新自由主義、アベノミクス、アベファシズム--未来のための資産を食いつぶす輩
今日のテーマは、大テーマなので、私が普段考えていることを決論的な形で記していくことにします。
歴史的評価としては、アベファシズムを用意したのは、小泉政権とされるでしょう。*1
新自由主義とアベノミクス、アベファシズムは、親近性があります。
それは、短期的・近視的(経営者や権力者が「担当者」である期間・範囲を指す)「成果」がよければ、後は野となれ山となれ、ということです。
マルクスも、個々の資本が、自分の利益しか考えず、労働者の健康を無視して労働強化することを指して、資本論の中で「我が亡き後に洪水よきたれ」という句を引用したことが知られています。
新自由主義が喧伝されるようになってから、企業が人員整理をすると、その企業の株が上がって、経済的に「よい」ことをしたと評価されるようになりました。
もちろんその企業にとっては、株価の上昇という「成果」があります。
しかし、その企業にとって固有に有用な能力を持った様々な労働者が余裕を持って存在することは、その企業にとってのストック的な意味があります。
つまり、人員整理は、ストックを減らして、表面上の当面の効率を上げることを意味します。
また社会としては、多数の企業が人員整理を始めると、失業というコストを引き受ける可能性が多くなるでしょう。
本来、経済学が現実を見る学であり、それを基にした経済ジャーナリズムがあるなら、現実の世界においてコストがどのようにカバーされているのか、どこから「成果」に必要な資源がやってきているのかがあって、初めて「成果」を語ることが可能なはずです。
実は、新自由主義、アベノミクス、アベファシズムの「成果」と呼ばれているもののほとんどが、過去に蓄積された未来のための資産を食いつぶすことで作られてきました。ところが、このことは驚くほど議論されていません。
アベノミクスへの支持は、もはや株価のみによって支えられていると言って過言ではないでしょう。現在その株価維持のために、年金制度によって蓄積されたお金が株の購入、運用に機械的につぎ込まれています。
この政策は、年金制度の側から見ても、株価が長期的に上昇すれば得をする可能性があるという意味では、100%確実に資産食いつぶしになるとは批判しにくいものです。
しかし観念的な理屈上はそうですが、実体経済を考えれば、私は株価が上昇したままの可能性はゼロと考えています。
つまり、この政策の実質的な基本精神は、「我が亡き後に洪水よきたれ」というべきものです。
海外の有名投資家ロジャーズ氏も、アベノミクスを投資家として歓迎しつつ、「いち投資家の立場を離れて言えば、安倍総理に一刻も早く退陣してもらうことが、日本が立ち直る最良の解決策です」と述べています。
http://gendai.ismedia.jp/articles//44481?page=4
しかし年金による株購入というこの政策は、始まった以上、仮にその意志があったとしても次政権以降に廃止することは極めて困難なものとなるでしょう。アベノミクスは、国としての未来をも縛ってしまっているのです。
話を急いで、政治面、アベファシズムに転じます。
秘密保護法、戦争法制を議論する時、「民主主義がある」「だから、戦前のようにはならない」「ファシズムにはならない」という意見がありました。
アベファシズムは、こうした意見を「積極的」に採用してきました。
アベファシズムは、戦後の多数の人々の努力による平和も、民主主義も、戦前のリトアニア大使によるユダヤ人へのビザ発行も、これら過去の輝かしい資産を、政治的・思想的にその敵対者であるにも関わらず、好都合の時にはすべて自分の手柄にします。
そしてそれを使って、戦争法制のファシズム政策を正当化しています。平和主義の実績を、彼の「積極平和主義」を正当化するのに利用しています。
今回の戦後70年の安倍談話、インドネシア、バンドン会議での発言、アメリカ議会での演説等、がそうした「成果」です。*2
今、戦争法制が成立し、集団自衛権が実施されるならば、日本の平和主義のブランドは、破壊されるでしょう。このブランドは、日本の未来にとって、かけがえのないものです。一度失えば、容易に回復はできません。
未来のために蓄積されてきた経済的、政治的資産が、安倍政権によって卑劣に利用され、食いつぶされていく--おぞましく、屈辱の限りです。
この安倍ファシズム政権に対する怒りを持続させつつ、闘っていくつもりです。