hajimetenoblogid’s diary

このブログは、反安倍ファシズムのすべての人々と連帯するために、米村明夫が書いています。

デモの意義

 デモの意義について、議論されています。これは、このブローグの目的と関連しますので、とても気になっています。

 選挙と社会運動の関係というテーマです。私は、ブローグやツウィッターを限定的にしか見ていませんが、左翼、リベラルの人々の間でも、この問題を整理したり、議論し合ったりしているのを見たことがありません。

 私のブローグの角度からいうと、日本で改めて大きなデモが行われるようになったことの意義一般という問題と、今戦争法案をくい止めるための効果の問題の両面を考える必要があると思います。

 後者の問題が、私にとっては切実で、強い危機感を持っている人ほど、そうした傾向を持つはずですが、後者の問題は理論的には(整理した形では)あまり考えられていないようです。

 まず、山崎氏のスマートな整理で、西欧スタンダードを明らかにしておき、日本の権力者や右翼的人々の非民主主義的な「体質」を確認しておきます。

たけし、SEALDsに投票喚起運動求める「支持政党・議員の増で法案無くなる」(マイナビhttp://bit.ly/1LIrvFn  フランスで立派な勲章を受けたはずの北野武氏も、「デモか、投票か」という、両者があたかも二者択一やトレードオフであるかのような思考誘導を行っている。

 

山崎 雅弘 ‏@mas__yamazak

西欧の民主主義国は「デモも、投票も」「選挙がない時期はデモや集会で意志表示」が普通で、この二つは相互補完の関係にある車の両輪のようなもの。デモの話をしている時に「選挙に行け」と言われたら、民主主義が成熟した国の市民なら「こいつ何わけのわからないこと言ってるんだ?」と呆れるだろう。

 

 

「デモも、投票も」という権利の片方を自発的に捨て「政治の意志表示は投票だけでする」のはその人の自由だが、デモに参加する他人に「デモは無駄、投票だけにしろ」と押し付けるのは筋違いの愚かな行為でしかない。権利を捨てるのが好きなら自分一人で黙って捨てればいい。他人に強要する権利はない。

  これらの非民主主義的な議論は「論外」として、しかし選挙とデモの関係をこのように形式的に整理した後が重要です。

 デモが、私達の間で政治的・党派的な分裂をもたらさないように行われつつ、しかも、自公に対し、「現在的な意味で」政治的な脅威にならなければなりません。

 「現在的な意味で」というのは、私は時間的余裕はないと思っているからです。「世に倦む日々」氏の次のような直感に賛成です。

 

昭和17年に、「デモを通じて少しずつ民主主義の実現を」とか「若者がデモクラシーの未来を教えてくれている」とか、そんなことを言っていたら、そいつはよっぽどのお花畑だ。ファンタジスト。寂聴は「もう戦争は始まってるんですよ」「破滅まで3年ですよ」と、そうメッセージしていたわけだろ。

 12万人のデモ参加者は、私と同じように、あるいは「世に倦む日々」氏のように、強い危機感、ここで戦争法案をストップしなければ、たいへんなことになる、という気持ちを持っていたはずです。  

  その観点から言うと、デモが、「緩やかに」選挙につながる必要があります。そうしなければ、与党にとって脅威ではないからです。

 デモの意義を、政治文化論的に「本物の民主主義が育ちつつある」という観点からのみ議論して満足することは、自分の気持ち自体を偽っているばかりでなく、現在の情勢の深刻さに対して、デモを本物の民主主義の有効な手段として構築し、実践することの探索を放棄することにつながります。

 私は、こうした観点から、統一戦線、反安倍ファシズム政権のための「立憲統一連合党」といった旗を掲げることの重要性を、繰り返し力説したいと思います。

 現在の運動や政党のリーダー達の政治的(選挙に関する)基本姿勢は、これまでどおりということのようです。

 私は、前にこのブローグで、昨年の衆議院選におてい、秘密保護法の賛成与党議員の「落選運動対象リスト」が「当選リスト」になってしまった、と書きましたが、来年の参議院選もそうなりかねません。

 あるいは、共産党は、2倍以上になり、民主党も少し増えるかもしれません。しかし、それでは戦争は防げません。もう自衛隊が具体的な行動を計画しているではありませんか。

 運動や政治のリーダー達の中には、私達一般市民の持つ強い危機意識と同様の危機意識を持っている人も少なくない、と考えます。

 ただ彼らは、既存の組織の中、諸組織の一定のバランスの中で生きており、急に違ったことを主張し、実行することができなくなっているように思います。 

  私達一般市民が、「立憲統一連合党を」というような声を、下からあげていく他ないのではないでしょうか。