。
自衛隊が早くから作られ、最近では、中東に自衛隊が派遣されるなどしています。しかし、安倍第2次政権以前は、内閣法制局長も、護憲を職務としていました。
憲法ができて以来のそうした70年近くの歴史の中に、私達の社会、私達という存在があります。「護憲の海」は、こうした歴史の現れとしてあるのだと思います。
憲法が生き生きとしてもの現れるということは、「護憲の海」が公共の場に表現されていく過程であり、それが世界に広がっていく過程としてイメージできると思います。
平和主義というオールタナティブを考える時、その中身のアイデアがどういうものかは重要です。しかし、そのオールタナティブのパワーは、まず、こうした過程を私達がどのように支え、体験していくかに大きくかかっているように思います。私達の意志、意図の問題です。
電車の中で、「おれはそうは思わない」といってきた人も、ネトウヨのように頭から決めつけてくるような感じの人ではありませんでした。むしろ、公共的な議論を活発化させる人という意味で、「護憲の海」に近い人という感じでした。
「護憲の海」が、身近な人々の間で、国会前で、街頭で、あらゆる公共の場で、表出されていく--これが、私が考えるオールタナティブを作っていく過程、それがパワーを持っていくために必要な過程です。こうした過程は、憲法自身が用意してくれました。そして、その今後のやり方も示してくれているのです。
平和主義というオールタナティブの中身については、次回以降に議論したいと思います。